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私とうつ

はじめまして、AM3:00(えーえむさんじ)と申します。

noteに投稿する最初の記事ということですので軽く自己紹介をしたいと思います。長文、駄文となりますが、お付き合いしてもいいよという方はどうぞお付き合いください。

私は京都で生まれ育ち、地元京都で大学までの学生生活を過ごした後、大学院の修士課程に進み、修士号を取得しました。その後、地元京都を出て中部地方の化学メーカーの研究開発グループで1年ほど働いたのですが、仕事が合っていなかったこと(端的に言うと自分の能力が足りていませんでした)や当時人間関係が破滅的にうまくいっていなかったことやときに深夜まで及ぶ業務のため、うつ病を発症し会社を休職することになりました。

うつに罹患したことは私の人生の大きな転機(主に悪い方)となりました。半年ほど休職をしたのですが、労働に耐えうる状態まで体調を回復させることができず、休職期間満了にて退職となりました。そこから現在に至るまでずっと無職です。その間、友人に誘われたアルバイトにチャレンジしてみたり、正規、非正規問わず様々な職に応募したり、公務員試験にチャレンジしてみたりしたのですが、どれも私の力不足で就職が実現することなく、ここまで来てしまいました。

うつ病に罹患してからというもの、“生きることは死ぬことよりもつらい”という価値観が形成され、“生命を維持するために何かを努力する/苦痛を我慢する”という気力がなくなってしまいました。さらに、生きるのが苦しくてしょうがないという現状が今後改善されることはないと、自らの将来を強く悲観し、いわゆる自殺未遂も複数回経験し(具体的方法は強く非難されること必至なのでここに書くことは避けます)、精神科からは入院するように言われるほど病状は悪化しました。親が契約書にサインさえすれば精神科病棟に入院というところまできましたが、私がそれを固辞した結果、入院は寸前で回避されました。それからの私はまるで魂の抜けた抜け殻のような状態でした。当然、何もする気力が湧かないので、1日中地べたに寝そべって天井を見るという生活がしばらく続きました。死ぬまで何もせず、お金が尽きたら自殺しようというつもりで何もせず自堕落に生きてきました。他人様からすれば、「生産に一切貢献しない自堕落なやつは勝手に死ね」と思われるでしょう。私もそう思います。そうこうしているうちに生活資金も底を尽きてきます。そろそろ死期が近づいているなと思った私は、母に「今ある生活資金が尽きたら死のうと思っている。今まで育ててくれたことに感謝します。同時にその努力に報いることができずに済まない」という旨の話をしました。そのとき母から、今となってはうろ覚えなのですが、「あなたが自殺未遂をしたときに私はこの世の終わりかと思うほど狼狽えた。あなたがいない世界など私も生きている意味がないと思った。これまで育児にかけてきたコストがどうとか返済しなきゃならんとかそういう話は二の次で、精神的に苦しくても生きていることがまず親孝行になっている。だから、私と一緒に生きよう」という話を聞かされました。私は母からの(そして肉親からの)愛情をとてつもなく低く見積もっていたのだなとそのとき思わざるを得ませんでした。これが全員に当てはまるものとは決して思いませんが(親に愛されなかった人もいるので)、自分の生命というのは自分だけのものではなく、それを育むのに関わったすべての人たちがその瞬間々々では自分に生きていてほしいと思った結果(の連続)として存在するものなので、自分の一存で粗末に扱ってはならない(これは個々人の置かれた立場によって異なるところだと思います。基本的には、生きるのは『義務』ではなく、『権利』なので、それを行使するかどうかは、その人自身が決められると思っていますが、私の場合は、周りの人たちの反応を見て「自分の一存で生きる権利を放棄しない」という立場をとることに決めました)ということをそのときはじめて(これまでも頭ではわかっていたつもりだったのですが)強い実感をもって理解することができました。

母が思っていたことを正直に口にしてくれたことで、生き方を改めようというきっかけになりました。精神科で処方された副作用の強い薬を長期的に服用していたことと自堕落でセルフネグレクトに等しい(自分の健康を完全に度外視した)生活を続けた結果、悪化した体調を回復させるために、規則正しい生活をし、食生活や投薬内容も見直し、まずは身体の健康を取り戻そうと動き始めています。もちろん今でも”死にたい”という思いが頭をもたげることはありますが、まずは、これまでの投げやりな生き方をやめ、とりあえず当面は自分を育ててくれた両親に一定額のお金を渡すことを目標に生きていこうと思います。今はまだ所得補償を頂いてなんとか生活が成り立っていますが、近い将来、自分の力で生活資金を稼げるように準備をしたり、社会復帰のタイミングをうかがっています。個人的にはもとのように正社員として会社組織で働くというのはかなりハードルが高く、自分の適性からは大きく外れた働き方だと思っています。まずは、細い収入源を作り、それを増やしつつ、徐々に幹を太くしていくように太くしていければ良いのかなと思っております。幸いにも在宅ワークや種々の副業やフリーランスなど様々な働き方が存在する世の中ですので、なんとかしがみついていきたいと考えています。

先ほど、うつが私の人生の転機となりましたと述べましたが、良い意味で変わったこともあります。主に価値観・性格に関する部分です。うつに罹患する以前の私は競争的な性格で典型的なものごとを勝ち負け/ゼロヒャクで判断するような傾向がありました。勉強して良い大学に入れなければ人生終わり。就職活動で大企業に入れなければ終わり。大企業に入っても出世コースから外れれば終わり。ここまで極端ではなくてもそれに近い考え方をしていました。このような価値観は、おそらく、社会人になってうつ病に罹患するまで、人生で“大敗”を経験したことがなかったことに基づいていると思います。うつ病になったことで私は出世コースから外れるどころか、会社を辞め、一般的な正社員としての人生という道もほぼ絶たれてしまいました。また、うつ病に罹患したことによって、平均的な収入を得ることが難しくなったため、恋愛や結婚なども諦めざるを得ません。「そんなの諦めることないよ」とおっしゃってくださる方もいましたが、現実的に考えて安定的な収入を獲得できない、かつ精神的にも安定感の欠ける、支えてほしいのにむしろ自分が支える側に回らないといけない相手をパートナーに選ぶ人は極めて少ないと思います。このようにうつに罹患したことによって私はたくさんのものを諦めざるを得ない状況となり、最初は絶望しましたが、徐々にそれを受け入れて今自分が得られるものの中で幸福の最大値を出せるよう生きていこうという方に考え方がシフトしています。勝ち続けないと終わりという人生観から、負けてもいいじゃないかという人生観に変わったことでいろいろと楽になりました。

また、苦境にある人や不遇にある人に対して優しい見方ができるようになりました。うつになるまでの私は人生における苦境は自助努力によって克服していくべきだという考えをもっていました。しかし、自身が病気というどうしようもない災難に見舞われたこともあり、今苦境や不遇にあって辛さや不満を訴えている人に対して、「あなたの努力が足りてないだけじゃないか」という突き放した、厳しい見方をするのではなく、「努力していてもどうにもならないこともある。そのような苦境に立っている人に対して自分で何かできることがあれば助力したい」と思うようになりました。辛さや苦しさを訴えている人を責めても、それは今度自分が苦境に立たされたときにそのまま返ってきて自分の首を絞めることになりますし、責められた人は同じ価値観でまた別の人を責め、辛さや苦しさの再生産という結果になってしまいます。私としては、「俺はこんなに苦しいのに我慢しているんだ。だから、お前も苦しいのを我慢しろ」ではなく、「私はこんなに苦しんだ。だから、同じく苦しんでいる人を助けてやろう」という方が、多くの人にとって暮らしやすい社会になるかと思います。

こういう価値観以外のところでも、もっと些細なところで人を”許す”ことが増えた気がします。自分がどうしようもないダメ人間なんだから他人のダメなところも許してやろうという感覚です。こういう寛大な(自分で言うな!)精神はうつから得た恩恵のひとつだと思います。ただ、人というのはおおよそ苦しかったときのことは苦しさが喉元過ぎれば忘れてしまう、つまり苦しくなくなれば人に対する優しさを忘れてしまう生き物だということもありますので、そうならないよう苦しかったときのことを書き留めた内容を時折見返して、当時の感覚を思い返すようにしています。これは、そのためのnoteでもあります。

長くなりましたが、ここまでを私の自己紹介とさせていただきます。小学生の道徳の感想文のような稚拙な内容となってしまい、読みづらい部分も多々あったと思いますが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。私という人間とうつ(今では双極性障害)という病気は切っても切れない関係で、今の私の人間性に大きな影響を与えた病であると思っています。書きたいことは今回でだいたい書いてしまったので次がいつになるかわかりませんが、また次があればよろしくお願いいたします。


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