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不登校の始まりと私の懺悔

続けて息子の経緯を書いて行こうと思う。古傷をつつくこの作業は私にとって、とても難しい作業。でも何故か今やらなければいけない気がしてる。私と息子が泣きながらも向き合って生きてきた毎日をいつか懐かしく読み返せる日が来るように記録に残しておこう。

前述のように、小学校0年生はアップダウンがありながらも、なんとか楽しく過ごせていた。というのも、0年生はほとんど授業がないからだ。あるとしても、外に出て何か体験をして、それをもとに教室で絵を書いたり、話しをしたりの学びがほとんど。

基本楽しい経験が大好きな息子は、行事があるときは楽しく学校に通えていたし、その頃は驚くような素敵な絵を書いて持ち帰り、私たちを驚かせたりもしたものだ(今ではもう絶対に絵は書かないと決めてしまっているが)。

1年生になると、いよいよ座学がスタートする。ほんの少し宿題らしいものも始まった。まず併発のADHDの特性から座っていることが出来ず、先生に叱られる毎日。学校で精一杯のエネルギーを使って頑張って、家に帰ると親にまた宿題を要求される日々。

そうなると、もう息子はどんどん自分の許容量を大きく超えて心のエネルギーを使い果たして行った。段々家に帰ってからメルトダウンを起こす日々が増えてきて、そして学校に行きたがらない日も増えてきた。

それでも、学校に相談すると、学校に来てしまえば楽しく出来ているから、私たち家庭の役割はなんとか学校に来れるように支えること。行かない日が増えると、そのまま不登校になってしまうから、と…

私は、学校に行きたがらない息子を、文字通り人参で馬をつるかのように、朝からキャラメルやチョコレートを口に含ませ、なんとか家から一緒に出発させて学校へ向かって行った。

そんなある日、息子は私に自分はある子にいじめられていると話してくれた。彼は、息子に宿題を変わりにさせたり、息子のトレードマークの帽子を奪い取って泣きながら追いかける息子を他の子と一緒にからかってみたり…。

担任とその子の母親と話し合う機会を持ち、その後私たちはそのいじめている男の子を家に呼んだりもしてみた。その子の母親は母親で、彼はADHDの気質があると悩んでいたのだ。

私は、息子の味方になってあげる前に、その子となんとか仲良くなれないかと試みてしまった。そうすれば楽しく学校に通えるかもしれないし、何よりもその時の私は「友達を嫌う」という心より、「誰とでも仲良くなれる」という特性を無理やり身に付けさせようとしていたのだ。

そのことについては、後々息子から何度も「あの時お母さんは自分を助けようとしてくれなかった」と言われた。

もし、今この記事を呼んで下さっている親御さんの中に、そういう思いでお子さんのいじめ問題を解決しようとされている方がいらしたら(私のような無頓着な母親は珍しいと思うが)、是非少し立ち止まって考えて欲しいと思う。

子供は正論が聞きたいわけではなく、ただただ親にどんな時でも自分の一番の味方であって欲しいのだということを。

考えてみて欲しい。もし自分が職場で上司にパワハラを受けていたとしよう。それをやっとの思いでご主人、または奥さんに打ち明けた時に、「それはあなたがもう少し心を広く持って、上司の言うことを受け入れられる器にならなきゃ」と正論を言われたらどう思うだろうか。

私なら、少なくとも2度と主人には相談するまいと固く心に誓うだろう。。。

人は誰かに相談しようとする時、まずは話を聞いて、自分の味方になって欲しいものだ。そうしてもらって初めて、自分に少し余裕ができ、違う意見も受け入れてみようと思えるようになるかもしれないのだ。

私が必死で学校に連れて行こう、学校のいじめっ子とも仲良く出来るようになってもらいたい、と思ってやっていたことは、息子にとってはただただ、親にわかってもらえない苦しみを強いられているに過ぎなかったと気づいたのはずっと後になってからのことだった。

キャラメルをほうばる息子の小さな手を繋いで毎日学校に向かっていたあの頃。今思っても、本当にあの時の息子に懺悔の気持ちでいっぱいだ。「ごめんね、あの時お母さんわかってあげられなくて本当にごめんね…」そう言えるようになっていた時には、息子はもう学校に行かなくなってしまっていた。

以下当時の私の日記より(一部編集)

学校に行かなくなってから彼は完全に心を閉ざしてしまった。私に対しても。傷ついた心の精一杯の防御方法だったのだろう。

もともと、コミュニケーションは一方通行。呼びかけて気が付くのはたぶん5%未満の確立かも。それにも増して、彼は大きな怒りを心の中に育てていた。たくさんたくさん我慢してきたから。一生懸命頑張ってきたから。

その怒りは凄まじく、私たちの日常はとても荒れていった。

歯磨き、シャワー、全て出来ない。ご飯ももちろん、毎日決まったものしか食べない。怒ると手をつけられないくらい暴れる、蹴る、物を投げる。

どうしていいのかわからない夏を過ごした。

いろんな人に救われた。

専門家たちは声をそろえて、今は彼の好きなようにさせて心を休ませるように言う。

でも、これでいいの?本当にこれでいいの?

暴れて、自暴自棄になったときは、僕は死ぬんだ~って頭をベットの柵に打ち付ける。

彼の心を救いたいともがいた日々。

近所の人達には、彼が大声を出すことが多いので、事情を説明して回った。みんな温かく理解を示してくれた。きっとまた始まったって思ってはいるだろうけど。

乗馬をきっかけに閉ざした心を少しずつ開け始めた夏の終わり。苦しかったね。

少しずつママとパパと明るい未来に向かって歩いて行こうね。

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