「乗り継ぎ」


意識が、あった。誰もそれに気付いていない。おれは消防士だ。街で20年に一度の大火災があった時、おれの身体は動物だった。思考はとまり、習慣というありがたい装置によって防災服を着、ヘルメットを付け、出動していた。頭は真っ白だった。しかし何をするべきか、おれの体はわかっていた。救助活動をしている間、やっぱり頭は真っ白だった。赤黒い炎とは反対におれは真っ白なまま、むしろその真っ白さでもって火を消した。おばあさんをかつぎ、子供を腕に抱き人一倍動いた。最後の1人を助けようとしたとき、瓦礫と炎はもう我慢ならず、おれに襲いかかってきた。おれはなんとか仲間に助け出された。けれどおれの肺は一定以上の一酸化炭素を吸引してしまい、脳に障害が残り、植物人間になった。そんな医者の説明をおれは確かに聞いていた。おれには今、自分が生き残った理由が分かる。下腹部に感じる膨張がおれを生き長らえさせたのだ。おれの中にいる遺伝子はおれというバスを乗り継ぎ、永遠に生きていたいと醜く叫んでいる。遺伝子はこのバスを乗り捨て早く次の目的地へ行きたがっている。おい、そんなに急いでどうする。未来では空飛ぶ車が飛び回り、太陽系の惑星はコロニーになり、あらゆる犯罪が未然に防がれる。そんな社会になっているかもしれない。けど、そんなに見たいかね。遺伝子よ、おれと一緒に死んではくれないのかね。
遺伝子の怒りはおれの下腹部に現れる。何度かそれは外に出たが、パンツの中で息絶えた。遺伝子よ、もうあきらめろ。おれはお前と一緒に死にたいよ。けれども遺伝子はあきらめない。2週間に一度くらい、外の世界に飛び出しては、外気に殺され、繊維に殺される。もう、いいじゃないか、未来ではもしかしたら人間は不老不死になるかもしれない。そしたら遺伝子よ、おまえの行き場所はなくなってしまうじゃないか。肉体という牢獄に何万年、何億年も閉じ込められるだけじゃないか。同じバスに乗り続けるなんて辛いじゃないか。もうよせ、そんなことは。おれの思いとは裏腹に遺伝子にもチャンスがやってきた。それは30半ばの看護師だった。気を利かせてかは知らないがツンと鼻刺すバラの香水を振りまいておれの部屋に入ってきた。おれに顔を近づけて、グロテスクな笑顔で笑う。遺伝子は大喜びで跳ね回る。おれは悔しくてバタバタ体を動かそうとするが、地球にある全部の空気に押しつぶされているかのように、ぴくりとも動かない、動けない。看護師はふっとおれの唇にせっぷんする。頭を撫でられる。永遠に撫でられる。看護師は遺伝子を嘲笑うかのように、ずぅっと頭を撫で、吐息を吹きかけ、また頭を撫で、そして…… 。
遺伝子よ、よかったじゃないか。おまえは今、そっちのバスに乗り継いだんだね。だったらよかったじゃないか。おれはここでおまえに乗り捨てられ、朽ちていく。朽ちていく。よかったじゃないか。よかったじゃないか。……

プチ文学賞に使わせたいただきます。ご賛同ありがとうございます! 一緒に文学界を盛り上げましょう!