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杉並区の区制施行90周年記念講演会『原水爆禁止署名運動』に参加して

 掲題の集会に参加して、大いなる発見をし、刺激を受けたのでお伝えしたく思います。

 先日、ワンデイ・サイクリングで埼玉県北部比企丘陵の堂平山に登った際に、帰りのコース上に丸木美術館があることに気づき立ち寄りました。原爆の絵で有名なこの美術館には、かねてから訪れたいと思っていました。余談ですが、私の住む地区では、毎夏市民の手で、この原爆の絵のレプリカを展示する催し物が行われていますが、コロナ禍で一時中断していました。なお、この美術館訪問と原爆の絵を鑑賞した体験については、主題と外れるので割愛します。

 この美術館で、偶然目に入ったのが、掲題の講演会のチラシでした。区民でないので、参加は無理かもしれないと思いつつ申し込んだところ、参加できることになりました。

 この講演会は、次のような三部構成になっていました。

第一部:ウクライナへ届け 「平和を願うチェロの調べ」
 戦禍のウクライナを逃れ、日本に滞在中の国際的な女性チェロ奏者二人のミニ演奏会

第二部:「署名が世界を動かした!3200万筆の平和のチカラ」
 都立第五福竜丸展示館 主任研究員 市田真里さんによる講演

第三部:トークセッション
 「原水爆禁止署名運動に奔走した人たちの思いや人物像を振り返り、運動の意義を語り継ぐ」トークを、三人の証言者を交えて市田真里さんが進行する

 とても内容の濃い素晴らしい集会でした。杉並区が、市民運動、社会改革運動の観点で、特別な区であることがよくわかりました。また、今まであまり関心を持っていなかった、第五福竜丸の被爆事件が、当時いかに重大な社会を揺るがす問題であったか、その後の社会運動にどれほど大きな影響を与えたかを知って、今までの無知無関心を恥じ入るばかりでした。そもそも、東京都が、どうして第五福竜丸の保存に努力してきたのか、その意外な経緯(いきさつ)にも心打たれるものがありました。

 第一部で、ウクライナから日本に避難している国際的なチェリスト二人(母娘)の演奏会があり、これも胸に染みる演奏でした。演奏後、「平和な世界のために何をしなければいけないと思いますか」との質問を受けたチェリストの一人が、「戦争は起こってしまったら、悲劇は避けられない。皆さんどうか、戦争が起こる前に、戦争が起こらないように、何ができるか、一人ひとり考えて行動して欲しいです」という内容の返答をしたのも、胸に刺さりました。

 第二部の「署名が世界を動かした!3200万筆の平和のチカラ」の講師市田真里さんは、前述のように、都立第五福竜丸展示館の主任研究員であり、かつ、いくつかの私立大学の講師や研究員をしている方である。彼女が進行役を務めた第三部のトークセッションのパネリストは、三人とも、署名運動を直接間接に支えてきた女性で、かつ話す内容が実に明快で充実していました。

 つまり、ウクライナのチェリスト、トークセッションの講師とパネリストのすべてが女性でした。さらに、冒頭あいさつに立った杉並区の区長も女性でした。

 「女性が世界を変える」という確信がますます高まりました。

 (終わり)

追記:戦後、日本がサンフランシスコ平和条約の発効によって主権を回復した1952年、その翌年1953年に杉並区に公民館が発足した。この公民館に集う杉並区の女性たちの”学びたい”という強い想いで発足したのが「杉の子会」。読書会という形で活動を始め、最初に選んだのが、E.H.カー「新しい社会」だったというエピソードに、杉並区の女性たちの志の高さを感じたことを、どうしても付け加えておきたくなりました。

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