見出し画像

ウロボロスの遺伝子(44) 第8章 廃校舎③

「三年前の川崎の交通事故の事は、覚えているでしょう?」
「高齢者の自動車暴走で、二名の死者と多くの重軽傷者を出した痛ましい事件よ。ニュースで何度も報道され、テレビのワイドショーでも大きく取り扱われたから、知らないとは言わせないわ!」
「それが君と私に何の関係があるんだ」と福山がおずおずと聞いた。
「二名の死者のうちの一人が私の母で、運転していた高齢者の老人があなたの義理の父親よ!」と秋菜が言い放った。
「んっ」福山が声を詰まらせた。

「あなたはもう理解したと思うけど、赤城さんと黒田さんにわかるように説明してあげるわ」
「この事件を起こしたのは、あなたの奥さんの父親である綾部剛太郎よ。綾部は医学界の大物で、全日本医師協議会の元会長でもあるわ。あなたは自分の出世のために、綾部の一人娘と結婚したんでしょ」
「綾部は重大な事件を起こしたにも拘らず、高齢を理由に逮捕や拘留されなかった。そればかりか綾部は、自動車運転過失致死傷容疑で送検されたのに、アルツハイマー型認知症で刑事責任を問えないと判断されて、不起訴処分になったわ。あなたは、容疑者が『心神喪失』状態であれば処罰されないことを知ってて、これを悪用したのよ!」

「当時、この事件を積極的に取り上げてくれた東関東テレビのディレクターが、母の取材に来たときに、取材に応じる代わりに彼が独自に入手した情報を教えてくれたわ」
「そのディレクターの情報で、綾部が医学界の重鎮で、引退したその当時でも影響力が大きかったことや、国会議員にも知り合いが多かったことを教えてくれたわ。それから、当時の国家公安委員長は綾部の出身大学の後輩で、綾部の地元選出の衆議院議員だとも教えてくれたわ。さらに未確認情報だという話だけれど、綾場の車のドライブレコーダの音声データが、警察内部で紛失したらしいことも教えてくれたわ。何か『心神喪失』に不利な音声が記録されていたかもしれないわね」
「私を含めたこの事件の遺族や被害者たちは、不起訴処分に納得がいかなかったので、裁判にかけなかったことの良し悪しを審査する検察審査会にも申し立てをしたけれど、結局、綾部が罪に問われることはなかったわ」
「でも納得がいかなかった私は、警察や検察のサーバをハッキングして、捜査資料を手に入れたの。その資料を調べていたら、興味深いことがわかったわ」
「綾部のアルツハイマー型認知症の診断をしたのが、北関東医科大学の山田一郎という医師だということがわかったわ。それから、その医師があなたと同じ大学の出身で、あなたの後輩であることもわかったわ。その半年後、大学の冴えない勤務医だった山田医師は、都内の総合病院の精神科部長に栄転したわ。――どうしてかしら?」

「あなたが山田医師に依頼して、アルツハイマー型認知症という偽の診断書を書かせたことは、小学生でもわかるわ。大病院への栄転は、その報酬ね」
「人の噂も七十五日。現在、綾部は郊外の介護付きの高級マンションで悠々と暮らしているみたいね。興信所の探偵を使って調べてみたけど、アルツハイマー型認知症とは思えないぐらいの我儘(わがまま)な生活をエンジョイしているみたい」と秋菜が一気に話し終えた。
「今の話で、こいつがどんなに酷い奴か、よくわかっただろう?」山根が赤城たちに向かって言った。
「あなたたちには悪いけど、私たちには今の話の真偽はわからないわ」と赤城が言った。
「その話が本当なら同情はしますけど、人を拉致監禁したり、有害なウイルスを撒き散らしていい理由にはなりませんよ」と黒田が言った。
「今ならまだ間に合います。人質とウイルスを解放して、罪を償ってください」と赤城が言った。
「もう後戻りはできない」山根が悲壮な覚悟で言った。
「私も同じよ」と秋菜が山根を見つめながら言った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?