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電子書籍『小山田圭吾はなぜ障害者をいじめなかったのか』を出版しました

 拝啓
 初夏の爽やかな風が心地いい季節となりました。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。

「孤立無援のブログ」を運営している私、電八郎は、このたび電子書籍を出版する運びとなりましたことをお知らせいたします。
 アマゾン(Amazon Kindle)でご購入いただけます。

『小山田圭吾はなぜ障害者をいじめなかったのか――根本敬から読み解く「村上清のいじめ紀行」』(出版社 危ないイチゴ)
 電八郎(「孤立無援のブログ」管理人)

小山田圭吾は障害者をいじめたの?
いじめてないの?
東京五輪での辞任騒動から3年、〝コーネリアス〟デビュー30周年、ちょっといい話!
「孤立無援のブログ」の電八郎が、あの騒動を、誰からも頼まれもしないのに蒸し返す! 
誰も書かなかった「因果者」としての小山田圭吾の「でも、やるんだよ!」精神に迫る超絶批評集!

 ブログ記事を元にしてますが、大幅に加筆した書き下ろし批評集です。
 原稿用紙換算で250枚くらいあります。

「でも、お高いんでしょ?」
「いいえ! それがなんと、電子書籍だからこそできる価格破壊! 出版界の常識をぶち破ります! こんな濃い批評集をこんな低価格で出されたら、他の出版社はもう終わり、やっていけません!」
「あら、すてき」
「しかも、今だけ、特別ご奉仕。なんと無料キャンペーンをやります! この機会にじゃんじゃんお友達にも宣伝してください!」
「買うわ! 買っちゃう!」

 なお、サンプル表示で句点「。」の位置が左になるミスが生じていますが、原因を調査中です、本文は問題ないので、安心してお買い上げください。


小山田圭吾はなぜ障害者をいじめなかったのか・根本敬から読み解く「村上清のいじめ紀行」


まえがき

 小山田圭吾は和光学園の生徒だった時に、障害者をいじめていたと過去の雑誌インタビューで語った。そのことが原因で、東京オリンピック・パラリンピックの音楽担当を辞任することになった。
 その後、謝罪文を公表して、障害者にうんこを食わせたりオナニーさせたりしたのは別の生徒で、自分はその目撃談を語ってしまったのだと弁明した。
 しかし、その謝罪文には日本語版と英語版とがあり、内容がかなり違っている。

 日本語版では、いじめ行為の一部は自分でやったと認めているが、英語版では、『ロッキング・オン・ジャパン』の記事は事実無根(factual inaccuracies)だと完全否定し、誤報(the misinformation)を訂正したいと思って『クイック・ジャパン』のインタビューを受けた、と書いている。
 そして、あたかも小山田圭吾が陰惨ないじめを行ったかのように見せかけたあるブログ記事のデマ(false information)によって、20年近くもこのデマが流布されてきた、と述べているのだ。

 つまり、海外に向けては、いじめ報道はデマであり、これは冤罪だとアピールしているのである。
 そしてまた、何ごともなかったかのように「ぺったらぺたらこ」と音楽活動を再開した。

 小山田が指弾した「あるブログ記事」とは、私が運営している「孤立無援のブログ」であることは間違いない。私が書いた「小山田圭吾における人間の研究」というブログ記事は大変な評判を呼び、首相官邸さえ動かして、小山田圭吾を東京五輪の音楽担当から辞任させたとさえ言われている。
 東京オリンピック・パラリンピックであのまま小山田圭吾の音楽が使われていたら、日本は世界に向けて大恥をかいていただろう。私は国益を守ったのだ。
 そのブログをデマ呼ばわりされては黙っていられない。

 冤罪は私の方である。
 書棚の奥から、よれよれになった『クイック・ジャパン』第3号を引っ張り出して、小山田圭吾のインタビューが載った「村上清のいじめ紀行」を再び徹底的に読み込んだ。
 小山田圭吾よ、障害者をいじめていません、などと、どの口で言えるのか。
 この喧嘩、買ってやろうと思った次第である。

目次

■ まえがき
■ 2021年の東京オリンピック
■ 小山田圭吾は海外向けに冤罪をアピール
■ それゆけ小山田圭吾!!いじめ危機一髪~
■ 情報雑誌と批評の死
■ 根本敬という特殊漫画家
■ 「絶対に押すなよ!」は「押してくれ!」という意味
■ 「いい顔のオヤジ」とはホームレスのこと
■ 「いい話」とは愚弄し嘲笑すること
■ ドブスを守る会
■ お笑いネタにされる障害者
■ 弱体化する反差別団体
■ 根本敬を好き好き大好き
■ ズルムケとフルチンとオリーブ少女
■ 根本敬の真似をした小山田圭吾
■ 「村上清のいじめ紀行」の元ネタは「内田研究とビックバン」
■ 沢田君の年賀状の元ネタは「きよみの手紙」
■ 『花のよたろう』ではなく『天然』
■ 根本敬の『天然』
■ カウンター・カルチャーと低俗文化
■ 常識ある一市民としての奥崎謙三
■ いかにして障害者を愚弄するようになったか
■ 「ヒッピーはヤッピーになれるか」を考える会
■ 根本敬におけるいじめと強姦
■ いじめられる側のプライド
■ 死体に人権なし
■ 世界で一番下品なのは誰か
■ すべてを平等に差別するから差別ではないというロジック
■ あとがき
■ 主要参考文献

2021年の東京オリンピック

 2021年夏の東京オリンピック・パラリンピックは、大荒れだった。
 次から次に不祥事が発覚し、反対派による中止を求める声が開催直前までやまなかった。国立競技場の建て替え問題、佐野研二郎による大会エンブレム盗用騒動、竹田恒和・日本オリンピック委員会(JOC)会長による東京五輪招致をめぐる贈収賄疑惑、組織委会長だった森喜朗による「女性蔑視」発言――。
 7月14日夜の出来事も、人々の嫌悪感を強く刺激した。東京オリンピック・パラリンピック開会式の音楽担当が、コーネリアスこと小山田圭吾だと発表されたのだ。
 ネットは炎上した。
 小山田圭吾は、1994年1月号の『ロッキング・オン・ジャパン』と、1995年8月発行の『クイック・ジャパン』(3号)のインタビュー記事において、障害者いじめを得意げに語っていた。そんな小山田圭吾がパラリンピックの音楽を担当するなんて、誰が見ても人選ミスだった。朝日新聞は2021年7月21日付の社説で、「人間の尊厳を重んじ、あらゆる差別の否定を掲げる五輪の式典に、こうした人物が関わることがふさわしいとは思えない」と述べている。
 小山田圭吾の障害者いじめは、ネットで広く知られていた。吉田豪は、「この20年くらい、小山田圭吾はずっと燃え続けてきたんですよ」と語っていた。
(久田将義と吉田豪の噂のワイドショー「【まとめ】オリンピック騒動【小山田圭吾・のぶみ・小林賢太郎】吉田豪×久田将義」)

 その通り、ネットで小山田圭吾を検索すれば、「障害者いじめ」がサジェストされるほど、このことは知られていた。組織委員会の誰も、ググることすらしなかったのか。
 しかし、今回の炎上は、それまでの燃え方とは規模が違った。会計検査院による大会経費の調査報告によれば、道路整備など関連経費も加えた総額は3兆6845億円に上る。東京五輪は、それだけの巨費が投じられた国際的なイベントである。そこに関わるのであるから、国民の合意が得られるような人選がなされるのが当然であろう。
 それなのに、ネットが炎上しても、オリンピックの組織委員会は小山田圭吾を留任させるつもりだったし、小山田圭吾も一度はこのまま続ける意向を示した。そのことがさらなる批判を呼んだ。
 7月19日、加藤内閣官房長官が記者会見で「大会組織委員会が適切に対応してほしい」と発言すると事態は急展開し、その夜、小山田圭吾は音楽担当を辞任した。
 組織委員会もだが、この件に対する小山田圭吾の対応もまずかった。こうなるまでに小山田圭吾が一度でも公的な声明なり謝罪文なりを出していれば、ここまで事態は悪くならなかっただろう。
 障害者いじめ発言については、20年くらいずっと燃え続けていながら、小山田圭吾は公的には何もしなかった。
 宇川直宏が小山田擁護のために仲間を結集して制作したDOMMUNE「小山田圭吾氏と出来事の真相」というネット配信番組の中で、ネットワーカーのばるぼらが、膨大なコレクションの中から、小山田圭吾が反省しているかのようにみえる発言を発掘して紹介していた。しかし、いずれも少人数のトークライブでファン向けに言い訳をしていたくらいで、逆に公的には何の謝罪もしていないことが明らかとなった。
 私はかれこれ20年くらい「孤立無援のブログ」というブログを運営しており、この中で、2006年に「小山田圭吾における人間の研究」という小山田に対する批判記事を書いた。これに対しても、私のところに記事の削除要請が来ることも、法的措置を取るとの警告書が届くこともなかった。
 芸能人は事務所に所属しているのだから、そのアーティストイメージを守るのは事務所の役目だと思うが、公的には何もしなかった。

 無視する、というのは、おそらく一番やってはいけないことである。
 例えば、1999年に『日蝕』で芥川賞を受賞した平野啓一郎は、佐藤亜紀から同作に「ぱくり」という嫌疑をかけられた。
 ネットでも騒動となったが、当初は事実無根だからと無視していた。しかしネットの世界では、たとえデマであろうが訂正されない限りずっと残り続ける。したがって、積極的にネット空間に「言葉を発する」ことがいかに重要かということに気づき、公式ブログにおいてこの嫌疑を否定する記事を発信した。
 以下の記述は、じつに示唆に富んでいる。

「web2.0以降、「巻き込まれた人間」は、ただ黙っていても、状況を改善されず、それどころか、悪化させてゆくこととなった。重要なのは、その悪化が、必ずしも「悪意」によってもたらされるのではなく、情報に対する個々人の正当な行為の結果として、もたらされるという事実である。その状況を不当と感じるならば、自らが積極的に、新しい情報となる言葉を発しなければならない。」
(平野啓一郎 公式ブログ「web2.0的世界において、「名誉」を守るということについて」2006年9月15日)

 したがって、オリ・パラ開会式の音楽担当に抜擢されるまで、この問題を放置し続けた小山田圭吾にこそ、第一の責任がある。自業自得である。
 これは余談だが、デマブログの作者などという事実無根の誹謗中傷に対して、私が反論の言葉を発し続けるのも、このためである。自分の「名誉」は、自分で守らなければならない。

小山田圭吾は海外向けに冤罪をアピール

 五輪の音楽担当を辞任してからの小山田圭吾の対応も、誠実とは言えないものだった。小山田圭吾のもとにはマスコミ各社からの取材要請が殺到していたが、これに応えず、中原一歩という音楽事情にまったく疎いノンフィクション作家を選んでインタビューに答え、その記事は「週刊文春」(2021年9月23日号)に掲載された。
 この時点で、中原一歩は小山田圭吾の音楽を聴いたこともなかった。さらに、小山田のソロユニット名「コーネリアス」をバンド名だと思っており、フリッパーズ・ギターのことを「フリッパーズ・ジター」と発音し、音楽業界ではロッキング・オン社が絶大な権力を握って「ロッキン村」を形成しており、これに逆らった音楽ライターは業界から干される、という与太話を吹聴して回っていた。
(西山 里緒/浜田敬子「なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか?"音楽ロッキン村"問題を今考える」ビジネス・インサイダー・ジャパン)

 中原一歩というのは、ピースボートの共同代表だった人物で、それを辞した後、浜田敬子副編集長の下で雑誌『AERA』(朝日新聞出版)の記者となる。東日本大震災で被災した石巻市を取材し、『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』 (朝日新書)を刊行し、被災地のボランティアで活躍するピースボートの姿を英雄的に描いた本でデビューする。
 だが、同書で「奇跡の災害ボランティア」と称賛したNPO法人の会長は、のちに石巻市から復興事業の補助金5千7百万円余りをだまし取っていたことが発覚し、詐欺罪で逮捕され、仙台高裁で懲役4年の罪が確定する。
 中原一歩がこの事件に触れることはない。またピースボートにいた経歴を伏せたまま、「ノンフィクション作家」として、その後も雑誌『AERA』(朝日新聞出版)で数年にわたり政治家のインタビュー記事を担当する。
 さらに、不偏不党であるはずのノンフィクション作家でありながら、立憲民主党の広報を請け負う株式会社GENAUという制作会社を経営しており、ネットメディアのCLP(Choose Life Project)が立憲民主党から資金提供を受けていた問題では、中原一歩がその仲介役だったことが判明する。
(「立民のネットメディアへの1500万円提供 背景に〝活動家〟の仲介業者が」所収『週刊新潮』2022年1月20日号)

 中原一歩は立憲民主党との関係を伏せたまま、立憲民主党の小川淳也と共著で、『本当に君は総理大臣になれないのか』 (講談社現代新書)を刊行し、小川淳也の香川1区での当選に一役買った。
 また、立憲民主党からの資金提供が発覚したCLPは外部専門家に依頼して調査報告書を公表するとしたが、その外部専門家に選任されたのが浜田敬子である。
(Choose Life Project 調査報告書の公表に関するお知らせ)

https://cl-p.jp/wp-content/uploads/2022/07/clphohkoku.pdf

 私との関係でいえば、中原一歩は私に一切取材することなく、「孤立無援のブログ」が元記事を勝手に書き換えて、それが原因で小山田の炎上が起こった、という虚偽の事実を流布している。事実無根だから訂正しろと何度申し入れても無視している。これが、中原一歩の正体である。

 中原一歩による小山田インタビュー記事が載った「週刊文春」が店頭に並んだのは、9月15日である。そのタイミングに合わせたかのように、翌日の16日、「村上清のいじめ紀行」(『クイック・ジャパン』所収)を執筆した村上清が、太田出版の公式サイトに謝罪文を発表した。
 さらに、そのタイミングにあわせたかのように、翌日の9月17日、小山田圭吾は公式サイトに、謝罪文を掲載した。こうした一連の動きはとても偶然とは思えず、おそらく裏で連携を取っていたのだろう。
 その謝罪文の中で、小山田は以下のとおり、記事の中で沢田君(仮名)と呼ばれる障害者とは、友人であったと述べている。

 その彼とは中学ではほとんど接点がなく、高校に入り同じクラスになって再会してからは、会話をする機会も増え、手紙や年賀状のやり取りをするなど、自分にとっては友人の一人でした。小学生時代の自分が彼を傷付けたことは事実ですし、雑誌であのように軽率に語っている以上、それは自分の一方的な認識ではないのかと思われても仕方がありませんが、高校生時代の実体験としての彼との日常を思い返すと、友人という言い方以外は難しいというのが正直な気持ちです。
(小山田圭吾「いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明」)

 沢田君は「村上清のいじめ紀行」に掲載の時点で、病状がひどくなっており、家族とも「うん」「そう」程度の会話しかできない。村上清はその姿を見て「ちょっとホーキング入ってる」(67頁)と書いているが、理論物理学者のホーキング博士の病気はALS(筋萎縮性側索硬化症)であり、「学習障害」とされる沢田君とはまったく別の病気である。したがって、村上清は障害者に関するまともな知識もないままにこれを執筆していた。
 そのような沢田君について、加害者である小山田が一方的に友人だったと言ったところで、そんな言葉は何の証拠にもならない。加害者が、いじめていない、と証言するだけで無罪になるなら、警察も裁判所もいらない。仮に友人だったとしても、その友人の醜態を商業誌のインタビューでさらして笑いものにすることが許されるはずもない。
 さらに、この謝罪文には日本語版の他に英語版が作られており、これが単に日本語を英語に翻訳したのではなく、その内容までも違っていた。英語版では海外向けに、自分は障害者をいじめていない、これは冤罪だとアピールしているのだ。
 片岡大右は『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』(集英社新書・232頁)で次のように、「孤立無援のブログ」が原因で小山田の炎上が起きたと書いている。

「匿名掲示板の正義がそのまま全国紙の正義となり、そこからさらには地上波テレビへ、国際報道へと、問題含みの情報伝達が広がりを見せた今回のインフォデミックの決定的要因としては、なにより「孤立無援のブログ」の存在を挙げなければならない。」(原文には脚注番号*5、*6あり。「国際報道へと*5/挙げなければならない*6)

 そして、片岡大右はその脚注6において、小山田圭吾は謝罪文の英語版において、はっきりと「孤立無援のブログ」による「偽情報、デマ(false information)」のせいで、自分はやってもいない暴力行為の加害者にされた、と明言していると述べている。以下に引用する。


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