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ウロボロスの遺伝子(47) 第8章 廃校舎⑥

 林田秋菜が山根公典と知り合ったのは偶然だった。秋菜は父親の遺品のチェス盤を見つけたのを契機に、楽しかった頃の小学生時代を思い出すように、週末には”あきお”というハンドル名でインターネットでのチェス対局で息抜きをしていた。秋菜のチェスの腕前は、コンピュータスキルと同じようにセミプロ級だったが、一人だけ何度対局しても勝てない相手がいた。それが、ハンドル名”はむてん”だった。”あきお”の攻撃型チェスに対して、“はむてん”は攻撃を受け流す守備に徹したチェスを指した。いつも序盤は”あきお”の優勢になるが、いつの間にか逆転されて”はむてん”に負かされていた。

 チェスのインターネット対局はネット上のハンドル名で行なわれるので、本名はわからない。しかし、秋菜はどうしても知りたいという好奇心に負けて、悪いとは思いながら封印していたハッキングスキルを使って、“はむてん”の本名や経歴を調べあげた。秋菜は、“はむてん”こと山根がチェスを教えてくれた父親と同じ生命科学の研究者であることに、驚きと同時に因縁めいたものを感じた。

 秋菜は、山根のことをもっと知りたいという欲求に負けて、新人銀行員・林田秋男と偽って、山根の職場にメールを送った。山根も突然送られてきたメールに最初は不審に思ったが、メールを重ねる毎に趣味のチェスの話などで次第に打ち解けっていった。秋菜が山根にメールを送って二ヶ月くらいたった頃、山根から秋菜に、サークルへの誘いが用件の短いメールが届いた。
《私が時々参加するチェスのサークルが今週末、メンバーの自宅マンションで行なわれます。良かったら、一緒に参加しませんか。参加可能なら詳しい住所を送ります》

 秋菜は大いに迷ったが、パソコン画面ではない実物のチェス盤で対局できる機会を逃したくないと、参加することに決めた。参加を決めたメールを送った後で戻ってきた返信メールには、マンションの詳しい住所と、場所がわからない時の連絡先として山根の携帯番号が書かれていた。山根にはマンションの下で待ち合わせたいと、さらに返信した。

 サークル当日の開始時間十分前、秋菜は山根を見つけて待ち合わせ場所に近づいて行った。しかし、山根は辺りをキョロキョロ見回すばかりで、秋菜には視線を合わせなかった。
「こんにちは。林田です」と秋菜が山根に声をかけた。
「林田さんの妹さん?」
「いいえ、私が本人です。今まで嘘をついてて御免なさい」と秋菜が深々とお辞儀をした。
「――あなたが林田さんですか? 驚いたなぁ、女性だったなんて! チェスの豪快な駒さばきから、マッチョな青年だと勝手に想像していました」
「想像通りじゃなくて申し訳ありません。本当は林田秋菜と申します。今日はお招き頂いてありがとうございます。林田さんとお会いして対局できるのを楽しみにしていました」


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