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ウロボロスの遺伝子(27) 第5章 首相官邸⑧

「ボウズ。危ないところだったなぁ。こんなところで何してるんだ?」黒ジャージのおじさんが微笑みながら黒田に話しかけた。
 近付いてきたおじさんの顔をよく見ると、真っ黒に日焼けした顔の額には、生々しい大きな傷があった。
「ありがとう、おじちゃん。蝶々を追いかけているうちに道に迷ったみたいなんだ。おじちゃん、いまので頭にケガしたの?」と黒田が心配そうに聞いた。
「これか? これは三日前にクマにやられた痕だ。ちょっと手こずったが、クマは素手で仕留めたから、心配ない」
「おじちゃんは、ここで何してるの? おじちゃんは天狗さんなの?」地元に残る黒天狗の伝説を思い出した黒田が聞いた。
「天狗じゃないぞ。でも、天狗より修行してるから、天狗よりは強いかもしれんなぁ」

「ところで、ボウズ。助けてもらったら、お礼をするのが人としての礼儀だ。何か食べるものを持ってないか?」黒ジャージおじさんが聞いた。
「――遠足のおやつのバナナならあるけど、食べる?」少し考えて黒田が答えた。
「良いもの持ってるな。バナナは大好物だ。クマの肉は食い飽きたから、ちょうど良いデザートだ」
 バナナを食べ終わった黒ジャージおじさんが唐突に言った。
「お礼に俺の蘊蓄(うんちく)を聞かせてやろう」
「ウンチ君?」
「ウンチじゃない、蘊蓄だ。まあいい。ボウズは遺伝子という言葉を聞いたことがあるか?」
「イデンシ?」
「遺伝子は生き物の体を作る設計図みたいなもんだ。この設計図を使って、人間の体もできてるんだぞ」
「人間とクマの遺伝子は90パーセント似ているぞ。イノシシは80パーセントくらいだな。さっき食べたバナナでも60パーセントは似ているそうだ」
「そうか。バナナと人間は設計図が似ている兄弟なんだね」
「そうだな。生き物は、すべて兄弟だ」

「ところで、ボウズは大きくなったら何になりたい?」
「僕はテレビで見た戦隊ヒーローのような正義の味方になりたい!」
「そうか。儂はテレビを見ないから、そのヒーローについては良くわからんが、正義の味方は強くないとなれないぞ」
「おじちゃんは、どうやってそんなに強くなったの? 僕もおじちゃんのように強くなれる?」
「ボウズはツイてるな。そろそろ、次の後継者を考えていたところだ。よし、それじゃあボウズを儂の弟子にしてやろう。今日から儂のことは師匠と呼べ」
「シショウ?」黒田は意味が分からずに、頭の中でその言葉を繰り返した。こうして黒田は由緒正しい古武術の第六十九代継承者の道を歩むことになった。

 今思えば、伝説の黒天狗は遥か昔の継承者の一人かもしれないなぁと黒田は考えた。それから、ふと我に返った黒田が腕時計を見ながら言った。
「約束の時間に間に合わなくなります。赤城主任、急ぎましょう」
「そうですね。ホテルをチャックアウトしてきます」どことなく元気がない赤城が力なく言い、支払いを済ますためにホテルのフロントに向かった。
 黒田はフロントに向かう赤城の背中に、「主任の合気道の技、結構決まってましたよ!」と小さな声をかけたが、赤城は気付かなかった。


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