「光源」

ある夜、コンビニに行った帰り、深夜は2時30分を回ったころだろうか、夜空の果てに小さな光源が見えた。はじめは、雲に隠れた月かと思った。しかしそれは月ではなかった。その光源は、どんどん明るさを増していき、そして何やらどんどんでかくなるではないか。おれはふと不思議に思い、好奇心から立ち止まってその光を観察してみた。コメ粒ほどの光は人間の手ほどの大きさになった。もちろん遠近法を交えた比喩である。その光はなんだか丸い形をしていた。だんだんとその光がなんなのかおれにはわかってきたが、あまりにもばからしいのでこれは夢かと思った。その光源は、人間の顔だった。夜空にいまやくっきりと人間の顔が浮かんでいる。シュールレアリストの書いたものか、夢日記でしかありえないのだが、おれの瞳は確かに、夜空にでかでかとした人間の、あれは多分女だろう、の顔を映していた。さて、困ったことに、そのピカピカ光る人間の顔はどんどん大きくなるばかり、そしてにんまり笑っているのが見て取れる。まいったなハハハ、ああ、辺りは深夜だと言うのにもう夕方並みに明るくなった。不思議とその光源からは太陽を浴びるときに感じる、あの温かみがあった。顔はどんどん大きくなり、ついぞ天をまるまる覆ってしまった。一帯は昼のような明るさだった。太陽ほど眩しくはなく、光源の顔が良く見えた。なかなか美人な女がにんまり笑っていた。瞳は緑色で外人のようだ。人間の顔をこんなにまじまじと見るのは初めてで、人間と言うのは不思議な顔の形をしていると改めて思ったものだ。人々が起きだし、ベランダに出て顔を眺めるもの、外に出てきて写真を撮るもの、おかしくなって池に飛び込み泳ぎだすもの、種々様々な状態で皆、この異常な状況を楽しんでいた。この光源のせいで、
夜はなくなった。そのことはおれにとって本当にありがたいことだった。昼夜逆転の生活を送るおれは、この光のおかげで気分の落ち込みも減り、なんと働けるようになったのだ。ネットの記事で見たが、案外そういう人は多いらしい。その顔は太陽の出始めと共に消える。太陽が沈むと、遠くから徐々に近づいてきて、午前2時には一帯を灯す。その顔には名前が付けられ、案の定、それを神だと仰ぐ人たちによる宗教団体や、顔の皺の数で占いをする人たちが現れた。そのほかはもう、御想像にお任せする。それから5年がたった。おれは仕事も順調で、彼女もできた。すべてあの顔のおかげだ。そ
んなある時、光源の異変に気が付いた。目の笑い皺が増えているのだ。毎日見るもんだから見間違うはずはない、この顔は確かに、年を取っていた。そうなると世間は騒いだ。「あの顔が死んでしまったら、すなわち世界の破滅なのだ」という意見が大半だった。そんなバカなと一蹴するわけにもいかなかった、なんせ天を包む顔があること自体がバカなことなのだから。その終末論は日本だけでなく、全人類において共有された。さて20年経ち光源の
皺がいよいよ深くなった時、我々人類に希望の光が見えた。なんと、顔は赤ちゃんを産んでいたのだ。それは月のように、まん丸くて可愛い赤ちゃんの顔だった。ぷくーと浮かんで、時折泣いたり、笑ったり、しゃべったりもした。母親となった光源の笑みは母性的なものを宿した。やがて、その月のような可愛い赤ちゃんは大きくなった。それにつれて母親である光源は老けていった。お母さん光源は、死にあって、初めて我々に「ありがとう」という言葉を残し、消えた。その代わりに赤ちゃん光源が可憐な少女となり、また笑みを浮かべながら我々を照らしてくれた。

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