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私のお見合い遍歴

『お見合い』は古くからある日本的な慣習で、形を変えて現在まで生き残っています。結婚相談所・ツヴァイのWEBサイトには”お見合いとは、第三者が結婚願望のある男性と女性を引き合わせるもので、「親や親戚、知人などの身近な人からの紹介」と「結婚相談所の活用」の大きく2種類があります。いずれも結婚を真剣に考えている方と出会いやすく、お相手の年収や職業といった希望条件をもとに事前に知れるため、結婚に発展しやすい婚活方法といえます。”と書いてありました。

昔は、身近な人からの紹介が多かったのでしょうが、現在は結婚相談所を利用する方が多いようです。いわゆる『婚活』というやつです。昔は良い意味でも悪い意味でも、人間関係が濃密だったので、”世間的な結婚適齢期”になると、親戚や知人などから自然と”お見合い”の話が来たようです。今は人間関係が希薄ですから、お金を払って結婚相談所に登録をしないといけませんが・・・。

実は私は”見合い結婚”をしています。見合いをしてから3か月で婚約し、半年後には結婚していました。見合いは、もともと結婚前提ですので、短期集中決戦です。私は田舎出身ですが、その当時でも『お見合い』はかなり”廃れた慣習”になっていました。我家は昔から代々続くような”名家”ではありませんから、家を継ぐ必要もありません。私の父母は恋愛結婚ですし、弟も恋愛結婚です。

私は恋愛や結婚には消極的だったので、それを見かねた職場の上司が、ことあるごとに”お見合い”を持ってきました。参考になるかわかりませんが、経験した人でないと書けないと思うので、私のお見合い遍歴(一部抜粋)を書こうと思います。

”正式なお見合い”がどんなものか知りませんが、私の経験したお見合いの標準パターンを教えます。まず最初は、”お見合いの打診”です。この時、知り合い(親族/知人)から『相手の写真』と『釣書つりがき』が渡されます。釣書には、見合い相手のプロフィール家族構成などが書かれています。これらの遣り取りがあった後に、見合いの日程が決められ、実際の見合いへと進みます。私の場合は、職場の上司から半ば強引に話を振られ、写真と釣書を渡されました。

当時30代前半の私の初めてのお見合い相手は、19歳の女子大生でした。最初に写真を見ましたが、写真を見て驚きました。普通は見合い相手が一人で写っているものを想像していたのですが、そこには10人ぐらいの女性グループが写っていました。どうやら、部活の集合写真のようでした。恐る恐る上司に、「この中のどなたが見合い相手なのでしょうか?」と聞くと、「私もよくわからんが、真ん中あたりの人じゃないのか?」と適当にはぐらかされました。見合い相手は特定できませんでしたが、全員若い女性でした。さすがに「若すぎる!」と思いましたが、強引に話が進んでいきました。その当時でも、タイトル画のような”料亭でのお見合い”はさすがに少なく、ホテルに併設された喫茶店での待ち合わせになりました。

私は上司と一緒に行きましたが、お相手は母親と一緒に来ていました。ここで初めて相手の顔がわかりました。最初の20分くらいは上司と母親が中心に話していましたが、例の「若い人は若い人同士で・・・」という流れになり、二人で食事に行くことになりました。店では二人っきりで話したのですが、相手が若過ぎるので、「どうして見合いなんてしたの?」という話から会話が始まりました。結果から言うと、その時には結婚の覚悟も出来ていませんでしたし、相手が幼な過ぎるように思えて、お断りしました。

その後も、1-2ヶ月おきに見合いをしました。しかし、なかなかフィーリングが合わず、お付き合いには至りませんでした。4-5回目くらいの見合いの後、業を煮やした上司が、「相手は乗り気のようなので、必ず君から電話をするように」と強く言われて見合い相手の自宅の電話番号を渡されました。あまり乗り気ではなかったのですが、もう一度くらい会ってみようと、勇気を奮って電話をしました。すると、上司の事前情報とは真逆で「お付き合いするつもりはありません」ときっぱり断られました。

さらに見合いは続きます。この頃には写真や釣書は見せてもらえず、見合いの日程が決まってから、上司がやっと見せてくれました。これは、私が写真を見て断らないようにするための、上司の秘策です。7-8回目の見合いで、現在の奥さんと出会いました。私は優柔不断のモジモジ君でしたが、妻の積極性に負けて、結婚することになりました。きっかけは見合いでしたが、結婚して、いまだに離婚せずに、銀婚式も超えました。

私と御縁がなかった皆さんも、きっと夫々それぞれふさわしい伴侶と御結婚されていることと思います。歴代の見合い相手に、幸多からんことを願っています。

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