自己成就的予言 (self-fulfilling prophecy)—あるいはヘブライ人への手紙11章1節

社会科学でよく知られた概念として、自己成就的予言 (self-fulfilling prophecy)があります。予言の自己成就とも呼ばれます。社会学者のマートン (Merton)が提唱した概念です。

これは、根拠のない信念 (belief)であっても、その信念に沿った行動をすることによって、その信念が現実のものになることを指します。

自己成就的予言のネガティブな効果

例えば、「Aさんがあなたを嫌っている」と根拠なく思い込んだとしましょう。この思い込みのため、あなたがAさんに対して無意識に敵意を向けていると、結果としてAさんがあなたを嫌うようになることがあります。最初は思い込みであったものが結果として事実になってしまうということです。

個人間の関係だけでなく、もう少し大きなスケールでも自己成就的予言は起きます。1973年には、「豊川信用金庫が倒産する」というデマによって短期間で20億円ほどの貯金が引き下ろされ、結果として豊川信用金庫が倒産しかけたという事件が起きました(豊川信用金庫事件)。

近年の事件としては、コロナ禍のトイレットペーパー騒動を自己成就的予言から説明する研究者もいます。

自己成就的予言のポジティブな効果

ネガティブな文脈で語られることも多い自己成就的予言ですが、ポジティブな側面もあります。

例えば、教育心理学ではピグマリオン効果という効果が知られ、これは自己成就的予言のポジティブな側面だと考えられています。ピグマリオン効果は、教師が期待することで学習者の成績が向上することを指します(教師期待効果とも)。教師は期待が高い学習者に対して、褒めたりすることが多くなったり、つまずきへの支援の回数が増えることがわかっています。教師の関わり方を媒介として、教師の期待→学習者の成績向上が生じるのです。

大きなスケールの例としては、株価の向上もポジティブな期待に基づく自己成就的予言で説明できます(これは売りの場合などネガティブな場合もそうですが)。

社会におけるプレイヤーとしての「私たち」

これまで挙げた例は、社会学、心理学や経済学など社会科学が扱う領域の現象です。それら社会科学的な現象からわかることは、現実の様々な場面で自己成就的予言が起きるということです。社会科学的な観点から「私たちの信念が現実のものになる」ことがあると覚えておきたいです。

しかし、これは考えてみれば当たり前の話です。私たちは社会において(社会に干渉しない)観測者なのではなくて、主体的なプレイヤーだからです。民主主義を標榜する日本においては、社会の一人ひとりが主体的なプレイヤーであることは憲法によって保障されています。

私たちはそれぞれが何らかの信念を持っていると思います。意識的にせよ無意識的にせよ、その信念に基づいて行動を取っているはずです。だからこそ、自分の信念を考えることは意義があると思います。

私たち自身が何を望んでいるのか?私たち自身が現実において何を見ることができていないのか?そういった自身の信念を考えながら、社会にプレイヤーとして参与することは全ての人にとって重要であると思います。

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

ヘブライ人への手紙 11:1

Faith is the reality of what we hope for,  the proof of what we don't see.

Hebrews 11:1

"the reality of what we hope for"は、「私たちが望んでいることの現実感」とでも訳すことができるでしょうか。自己成就的予言のことを思い出す時、私たちが望んでいることはrealityを持っていると気づくかと思います。

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