中学に入学したのと同時に、母から強制的に英語塾に行かされました。英語塾と言っても正式な塾ではなく、中学の先生が自宅でやっているアルバイト的な塾でした。公立学校の先生はアルバイト禁止ですが、英語の先生は自宅で生徒たちに教えている人が結構いました。人数が多いので、公然の秘密(暗黙の了解?)みたいになっていました。さすがに同じ中学の先生が教えるのは問題があるので、別の中学で英語を教えている先生に教わっていました。もちろん、大っぴらには言えないので、塾に通っていることは同級生には秘密にしていました。これは、その秘密の塾での秘密の話です。
英語塾は週二回で、授業の先取りのような内容でした。最初は英語がチンプンカンプンで塾が嫌でしたが、少しすると何とかついて行けるようになりました。昔の先生なので英語の発音は酷いものでしたが、教科書の本文を暗記するまで音読をさせられました。その音読が結果的には、良かったのかもしれません。この塾で先取りして勉強しているので、本番の英語の授業は復習みたいで楽ちんでした。でも、塾の時間の勉強は結構大変でした。
英語の先生は、プロレスやボクシングなどの格闘技が好きでした。私が中学生の頃は、具志堅用高さんが世界チャンピオンで、連続防衛の記録を更新中でした。今の若い人は、具志堅さんを面白いおじさんくらいにしか思っていないでしょうが、その当時はボクシングが抜群に強いカッコいい世界チャンピオンでした。たまたまタイトルマッチの放送が英語塾の時間帯と重なると、先生はソワソワしていました。
先生は自分がTVのボクシング中継を見たいのに、私たちにこう聞いてきました。「具志堅の試合があるんだけど、お前たち見たくないか?」。すかさず我々生徒は言いました。「見たい。見たいです」。塾の生徒には女子が多く、本当はボクシングなんか見たくなかったと思いますが、勉強したくないので(先生に忖度して?)、「見たい」と言っていたのでした。客間には長机が置いてあって、いつもはそこで授業をしていました。襖を隔てた隣の部屋が居間で、その居間にテレビが置いてありました。いつもは開かずの襖が開いて、ボクシング観戦が始まりました。
具志堅さんの相手が手強いと、ボクシング観戦が長引き、授業はほぼなくなりました。しかし、具志堅さんが早めにノックアウトすると、そこから授業開始です。英語塾に通っている3年間で、2-3回はボクシングで授業がつぶれた日があったと思います。しかし、親には秘密です。英語の先生からも、「親には言うなよ」と念を押されていました。
この授業のお陰かどうかは分かりませんが、英語は苦手ではなくなりました。もちろん、英語ペラペラにはなりませんでしたが、英語は仕事で時々使っています。ボクシング観戦は、良い息抜きになったのかもしれません。英語の先生、具志堅さん、ありがとうございました。
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