「包丁」


目の前に、包丁がある。おれはそれで、人を刺すことができる。誰かの生命を理不尽に奪うことができる。通り魔的に殺すことができる。2年の浪人の末やっと第一志望の国立大学に合格した若者の命を奪うことができる。難産の末やっと生まれた2歳児を両親から奪うことができる。ガン治療に来ている人を苦しみから救ってやることもできるし、おれと同じように殺人を企てているやつを阻止して、見知らぬ命を救うこともできる。あるいは、ステー
キを切ることができる。娘に食べやすい大きさに4cmくらいに切ることができる。またあるいは、おれ自身の動脈を切って自殺することもできる。無限の可能性を秘めた、包丁が目の前にある。そこまで使い古してはいない。女房が買ってきたものだ。ごく普通の、暗く光る包丁がある。高校の卒業記念でなぜか送られて父兄の失笑を買った料理鋏の横に包丁がある。黄ばんだまな板の上に包丁はある。この包丁をどう使うかはおれの自由。これが自由
の味。おれは包丁を握りしめる。人を刺したときの感覚に震える。背中から刺したときと正面から刺したときの感覚はまた違うのだろう。ぬめりと刺したら、それは絶頂よりも気持ちがいいのだろう。いや、案外感覚はそんなになくて、あっさりしたものかもしれない。これで子供の首を切ったら、不快な気分になるだろう。しかし興奮はするのだろう。刺したら血があふれてツンと鼻をさすだろう。おれはこの包丁をどうやって使うべきだろうか。おれは包丁を握りしめ、その刃を眺めながら思う。人を刺すのは、よくないことだ。そしてもし、殺人をするならば、50%の確率で、矛先は家族に向く。殺人罪の被害者の半数以上が加害者の家族だ。通り魔的に殺す奴なんて、例外中の例外。おれは、家族が好きだ。女房が好きだ、一人娘が好きだ。だから、殺したくはない。だから、包丁をそっと置く。これは小説だから、この日常的な凶器を使って、非日常的な事件を起こし、読者の眠気覚ましに片肌脱ぐべきなのだろうが、おれはそんなことしたくない。家族が被害者になるなんて、そんなおぞましいことしたくない。でも包丁にはその可能性が含まれている。ここにあるこの物質は、家族殺しの引き金になる。これは、よくない。おれは、包丁を憎んだ。なぜ、こんなものが、家にあるのか、こんなに簡単に人を殺せるものが、なぜここに、気楽に、居座っているのか。それが理解できない。納得もできない。おかしい、なぜこんなものの存在を女房は、世間は、許しているのか?利便性?利便性の為に人が死ぬのを黙って見過ごすと言うのか。おかしな話じゃないか。この包丁が、日本社会においては、被害者を産み、加害者をも産む。許せない。

おれは包丁を捨てることにした。はて、どこに捨てようか。ゴミに出すのもいいが、ここはひとつ、山に捨てよう。殺人事件の加害者はよく、山に凶器を捨てたりする。捜査員が大所帯でナイフやら包丁やらを探すのは、テレビ越しによく見る光景だ。あれをやってみたい。おれは近くの山に15分かけて行った。包丁を新聞紙に包んで。ケチャップをぶっかけ、それらしく見せることにした。まさにドラマで見るような、凶器が出来上がった。ドラ
マと違うのはケチャップの臭いがすることだ。山についた。車を降り、危ないが山林に入っていく。ここで放火なんてしたら、大騒ぎになるだろうな。おれは、捕まりたくないから、そんなことはしないけれど。10分ほど林を抜け、ここらへんかと思ったところに穴を掘る。シャベルを使って穴を掘る。一応、リアリティの為に、人間が入れるくらいの穴を掘る。包丁を見てみる。すると、ケチャップは本物の血に見えてきた。おれはびっくりして凶器を落とす。手が震えてくる。血の臭いがする。捕まりたくない。捕まりたくない。大体、女房が悪いんだ。働け働けって嫌味を言うからいけないんだ。金を素直に渡さないからいけないんだ。娘も悪いんだ。あれくらいでわーきゃー騒ぎやがって。おれは悪くない。捕まりたくない。捕まりたくない。
なんてね。

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