よきことをなす人たちによるハラスメント/搾取について(セーラームーン・ウテナ・ピンドラ・プリキュアのネタバレ大あり)

東映アニメ版「美少女戦士セーラームーン」(第一作)のクライマックスは衝撃的だった。うさぎ(セーラームーン)を、衛(タキシード仮面/エンディミオン)のもとにたどりつかせるために、セーラー戦士たちが一人一人倒れて行くのだ。よくある「ここはオレにまかせて早く行け」ではあるのだが、ガチで一人ずつ「死んで」行くのだ。そして衛の元にたどり着いたうさぎもまた、世界と衛を救うために自らを犠牲にして「幻の銀水晶」の力を解放する。それはうさぎの死も意味していた……。
幻の銀水晶が起こした奇跡により、命を失ったセーラー戦士+衛は、全員(戦いの記憶を全て失った状態で)蘇り、日常に帰還する。もちろん翌週には「R」がはじまって、全員記憶を取り戻して新たな戦いに向かっていくわけだが、少なくとも一度は全員が明確に「自己犠牲により死んだ」のである。
「R」以降、セーラー戦士が明確に「死ぬ」ことはなかった(R劇場版でうさぎが死ぬが、R劇場版は無印クライマックスのリメイク的作品。Sラストでほたるが死に転生するのが例外か)が、シリーズを通して、「自己犠牲は美しく尊いものである」として描かれた。これは「R」から「SuperS」までの監督を務めた幾原邦彦氏(以下イクニ)も、その時点ではそう考えていたのだろう。
「SuperS」後、東映を離れたイクニは「ビーパパス」を設立、「少女革命ウテナ」を制作する。主人公は「かつて自分を救ってくれた王子様に憧れ、自ら王子様になろうとする少女」天上ウテナ。しかし終盤、驚くべき事実が判明する。世界を救うために全てを与え尽くした(自己犠牲の果て燃え尽きた)王子様は、「世界の果て」になり果て、魔女(薔薇の花嫁)から/魔女を通して世界から、搾取する存在になり果てていたのである。
ウテナは魔女を救うため、「世界の果て」と化した王子様を追い詰めるが、魔女の裏切り(この裏切りには多様な解釈が可能)により倒れる。しかし最後に、(ピングドラム(後述)を与えることで?)魔女を解放する。解放された魔女は、(ピングドラムを与える/分け合うために?)どこかにいるはずのウテナ(自分の/新たなウテナ?)を探す旅に出て物語は終わる。この時点でイクニの頭の中に「ピングドラム」はまだ存在しなかったと思われるが、「自己犠牲(一方的に与える)を続けると、いつかは燃え尽き、世界の果てとなって、搾取する側になる」という真実が提示されている。私も身近な人間で「世界の果て」になってしまった「王子様」を見ているし、「べてぶくろ」「cotree」「東京シューレ」などで起こった搾取(いずれもセクハラ/性暴力なのが興味深い)は、この構造によるものではないかとも考えている。
そしてイクニが次に制作したのが「輪るピングドラム」。妹の生命を救うために「ピングドラム」を探す兄弟の物語であるが、「ピングドラム」が何なのかは明言されない。それを「愛」と呼ぶのはあまりにも雑で「与えることと受け取ることと分け合うことはできるけど、手に入れることはできないもの」というのがギリギリの定義か(誰かを愛すること=生きる力、という解釈は見た)。「ピングドラム」を与えることは自己犠牲なのだけど、ピングドラムを「循環」させることで、「世界の果て」にならずに済むという道が提示された(ピングドラムを二人で分け合うだけでは、共依存の閉じた世界になるということだろうか)。
その後の「ユリ熊嵐」「さらざんまい」は、「ピングドラムを循環させることで、我々は何者かになれる」という前提のもと、個別のイシューを追及した作品群に見える。
ここでイクニの話から離れて、東映アニメーションが「セーラームーン」からしばらく経ってチャレンジした「プリキュア」シリーズに話を移す。「プリキュア」は「セーラームーン」との差別化のためか「自己犠牲」を否定した。彼女たちはかけがえのない日常を守るために戦うが、決して自分を犠牲にしようとしない。俗に「光堕ち」の元祖とされる「フレッシュプリキュア!」のイース/東せつなは、敵幹部として登場し、桃園ラブ/キュアピーチと拳で語り合った末、プリキュアとして再生する。しかし彼女は贖罪のために戦いを強いられるのではなく「真っ赤なハートは幸せの証!」(名乗り)と、幸せになることを肯定されているのである。
「Hugっと!プリキュア」ではさらに一歩進む。最初の歴史で野乃はな/キュアエールは、世界を救うために自らを犠牲にした。しかし最愛の妻を失ったジョージ・クライは怪物となり、はなを取り戻すためもう一度歴史をやり直し、世界が一番幸福な瞬間に、世界の時間を止めようとする。やり直した世界ではぐたんや仲間と出会えたはなは「自分を応援」できるようになったことで、自らを犠牲にすることなく、ジョージを救う。
「ヒーリングっど プリキュア」ではさらに踏み込み、かつて自分を利用した敵幹部に「オレを体の中に匿ってくれ」と命乞いをされた花寺のどか/キュアグレースは葛藤するが「今あなたを救っても、あなたはまた悪いことを繰り返す。私の心も体も私のもの。あなたの自由にはさせない!」と宣言する。
プリキュアは幼女先輩向けの作品なので「奉仕の心は尊いけれど、自分を犠牲にしないで」は必要十分なメッセージだと思う。
イクニの話に戻る。今年(2022年)、「輪るピングドラム」の再編集劇場版(新作パートあり)が公開された。この原稿執筆時点で、筆者は後編を未見であるが、劇場版の主題歌「僕の存在証明」はこうはじまる。
「ねえ神様 僕を全部使って」
我々は「自分を犠牲にして、誰かのために役立ちたい」という欲望(愛すること=生きる意味なのかも)を抱えており、それは「善なる欲望」とされる。対して、全てを与え尽くした時にその欲望が反転し「世界の果て」になって、搾取する側に回ってしまうシステム(そのメカニズムについてはまた別の機会に追求したい)については、余りにも知られていない(し、皆も知りたくないだろう)。
「よきことをなす人たちのハラスメント」問題に対処するためには、まずこのシステムの周知が必要なのだろう。

余談 「ビーパパス」て「プロジェクト・ファザーフッド」(ニューヨークのスラムで、よき父親になろうとする男たちの奮闘を描いたドキュメント。最高!)と同じ意味だよね…

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