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何歳からだってやりたいこと始めたっていいじゃない。

わたしはメンタルが弱い。
全てに於いてメンタルが豆腐、もしくは飴細工の鳥の羽根の先っちょの如く弱い。
実際、豆腐と飴細工の鳥の羽根の先っちょはどっちが衝撃に弱いのかはわからないけれど。

自分に全く自信がないというのが原因ではないか。なんとなくそう思っている。
どうせわたしなんて無理。
勉強しても賢くはなれない。運動はいくら足を出しても前に進まない。一応吹奏楽団に所属しているくせに楽譜は読めない。
好きな人が自分を好きになるはずがないし、好きになる理由もメリットもない。こんな人間が誰かを好きなるなんて烏滸がましい。
結婚?出産?ナイナイ。
誰かの人生を背負うなんて無理。
人間の人格形成なんて恐ろしい。

母のせいにするわけではないが、昔から何かしてみたいと言うと、あなたには無理と言われることが多かった。
心配させるばかりでしっかりした子供ではなかったので母も不安だったと思う。
しかし、いまも引きずっている「あなたには無理」
精神的に全く自立出来ていないと痛感する。
例えば、子供が何かに誘われるとか何か任される場面になったとき「お母さんに聞いてみないと…」ってなる感覚。それがいまだに残っている。瞬間的に自分で判断出来ない感覚。
自分の意思で挑戦を決めるのが不安。
この年齢になったらそもそも挑戦をしない。


そんな自分を変えたいと思い立った。


久しぶりに自分からやりたい、挑戦したいことが出来た。
一時的な気の迷いかも知れないのでしばらく様子見をしてみたけれど、やはり挑戦したい気持ちは変わらない。

武道をやりたい。
空手とか習ってみたい。
礼に始まり礼に終わる的な。
礼儀や礼節を学びたい。

本当は東京のある武術の道場に通いたいけれど、さすがに三時間ほどかかるとなると現実的ではないように思う。
キチンと通える距離の道場を探してみると空手の道場を見つけた。

今まで何もやったことのない太った中年女を果たしてそこの道場は受け入れてくれるのかはわからない。
けれど、身体と心を鍛えてこの弱すぎるメンタルをどうにかしたい。

鍛えるならジム行ったりすれば?と思われるかも知れないが、今のままでジムに入会してもきっとサボる。

数年前にジムに入会してみたことがある。
しかし、好きな時間に来て好きなマシンをお使いくださいとなると「このマシン使いたい人待ってたりしないかな」とか「あのマシン使ってもいいかな?待ってる人とかに怒られないかな」とか不安になってしまい動けなくなってしまった。
そのうち行きづらくなり辞めてしまった。

ならば、お稽古の日にち、時間が決まっている道場なら行けるのではないか。
そして空手を続けるためにはジムに行って鍛えよう!と心が変わっていけば素晴らしい成長ではないだろうか。

先ほども少し書いたが、わたしは吹奏楽部で楽器をやっていた。その繋がりで30代頃に地元の吹奏楽団に誘ってもらった。
けれど楽譜は読めないし、ネガティブメンタルのため小さい音で目立たないようにコソコソと合奏に参加している。
そのため、今まで幾度となく楽器を辞めようかと思うことがあった。けれど、その度に一緒にアンサンブルをやらないか?レッスンに通って技術の底上げをしてみないか?などと不思議なほど楽器が辞められない。
下手なりにずっと続けていくような気がする。
周りの人は新しい楽器を使っているが、わたしは中学生のときに母が買ってくれたものをそのまま使っている。いい楽器に出会えたらしい。

今回、空手習いたいと思ってから不思議と背中を押してくれる人たちに出会う。
実は…と打ち明けると応援してくれる。
もしかしたらご縁があるのかも知れない。
ぼんやりとそんな気がする。

…そんな淡い期待を胸に何も出来ない、誰かとケンカしたこともない今まで我慢を重ね、我慢の限界になると1人で車を運転し、推しを想い中島美嘉の「僕が死のうと思ったのは」を涙ながらに歌うという地獄のような夜を過ごす日を少しでも減らしたいので空手を習いたいと心に決めた40代。


次回は「空手を習うために仕事の調整をしたいと願いでたら壁が現れたけれど、その壁の厚さが地の果てだった為早速空手お稽古に通う計画が頓挫している」をお届けします。

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