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死んでも最近の死体は腐らないらしい

散文引用にもってこいの本を見つけた。『この本』というかエッセイでもなんでもない。

以下,ペーストしていきます。


小説に発表するのを止めてから、もう、一年半ほどたった。


新年に短編を発表するというチャレンジをしてから半年後すべて手を引いたから、どうしたといわれるのも仕方ないけど、正直、うざい。原因が、とある作家が書いた「その一方で中原昌也あたりに「キャラ萌え」して仲間集めばかりしているような連中」という一行が、こともあろうに、僕が連載していた「文學界」に掲載された ことは知っている人は知っているかもしれない。


語解されているようだが、俺は別に、批判されて腹を立てているわけではない。作品についていわれるなら、「タイクツ」「繰り返し」「垂れ流し」なんて文句をいわれたって、別に気にしない。


ルサンチマンしかないインチキ情報を書き散らす輩を々しく載せる文藝雑誌の体質に抗議をしている。


気がついたら満州引揚者の息子。植民地生まれというのはもしかすると、それがでかいのかもしれない。 なんか見てれば、結局人の集合的無意識が戦争を求めているのがわかる。 僕はどんなに人間が下らなくなっても、戦争は回避したい。どんな生きることが無意味になろうとも。 人間の価値なんか、下らないものでいい。 なんだか、泣けてきた。


なぜわざわざ戦地へゆくのか。何のために死んでいるのか。生きていることに理由がないからだろう。 兵隊になって死んだ人の気持ちはどんなだったのか。死んだらそこで終わりですべての世界が消える。 すべての概念が消えるし、すべての思いは消える。 人柱みたいに、建物を支えている意味がある方がまし。


だれかが身代わりに死んだつもりになったところで、別の人が意味のある人生を生きることができるわけでもない。次の日、キャバクラに行って女に冷たくされて落ち込んだりするぐらいのものだ。すべての死は無駄死である。


僕は戦前の親の子だ。 同世代はどう頑張っても戦後の親の子。 内地の人ともちがう。ただ、 戦争は人間の最大の悪であるとして、見物していたら興奮してしまうことも事実。父親は、戦地で経験したことを自慢げに話しておきながら、それが見世物になっていると嫌悪感を表明する。あのアンビバレンスは、何だろう。ひどい話をいつもいつも。。。



本当にバカ

勉強は著しくできなかった。本当のこというけど、一と二ばっか。 三がまれで、四なんか 一回しかとったことない。それは中高も一緒だった。本当にバカだった。 なぜ、高校まで進学できたのか自慢できるのは、理由は知らないけど、低学年からすごく漢字が読めたこと。今はもうしてないので、謎だけれど、だけは三をキープしていた とったことない。でも、文法は苦手だし、古文になるとわからない。 幼稚園では別に普通だったのに、あれはいったい何だったのだろうか。本当にひどい。思い出せないけれど、別に暴れたりするわけではなく、じっと席に座っていた。強制的に教え込まれることにすごく抵抗があった気もする。


授業中は、映画の本に熱中していた。二年生の時、リチャード・マシスンの小説「吸血鬼」を読んだ。知ってます? 「アイ・アム・レジェンド」(2007)の原作で、あの映画まったく話が違うけれど、まあ、ゾンビ物で、みんなが吸血鬼になってしまい、残った人間に襲いかかるという話。 なんであんなの読んだのか。


これまでは表明していないけど、ブルース・リーも入っている。 父方の叔父の奥さんが 香港の人で親しみがあった。ブルース・リーが死んだのは七三年だけど、ずっとブームが 続いていた。あと、流行ものでは、「Mr.BOO!」(1976)。なぜか、わが家では「8時だョ!全員集合」だけは一貫して禁止されていた。 理由は知らない。学校からPTA的に 止されていたのか。「オレたちひょうきん族」を見ても何もいわれなかったのに。


親がいうのは、「ドストエフスキーとか読め」とか、「お前のやっていることはきちんとし 教養を身につけた後にやることだ!」という感じ。でも、直らない。だから、三島由紀夫賞もらった時、親が誇らしげに人にいっているのを聞いて、ふざけんな、と思ったけれども、安心したのかな。小遣いくれないし、人の足ばっかりひっぱりやがって、今さら何だ、という だけれど、文学賞にはびっくらこいただろう。


世界の休業


当時は、普通にヒットしているものが好きで、八〇年代はブライアン・イーノやジョン・フォックスを聴いたりしていた。ヘヴィ・メタルのようなロックは嫌いで、一生きかないだろうと 軽蔑してた。驚異的に音楽を聴いているやつがいない学校で、音楽の話をするのは、ひとりでも、中二ぐらいまでは、トーキング・ヘッズ大好き、みたいな普通の洋楽ファンだった。 中三になって、ノイズのような、間違ったひどい音楽ばかり聴くようになる。 普通の洋楽ではつまらない。「11PM」で、コンちゃんがノイズのレコードをどんどん紹介していた。 ちょっと都会っぽい音楽に魅かれていたのだけれど、突然壊れたパンクはあまり好きで なく、大人になってから、真面目に聴いている。ピストルズもいたけれど、全然好きでは ない。ギャグでピストルズの布カバンを持っているけど、普通のロックでしょう。


暗いものに魅かれた。 最初は、ノイバウテン。 あまり暗くて訳のわからない音楽。親はかなり心配していた。テレビで平気でノイズを紹介する時代だったから、今だと感じられない。ちょうどMTVが日本に輸入された時期で、洋楽番組がまだあった。ディーヴォの「サティスファクション」のビデオを見て、なんじゃこり、僕は「スターログ」 読んでいて、雑誌なのにエンケンが連載をしてて、ブライアン・イーノが紹介されていたり。


会場では佐藤重臣さんがもぎり。無関心で中学生でも何もいわれない。 無修正の「ピンクフラミンゴ」を観て、本当にひどい。 うんことちんこと汚物だらけ。この世に こんなひどいものがあっていいのかと思った。 ちょっと落ち込んだし、食欲もなくなった。

わかりやすさが敵


近所にあるから、オンサンデーズにはよく通った。小さい頃からわけがわからない洋書を見ていた。ナムジュン・パイクがいて、知っていた小学生の自分が気持ち悪い。ジョエルピー・ウットキンの写真展の中で、奇形の写真がたくさん展示されていた。確かに背伸びしていたけど、

芸術は大人の足し算みたいなものだ。と勝手に思い込んだ。


最近、「二〇一二年世界滅亡説」が流行っている。マヤの長期暦が二〇一二年十二月二十一日から二三日の間に区切りを迎えるからだ。マヤ文明がいきなり謎めいた滅亡をしたように、 この世界は破滅する、と。断然リアリティを感じる。というより、この世界はとうの昔に崩壊しており、僕は、二〇十二年から「時代」という捉え方も消える、という説を唱えている。 三十年ぐらい前、二〇一〇年なんてものすごい未来で、建物の様式もぜんぶ今とはちがい人間はみんな宇宙に住んでいるみたいに信じ込んでいた。 しかし、現実の二〇一〇年になってみれば、世界の外見上の変化はほとんどない。 昔の子供向けの図鑑のビジュアルであったような夢は、 まるでない。


今後も、物事の様式が変化することはないだろう。 ずっと同じ時代が続いてゆく。たとえ ば、音楽のジャンルでも、どう頑張っても新しいものなど生まれていない。 ぜんぶ昔の曲と同じである。ノイズも、別に新しい音楽ではない。 ニューウェーブの一形態としてあったわ けだけれども、似たような要素はロックの中にもあったし、現代音楽だってノイズみたいなものは一杯ある。リアルタイムで最先端にふれていたわけではないが、すべてが終わったと いうことを端的に表現しているのがノイズだ。


イギリスのナース・ウィズ・ウーンドホワイトハウス ナース・ウィズ・ウーンドは、ノイズというよりアバンギャルドに近くて、 ぜんぶのレコードから盗んだような曲だったけれども、いかにもノイズという感じがした。 ホワイトハウスは一時は入手不可能だった、これは本当にひどい。 ええっ、こん音でレコードにするわけ、という代物。ガッシャンならばいいけれど、シーとかいう雑音 が流れている上に絶叫が入る。 セックスと殺人にまつわる単語をずっと絶叫し続けるだけ。 聞いていても。 今聞いても、何が面白いのかわからないけれども、その面白くなさがたまらなかった。


八五年に活動を一回停止した後、九〇年代に入って復活し、ついこの間までやっていて、 また止めてしまったけれども、初期はとくに面白くて、スロッピング・グリッスルキャバレー・ヴォルテールを原型にしてやっているにもかかわらず、機材が乏しく音楽的な才能がないせいで、まったくの別物になっているのだ。


ブスーとかブシューとかシュシュシュシュシュシュシュとか、ずっと同じ音が鳴っている 上から、ギャーとか絶叫するポエムリーディングみたいなもので、ほとんど意味がない。で も、ファーストのライナーノートを読むと、オノ・ヨーコに影響を受けたとか、大層なこと書いてある。 どういう思想でやっているのかよくわからない。 アートなんだな、と思って聴いていた。

ノイズというジャンルには、曲に物語や感情を盛り込む必要がないという前衛特有の気楽さがある。思い入れたっぷりの演奏など格好悪い。音楽的情緒をもたらすものを絶対入れな い、人間性のない作品に憧れていた。


僕の高校時代は、フリッパーズ・ギターの活動と重なる。いわゆる「渋谷系」と呼ばれる 人々は、みんなご近所で活動していた。でも、あの人たちは明らかに僕よりずっと金持ちの家庭の出であり、もっと別種の音楽を浴びるように聴いていた。 僕は貧乏だからノイズしか選択肢がない。


誕生日にモノラルの小さなカセットデッキを買ってもらった小学校一。 二年の 頃から、よく音で遊んでいた曖昧に録音ボタンを押せば、テープが早く録音されたり、録音されたりして遅く録音されたりして、妙な音ができる。速度を変えてラジオ番組を録音しても面白いし、ノイズは、子供の遊びと同じだ。


あ、アレイスター・クロウリーの本だ


身近に殺人事件が起こるほど暗い日々だったが、本当に陰惨な感じにはなれなかった。首吊り自殺も轢死体も見たことがない。 近所の団地のベランダで首を吊った人がいて、学校中で見ていたけれど、僕は見ていない。この間、9・11の時、あの現場にいた人と呑んだ。

報道はされていないけれど、とにかく潰れた死体がガーッとあって、異臭を放っており、見た人たちがゲーゲー吐くせいでゲロの臭いもプンプンして、もう最悪だったらしい。

思い返し てみると、オウム真理教の地下鉄サリン事件も似たようなカタストロフィ感だった。あの時 は何が起きているかよくわからないのが恐ろしかったけれど、アメリカのテロはさすがにスケールがちがう。でも、だいたいは平和か。


あの事件以来、僕は自分をあざ笑おうとしているだれかが導いている、と思い込んでいた。 友だちには黙っていたけれど、打ち明けていたら頭がおかしいと思われただろうな。悪い意味で、人とちがうな、という意識があった。


中学校の頃から、よく大人と付き合っていた。銀の「シネサロン」では、映画の予告編 ものすごく値段の高いプロジェクターで上映しており、よくぼーっと見ていた。そこでシナリオ専門学校に通っていた人と知り合い、同じ学校に通っていた樋口泰人さんとも会って いる。 明大の映研の人と仲よくなったり、アクティブだった。

東大の学祭に蓮實重彦さんの講演を聞きにいった帰り、東大SF研究会が外国のビデオド ラマの情報の翻訳を小冊子にして売っているところにも顔を出した。だから、柳下毅一郎さんや山形浩生さんともすれちがっているはずだ。お金がないなりに、地道にいろんなことをやっていた。


ロディ・マクドウォールという、「猿の惑星」 (1968)に出ていた役者のファンクラブとか入っていて、運営していた手塚眞さんと仲良くなったりした。家にいても仕方がないし、 今ほど情報はないけれども、自分から探せば、いろいろ訳のわからないものにぶち当たる時代だった。

低学年の頃から大人の本を読んでいたので、妙な情報だけが 頭に一杯に詰まっていた。いっぱしのことを口にして、年上の人たちと情報を交換したりし ていたのだ。恐ろしいことだ。いったい、何やっていたのだろう。今考えれば、どうしようもなく図々しい。


何はなくともSPK


ノイズというジャンルの中で、一番、この音は聞いたことがない、という衝撃を受けたの は、SPKのファースト 「Information Overload Unit」 (1980) である。 ひどいというか、 何をしたいのかまったくわからなくて、ヌケも悪く、とんでもない代物である。でも、その筋では伝説のレコードだ。


クセナキスが代表だけれど、前衛音楽は単調なものが多い。ごく初期のノイズバンドであるスロッピング・グリッスルはわりとポップで、一応、構成されている感があり曲によっ ては、ただのテクノポップという印象のものもあるけれど、SPKはTGの影響下にあるの だけれども、もっとぐちゃぐちゃなパンクっぽい音をノイズでやっている。


ファーストの後で聞いた最初のシングル 「No More」(1979) は、きちんと盛り上がり があるよう構成されていて、エモーショナルなものに充ちている。かといって、青春を謳歌するような音でもなく、ただ激情としか呼びようのない衝動が表現されている。 普通っぽい音から、ほとんど意味不明のファーストに移行したのか、大きな謎だった。 SPKは、「社会主義者集団」というテロ組織からとっている。バンドの解説もすべてここから名前をとったという話からはじまる。ノイズというジャンルにつきまとう死体や精神病というイメージはSPKが作ったものだ。


二人は、完全に明暗を分けていて、ニール・ヒルの方は奥さんを殺して自殺してしまったけれども グレアム・レヴェルはハリウッドでどメジャーな映画の音楽をやるような普通の人になった。 「アサルト124 要塞警察」(2005)という映画では、ブロンクス出身のヒップホップの ブギーダウン・プロダクションズのメンバーKRSワンという人と一緒にやるなど、 わけがわからない。 とても、精神病院出身のノイズバンドから出てきたとは思えないほど出世している。


激情だけで突っ走って無茶する人には負ける。僕など、ちゃんとできている からまだいい方で、もっとすごいエピソードもある。DMBQというバンドが、中学校の頃、ノイバウテンなんかに影響されて、ラジカセをみんなぶち壊し、最後の締めでバケツにぶちまけたことがある。でも、すべての行動が音とは関係なく、バシャとかスコンぐらいしか入っていない。 ドしょぼの音しか録れなかった上、「なぜ、この音楽とおれたちは違うんだろう」と話していると親が帰ってきて、家がぐちゃぐちゃになっているので、ものすごく怒られたって。 もう一人、友だちの編集者でラジオの野球中継をみながら、選手がホームラン打つと一斉に「ぶっ殺す!」とかいってバットで辺りをぶっ叩く音を録った人がいる。でも、ホームランなどほとんどないから、実はーっと中継を聞いているだけ。これは音楽ではなくてパフォーマンスだろうと思いつつ、負けた。 など、いつも何をしてしまっている。突き抜けたことがやれないのが、ちょっと哀しい。


学校の音楽好きは、ヒップホップ好きやロック好きの普通の人ばかりだった。僕も影響されて、突然、普通の音楽が好きな人になったこともある。でも、自分で作れる音はノイズみ たいなものばかりだったので、中退するくらいの頃、こんな音楽聴いていちゃいけない、と レコードをどんどん売って、そのお金で呑みに行ったりしていた。集めていたものがほとん 手元からなくなったのだけれど、結局、三十ぐらいに全部買い直しているから、バカだ。

同じ配送所で働いていた元ベ平連のおっさんがいて、僕はバカだから、チャールズ・マンソンのTシャツ着ていたのだけれど、その人は意味がわかっていた。ところが、仕切ってた所長みたいな人は、「ああ、流行ったね、マジソン・スクエア・ガーデン」とか、まぬけなことをいっていた。チャールズ・マンソンの顔写真があるのに、マンソンというロゴだ! 見て、マジソンバッグと同じものだと思っていたのだ。すごい。何か感動的で、人というの は面白いな、と思った。 つまらない仕事だし、嫌な思いもいっぱいしたけど、いい話もけっこうあった。


「暴力温泉芸者」誕生


佐川急便のバイトはではないくせに労働者っぽい仕事をしているのにだんだん 精神的につらくなって止めた。 事務所のトラブルも半年ぐらいぼうっとしていたが、瀬々敬久さんが監督デビュー前で、映画に出ないかと誘われた。ちょうど、その役と同い年で暇な人間ということで、僕が駆り出されたのだけれどしてピンク映画でケツ出しているのはどうかと思って、逃げてしまった。後で観たら(課外授業 暴行1989)、その役にはケツ出すカットはなかったので、出ても問題なかったかもしれない。 いろんなことがあった。


確かなのは、自分に才能があったかどうかは別にして、変な面白い大人たちにたくさん会ったということだ。そういう運だけはあったのかもしれない。自分を売り出すのがかった上手かったとも思えないけれど、二十一、二歳の頃は、いろんなところに出入りしていた。 「暴力温泉芸者」を名乗りはじめたのは、八七、八年頃のことだイメージは東映「 こんにゃく芸者(1970) 」というピンク路線から取ったのだけれど、もともとの映画はまったく観ていなかった。やっているノイズの人たちとは、あの頃に会っている。灰野敬二さん、メルツパウの秋田昌美さんの人たち·····ライブハウスの対バンだった。 急に会うようになった。あの人たちと二十年以上前から知り合いなのだから、恐ろしい。


メジャーにいた頃から、人の共感を得ることの真逆に行こうと頑張っていた。でも、わざわざウケないことをやる意味など、だれにもわからないだろう。でも、十数年前は、テレビにもちょくちょく出ていた。もっとも、演奏したのは小室哲哉の番組だけで、ギャーとかワーとかグチャーとかやっているだけで、曲でも何でもない。


CDはたしか四枚出したか。 あの頃のものは、あまりノイズでもない。音楽の素養がない人が一生懸命、無理くり何かやっている感じ。今となっては、もうちょっと色気出して、 ちゃんとした音楽をやろうという気になっていればよかった。ちなみに、自宅でスタジオに入ったことすらない。 MTRとか、安い材だけでやっていた。よく、あんなものでやっていたものだ。


僕は、メロディというものに興味がない。人が奏でるメロディはいいのだけれど、自分では絶対にメロディを奏でたくない。ちょっと前、久々に石橋英子さんのライブにゲストで出て、好き勝手やっていいといわれたのだけれど、ちゃんと曲に合わせて演奏した。人と一緒 にやる時の僕のスタンスはいつも、キング・クリムゾンの「太陽と戦燥」(1973)に参加 したパーカッション奏者のジェイミー・ミニーアのポジションだと考えている。バンドの音 全体とはあまり関係ないかもしれないけれども、音は無理やり合わせていく。自分ひとりの時はメロディに合わせて適当なことをやるだけだが、客なので、オシレーターのダイヤルを使い、絶対音感もないのに一生懸命合わせたりして楽しかった。とにかく、率先して自分でメロディを奏でるのは嫌だ。せいぜいピアノでちょっと「猫ふんじゃった」を引くぐらい


恨みもないけれど、周りの人たちがうざくなった。固定された人の中にいると変な噂を流されたりして面倒くさい。


宇川くんはすごく楽天的な人だけれど、僕は真逆である。彼は京都造形大学教授だけれど、僕は教育的なことが嫌いだから逃げている。 批判する気はないし、すごいなとおもうけれど、僕とはまったく別の道をゆく人である。しないけれども、つるむことには興味ないし、もはや数少ない宇川系と関係ないところを選んでやっていくしかない。


権威っぽくありがたがられるのが嫌なのだ。バカにされている方が、人間としてまだまし。地方とか行ってよく知らない男たちに二時間ぐらい、「大ファンでした。大ファンでした」 女の子が一人もいないところでずっといわれるとか、本当にいいかげんにしてもらいたい。


「ホモじゃないし、君たちに誉められても全然嬉しくない」というと、「なぜ、そんなに自虐的なんですか?」という。自虐ではない。作品とか作家とか、どうでもいいのだ。ファンだといわれて、いい気分になっていられない。

暴力温泉芸者をやっていた頃は、もっと幼稚でニヒリスティックだった。しかし、今はちょっと違う。やるからには、人の認識を変えるようなことをやらなければいけない。けれど。 変えたから自分が偉いというものでもない。みんな自分の趣味のひけらかしばかりやっていて、本当にうんざりする。 呑み屋に行けば、何が好きとか嫌いだとかばかり話している。 何の役にも立たない思い入ればかり話って、いい気になっている。 あの評論家など自閉的で広がりのない差異を声高にいいたてている自分の滑稽さに気づいているのだろうか。 僕は、責任など持たない立場でいたかった。でも、もはや無責任でもいられない。


なぜみんな共感し合わなければならないのか。共感など全部うそっぱちだということを。 率先して理解しなくてはいけないのに、逆だ。本当に腹が立つ。人はみな、なぜ生きているのかよくわからないまま一人で死んでいく。どう頑張っても人間は孤独だし、ほんとうは何でもない。しょせん。それだけ

最近無慈悲なひどい犯罪をやるような人間にとって、物語はどんな意味を持つのかよく考える。 殺人鬼でも、みんなの好きなメロドラマが好きとか、みんなの好きな歌が好きとホラーとかノイズが好きみたいな、極端な趣味を持つ人は少ないだろう。みんなと同じ 好みを持つ自己と、犯行に走る自己の距離はどれぐらいあるのか。たぶん、立証できないけど根底には資本主義の問題がある。ほとんど同じ趣味の人間が、とんでもなくバラバラなことをやるという方が、怖い話ではないか。


今、他人に対する失望がマックスに来ている。 みんなひがみ現性で生きているだけ、と落ち込むことが多い。ひがみというのが、人間の中で、本当に一番下らない感情ではないか。


僕なんか何でもないし、何もいい思いをしていないのに、ひがむやつがいる。もう、 嫌になってしまう。


「暴力温泉芸者」という名前は、言葉によってイメージを持たれないようにしたいと考えたものだ。日本のインディーロックの感じは出したいという気はしていて、「非常階段」とか 「筋肉少女帯」とか「恐悪狂人団」という、漢字を使ったバンド名にしたわけだけれど、ど うしてもわかりやすいイメージに落とされる。「暴力」と「温泉芸者」から、どうしてもキッチュなものと受け取られるのが、すごく嫌だった。


わかりやすく出たのが小室哲哉に、女のマネキンと相撲文字で「暴力温泉 芸者」と書かれたセットを作られて、ジャケットのイメージ通りとはいえ、これじゃあつまらんと痛感した。


よくないと反省しながらも、エンターテイメントだと思ってやっていたけれど、すべて、 若気の至りだった。言葉に対する考えがまだ浅はかで、この社会では、文字通りのイメージが 勝手に与えられてしまうものだと知らなかった。


でも、何かわからない。もうどうでもいい、あの頃のことは忘れた。ただ、あほくさと笑ってもらえればよかったのだが、何をやっても、ちょっとしたバカバカしさを表現するだけでは済まなくなる。 HMV渋谷がなくなる時代に、もはや、「渋谷系」も「デス渋谷系」 もへったくれもないだろう。


最近、深作欣二監督の「パニック大激突」(1976) 爆音上映するよう推薦した。 あの映画は、とにかくすごい。 最後のカーチェイスには驚くが、それまでの話はぜんぶ轟音にかき消されてゆく。すべてデタラメなのだが、警察が全国手配の銀行強盗を自由に空港に出入りさせることなどありえるのか。まず、空港を張るだろう。


僕は、大映と東映映画が大好きで、あとはどうでもよかったりする。 大映の上品さはいったいだれに向けられているものだか全く謎だし、東映の下世話さはと低俗という別の何かに到達している。 二つの映画会社の影響はとてもでかい。 若い頃は、東映の映画はあまり真面目に観ていなかったし、「暴走バニック大激突」みるまで深作欣二はあまり好きではなかった。アメリカン・ニューシネマの影響も感じるけれ と、七六年の作品だから、どれだけ真似しているのかは微妙である。スピルバーグの「 激突!カージャック」 (1974)のわけのわからなさも入っているけど、深作欣二の意識とは別に、表面上はアメリカン・ニューシネマに似ていても、映画そのものの中身はまったく違う。やってみたけれど、何だかよくわからないものになっちゃった。という感じである。 あの似て非なるもの、という世界のあり方は、僕の小説に少し、反映しているのかもしれない。


文学って何の役に立つのか


こうやって思い返してみると、 九〇年代が一番。 思い出すに足らないことばかりだった。 後半は、いわれるがまま書いて、何か忙しいという日々。しんどいとかいいながらも、時間が埋まらないかな、ということしか考えてなかった。バイトしたいが口癖だったけれど、 はもういえない。 四十になっちゃったから、どうせパイトないし。 バイトなど三十までしょう。


小説は、本気でやりたくなかった。でも、無理だったけれど、もっとたくさん書いとけばよかったか。 自分が書いたベストがあんなものなのか。 とにかく、小説というものに興味が持てないから仕方ない。話を見せたいならば映像でやればいいし、そもそも小説というのは、何の役に立っているのか、つい考えてしまう。文学者にいくら小説が嫌いだと話しても、だれもわかってくれなかった。 なぜわからない。 のかがでかい。何をやったって絶対わかってくれないのは、なんでだろう。何か駄目だ、 文学関連の人がついていけないというか人種がまったく相容れない。どうしてあんなに 文学が好きなのか。ミュージシャンなら大丈夫というか、まだ耐えられる。 だれのことをいっているのかを問われれば、だれのことも別に指してない。僕もお人よし なので、紹介されれば「ああ、どうも」と愛想のいいことをしてしまうけれども、いつも、 全然自分と関係ない人種だなと思ってしまう。


現状は絶望的だが、書き始めた頃には業界関係なく無邪気にやっていた時期もあった。 しがらみと関係なく、こんなものが活字になるなんて、というバカバカしさがあり、アハハハ 面白くていいや、と思ってやっていた。今でも、こんな文章が商品として流通するのというアホらしさだけはとても楽しい。


どんな仕事でも、片隅でやっているだけというわけにはいかない。ファンというのも一番信用がならない。どんどん伊坂幸太郎が読まれればいいと思う。知ったことではないし、 全然興味がない。目の前に来たら、ありがとうございましたというけれど、不幸の元凶は読者である。小説の読者は、人が不幸になってゆくのを見て喜んでいるとしか思えない。

世界はどんどん茶番になりつつある。今一番下らないな、と思うのは、新しく首相になった菅直人がよく行く喫茶店のおばちゃんが、各局に出ていることだ。バカじゃないかと本気で思う。上床さんとか、名前覚えちゃった。もう、どうでもいい。 なぜ、各局に登場するのかわけがわからない。


器の上に目ん玉


もう何度書いたりしゃべったりしたのかわからなくなったが、小説家としての僕は本当に不幸である。小説という仕事にまつわることはすべて忌まわしいし、みじめ。やっていれば、 人からは、結局、権威になりたいんだろう、というバカな理解しかされない。もう限界に来た。本当に疲れた。あまりにもいいことがなさすぎる。 僕は普通でいい。でも、人からいいとされることが全部金もうけでしかない世の中、働く意味がわからない。手っ取り早く金を手に入れるなら、万引きや強盗した方が早い。 値段がつくものが、どんどん限られている。今まで値段がつけられていたものでも、だれが決める わけでもなく、今後は値段がつかないものだと決められ、全部合理的なものしか労働の範疇に入らなくなる。 宝くじを事業仕分けするのは、本当にびっくりした。くそつまらない世の中になったものだ。


どう頑張っても前向きにはなれない。まとめようがないけれど、ひどいことにしかならなかった。今でも気持を殺して文章を書こうかな、と思うこともないけれど、精神的にはどんどんつらくなっている。 どうしようもない、救いもない。まったく無駄。 何の価値もない。人というのは、いっぱい悪いことすれば悪い人だと思うし、いいことしたらいい人だというだけだろう。単純な話である。 人の評価など、バカバカしいくらいわかりやすい。

どうすればいいのか、まったくわからない。 みんな自由ではないし、自分が特に自由ない。感じていることは一貫している。ただ、世の中の下らなさの方が自分を凌駕してるので、笑えなくなってきた。かといって、真面目にもやっていられない。


音楽はやっていて、責任があるという感じがしないから、まだ気楽だ。だから、アーティストという気持ちもない。 自分は矢面に立っているけれども、出ている音には何の責任も演奏していて、自分は偉いと感じたことは1回もない。基本的には、おれがおれがと 自我みたいなものをなくすものがやりたいのだけれど、人間にはムリなことなのか。


何もできないし、本当に不器用で、何でもない。小説も全然才能ない。 どう読まれていたとしても、すべてわからないし、過去のことだ。自信も何もない。一応名前とかいっぱい出ているけれど、元は何だったのか、いつもよくわからない。何してるんだよ、といつも思うとにかく、もう参ってしまった。


いい政治家がいいことをするともいえない。どれだけ汚いことをしていても絶対的に悪だと決めつけられない。すべてをコントロールしている人間はいないけれど、陰謀史観的なものは世界をかし ている。 オタクは陰謀史観を大好きだし。

だから、ピンチョンみたいな下らないものにうつつを抜かしちゃいかん。 バロウズも陰謀史観の人ですけれど、

あの人は陰謀なんかまったく信じていなくて、ただ人を煙に巻きたいだけだから許さない

ピンチョンの全集を出している新潮社の足を引っ張るような説教してますけど。 流れでジョイスの「ダブリナーズ」を読んだら、あまりにも話がないので感動した。どうでもいいことしか書いてない。川に行ったら変なおじさんがいたとか、家族のバーティに出て失敗し、帰り際に異常に妻に欲情したかと思えば、最後はいい話になるとか。 ジョイスはありです。 丸谷才一の訳のジョイスは全然読めないけれど、新潮文庫の柳瀬尚紀さんの訳はいい。

僕の家の近所で色々なことをやっている大嫌いな大宗教団体の悪口をいうのは止めた。 ではなく、やっているのは個人だから、あのじじいをぶん殴ってやればいいと思っている。 ぶん殴ったら死ぬかなで、そいつんちの玄関で首つって死ぬのがいいか。もう何も失うものもないし。


では、消去


今野雄二さんが死んだ。生活がたいへんだったのだろうか。ショックである。音楽にしても映画にしても、幼いときにすごい影響受けた。勝手な妄想で書かれていたとしても、いろいろ教えられた。 村崎百郎さんの事件にもびっくりした。ちょっとひどい。ファンに殺されるなんてことがあっていいのか。一時期ひんぱんに一緒になり、すばらしい書評を書いてくれた人なのに。

寂しいよ。みんな死んでしまう。
生きているのは、バカの上に妬み根性しかないネット世代。 村崎さんの事件だって、結局、 お金もうけて、セキュリティのある立派な家に住めという話にしかならない。普通の売れるようなくだらないものを書き、意味のないものを書いて、もうけるしかないという話。そんなものしかないような時代に生きていてうれしいのか。 本当にバカだ、もう一方で、百歳の人がどんどん消えてゆくんだから、すごい話だ。 世の中だ、まったく。 死体は自然消滅するのだろうか。だれも何ともしょうがないのかしら。 村崎さんの件では、どんなマンガもどんな映画もどんなゲームも罪はないけれど、インターネットにだけは罪があるとしみじみ思った。堂々と人の陰口を公にできるということに、 本当に問題があるということに気づかない人もいるのだ。匿名掲示板など、本当にひどい。 ネットとかなくなっちゃえばいい。でも、もう後戻りできないだろう。せめて住所の公表は、 ちゃんと止めなければいけないけれど、放置でしょう、たぶん。

 テレビだって、みんな見ているものではない。でも、インターネット時代になって。 すべ ての映像がみんな知っていることになってしまっている。 知らなくても知っている、知らざるをえない世界だから、一つ一つの出来事が安くなる。 人の死だって、その辺に落ちているレシートほどの価値もなく忘れられる。 清水アリカさんも死んだ。いい人だったとしか、 いいようがないのだが······


小説も書いてみたものの、ボツになって別の出版社にソッコーで売った。書きたくない。 という話がダメらしい。 久々にやってみて、俺はこの仕事向いてないなと確認した。「自伝」など、意味なんかないからやっているだけ。どうやっても、すべてうそになるものだし。 「トイ・ストーリー3」(2010)には本当にやられた。物というのは、ぱっと見だと永遠に生けるものだという話をしてしまう。ところが、実際は永遠などない。 だって、 大きくなればすぐ捨てられてしまう。そういう重いテーマを抱えながら、なおかつ、よどみなく楽しませるお金払った以上のものがある。本当にすばらしい。あんな仕事がしたかった。


段ボールから『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』一緒にが見つかった。

書評を見つけた。この人を知人が音楽の企画で呼んだが色んな電子機材を並べて反復して垂れ流しながらマイクで何かさけんでいるだけだった。

演奏が終わった後に一緒に見に行った先輩はなにかの本の話で雑談してて「せっかくだから何か聞いてみたら?」といわれて客としていた私は特に何もなかったので「演奏よかったです。」と一言で終わるとバーズムというバンドのTシャツを着てることを突っ込まれ「僕も同じの持ってます。今日着てこなくてよかった。」

とボソッと言われた。


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