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聞書き 遊郭 成駒屋   神崎宣武

初版は平成元年1989年の出版。文庫本として2017年、30年を経て「ちくま文庫」として出版された。
民俗学や神崎先生を知っいる方には名著の誉れ高い1冊。私も読みながら、大いに頷いたり、真剣に首を傾げたり、また自分の来し方を振り返りかなり落ち込んだりもしたが、それは書かないでおく。
この本に書かれているのは民俗学の研究や学問としての報告の類ではない。そこがこの1冊の凄いところだ。先ず中心舞台は名古屋の中村地区。嘗ては全国的に有名な赤線地帯(戦後的な言葉で言えば)だった所である。著者はある日(1977年)中村地区を歩いていて1軒の木造家屋の解体作業の現場に出くわす。それが他でもない「中村遊郭・成駒屋」だった。
遊郭だった建物が取り壊されようとしている。しかもあらゆる物が捨てられようとしており、まだいくらかは解体現場に散乱している。2階に至ってはほぼ往時のままの部分さえある。その場で民俗学者の魂に火が入ったかの如く、著者は手にできる物はガラクタの類まで全てトラックに積んで集め収集し分類し表を作り、関係者を丁寧に探し、探せなければ、往時を見知っている人から話を聞き、更に「遊郭」を知っている人を訪ね、或いは紹介してもらい出来る限りの手を尽くし、努力を重ね文章にまとめた。
簡単に言うが簡単ではない。また、遊郭の関係者がそうは簡単に話をしてくれるはずがない。驚くほどの情熱と執念だ。重要なのはそれだけではない。人と話をするに足るだけの人間性をこちらが持っていないといけない。また、話をすることへの技術や経験も必要だ。
吸い込まれるように読み進めていくと、私には出来ないな・・と言う学問への諦めや、自分の中で芽生えてくる投げやりな感情を禁じ得ない。またその難しさは第3章「娼妓(しょうぎ)たちの人生」を読めば明らかだ。著者自身の深い洞察や自身への問いかけなど、1つ社会的な問いかけだけではなく、自分自身、そして対象である娼妓たちの人生や存在への考察なしには通り抜けることはできない奥深いものがある。著者はそのようなことまで赤裸々に書いている。
それはそれで驚くべきことかもしれない。何故なら民俗学という学問の世界で、自分の内奥まで探られさらけ出されることは無いだろうと思ってしまうからだ。それが「遊郭」を学問する。「娼妓」を学問する。ということかもしれない。だが、この書の優れている点は、それを書いている神崎氏自身が登場し、悩み苦悩さえする姿を読者は知る。
私は何度か学問という言葉を使ってきたが、これは学問や民俗学の本ではないかもしれない。その道の方法論を書き記した道標ではあるかもしれないが・・
この書は神崎宣武と言う一人の民俗学者の大きな姿を知る書なのだ。
神崎先生は岡山の神社で神主を勤めながら、積極的に後進を育てておられる。
是非とも会いたい!