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【雑感】『ロジハラ』の何がいかんのか説明しよう!

『ワイドナショー』で行われていた『ロジハラ』についての『議論』

随分前にTwitter上でも議論になっていた『ロジハラ』について、もうすでに議論が何周もして結論がでていることだと思うが、以下の記事を読んで思ったところを書く。

記事の内容を引用すると次のとおり。

2020年10月11日放送の情報番組『ワイドナショー』(フジテレビ系)では、SNSで話題となっている『ロジハラ』について特集。

同番組によると、『ロジハラ』とはロジカルハラスメントの略で、『正論を振りかざして、相手を追い詰めるハラスメント』という意味だそうです。

例えば、友人に軽く愚痴をこぼした時に「でもそれ、きみにも非があるよ」と返されたり、ミスをしてしまった時に上司から「なんでミスしたの?なんでできなかったのか説明して」といわれたりすることが『ロジハラ』被害に当たると説明。

また、論理的に正しい指摘であっても、相手を思いやる心がない場合や、正論をぶつけて困らせ優位に立とうとする行為が『ロジハラ』になると説明しました。

そもそも、ここで説明されている『ロジハラ』の定義から少しズレているのだが、それについては後述する。

以下、『ワイドナショー』で、芸人の松本人志さんとバカリズムさんの間で繰り広げられた『議論』がこちら。

松本人志とバカリズム、『ロジハラ』に失笑
コメンテーターとして出演していたお笑いタレントのバカリズムさんは『ロジハラ』について持論を展開しました。

以下、バカリズムさんの持論。

『ハラスメント』をこれに使うのはちょっと違う気がしますね。

『セクハラ』とか『パワハラ』とか、同じ棚に並べるのはちょっと違うかなっていうか。

それでいうと、『ロジハラ』っていう意見自体が僕は『ロジハラ』だっていえると思うんですよ。

「あなたのいっていることは正論ですけど、相手を追い詰めてますよ」っていう論理で、僕は追い詰められてますから。

結局『ロジハラ』自体が自分に返ってくると思うので。

頭の良いバカリズムさんらしい上手い切り返しだな……と思った。しかし、これは詭弁である。なぜかというと、相手に対する『反論可能性』を潰す理屈だからである。これを言われてしまうと、『ロジハラ』された側は反論できない(一方、バカリズムさんは『ロジハラ』責めによって追い詰められているか?否、このように余裕で反論ができている時点で追い詰められてはいない)。相手に反論を許さない姿勢こそが、『ロジハラ』である。

以下、バカリズムさんの持論が続く。

また、バカリズムさんは「結局、返してほしい答えは決まっているんですよ。それとは違う意見を返したら『ロジハラ』になっちゃう」と苦笑しました。

「返してほしい意見とは違う意見を返すと、『ロジハラ』になっちゃう」とは言うが、そう単純な話ではないと私は思う。これは、冒頭で述べた『ロジハラ』の定義づけのところから、ややズレているから出た意見だと思うので、バカリズムさん本人に責任はない。思うところについては後で述べる。

そして、松本人志さんは『ロジハラ』について、以下のようにコメントした。

同番組の司会を務めるお笑いコンビ『ダウンタウン』の松本人志さんは「つまり、相手を論理攻めして勝つなってことでしょ?」と失笑し、このようにコメントしました。

なに、もう本当、めちゃくちゃやな!

『ロジハラ』流行るなら流行れ!流行って早く終われ!

で、この『議論』を聞いた視聴者の意見がこちら。

『ロジハラ』について、視聴者からはさまざまな声が上がっています。

・松本さんに完全に同意。こんなことで『ハラスメント』なんていわれたら議論できない!

・バカリズムさんの『ロジハラ』返しが最高。めちゃくちゃ笑いました。

・何でもかんでも『ハラスメント』っていうのも問題じゃない?上司も育てるために叱る必要があるし…。

・物はいいようなんだと思います。正論であっても、あまりに高圧的だったり悪意があるといわれる側はきつい。

1番目の意見は、典型的な『ロジハラ』を行う人がよく使う理屈で、自分ではちゃんと『議論』をしていると思い込んでしまっているパターンだと思う。

2番目の意見は、先ほど述べたとおり、相手の『反論可能性』を潰す理屈で、これこそ『ロジハラ』的態度である。

3番目の意見は、『ロジハラ』というモノを大雑把に捉えすぎ。「あらゆる議論がダメだ」という話ではない。

4番目の意見に、私の意見は近い。心情的にも理解できる。だが、これも少々感覚的すぎる印象論に終始しているように思うので、私がもう少し詳しく言語化する。

この記事は、こう締め括られている。

友人や部下のことを想って、時には厳しい言葉で叱ったり注意したりすることもあるでしょう。

すべてが『ロジハラ』とされてしまっては、円滑なコミュニケーションが取れなくなってしまうかもしれません。

しかし、終始正論で責められ続ける立場になった場合、「思いやりの心を持ってほしい」と感じる人もいるでしょう。

賛否の声が上がっている『ロジハラ』について、同僚や友人とともに考えてみてはいかがでしょうか。
[文・構成/grape編集部]

とまあ、こんな感じに『議論』は締め括られた。先ほども言ったが、すべての議論が『ロジハラ』になるわけではない。


じゃあ『ロジハラ』(的態度)の何がいけないの!?

ロジハラになる議論とならない議論が存在する。大事(原則)なのは先述したとおり、議論の相手に『反論可能性』を与えることだと思っている。

まず、『ロジハラ』という言葉の定義から、きちんと追っていこう。以下にロジハラの定義を示す。

「ロジハラ」とは「ロジカルハラスメント」の略称で、正論を振りかざして、相手を追い詰める行為を意味します。 正論をただ言っただけでロジハラになるわけではなく、他者の気持ちを配慮せずに正論を押し付けて、相手に必要以上のストレスを与えることで、はじめてロジハラになります。

参考:https://bizual.jp/%E5%B0%B1%E6%B4%BB%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%A6/294/

この定義の大事なところは、特に後半部分、

「正論をただ言っただけでロジハラになるわけではなく、他者の気持ちを配慮せずに正論を押し付けて、相手に必要以上のストレスを与えることで、はじめてロジハラになります」


というところだ。
『ワイドナショー』で提示された定義では、この後半部分のニュアンスが出演者にうまく伝わっていない気がする。

同番組によると、『ロジハラ』とはロジカルハラスメントの略で、『正論を振りかざして、相手を追い詰めるハラスメント』という意味だそうです。

例えば、友人に軽く愚痴をこぼした時に「でもそれ、きみにも非があるよ」と返されたり、ミスをしてしまった時に上司から「なんでミスしたの?なんでできなかったのか説明して」といわれたりすることが『ロジハラ』被害に当たると説明。

また、論理的に正しい指摘であっても、相手を思いやる心がない場合や、正論をぶつけて困らせ優位に立とうとする行為が『ロジハラ』になると説明しました。

最後に申し訳程度に、『ロジハラ』の定義の後半部分に該当する文言(太字にした部分)が付されているが、「正論をただ言っただけでロジハラになるわけではなく」「正論を押し付けて」というニュアンスが若干弱められている。

その場でよく知りもしないことを、言葉の正確な定義も踏まえずに『議論(めいたもの)』をする。それが『ワイドショー』というものだし、芸人さんは、その枠組みに乗っかって仕事をしているだけだから、別に悪くはないのだけれども、こうした『議論(めいたもの)』を真に受けて、実生活でも、ここで言われているような論理展開や思考回路を適用して生活してしまう人(視聴者)が少なからずいることを考えるとこの一連の『議論』をあまり軽く見ることはできない。

『ロジハラ』という言葉自体が最近生まれた言葉で、未だ明確な定義のある言葉ではないのだが、いわゆる『ロジハラ』とされるような行為のどこがいけないのかということについては、ハッキリさせておいた方が良いと思う。

私の回答

以下、私の『ロジハラ』に対する意見を述べておく。私が「『ロジハラ』って何がいけないの?」と聞かれたら、こう返す。以下、私の回答。

「自分は『正論』を言っている」という前提そのものがおかしいことがあるということに、「何がロジハラじゃ笑。そんなんじゃ、議論できんわ!笑」みたいに言っている人って気づいているのだろうか?

言論の場では、必ずしも論が真に近いかどうかで勝負が決まるのではなく、言語運用能力の高低や立場の強弱、声のデカさで決まることが往々にしてある。

実は『正論』を述べている人の言葉が、言語運用能力の高い人の詭弁や威圧的な物言いにより、制圧されてしまうことが往々にしてある。

『ロジハラ』というのは、単に議論を仕掛けることそのものを言うのではなく、議論の場で相手の言い分の正当性を客観的に検討しようとせず、自身の言葉(あるいはその他)の力で相手を組伏せて、モノを言えなくするという態度(『反論可能性』を潰すという態度)、つまり、言葉という道具を使って相手を一方的に殴りつけるような態度のことを言うのだと思う。

特にTwitterなんかでは、よく『ロジハラ』的行為をしている人を見かける。

Twitterは、どうしても言論の場だから(そして、言語運用能力の高低問わず、様々な人がやりとりを交わせるフラットな仕組みになってるから)、言語運用能力に優れた人がそうでない人を捕捉してボコボコにしているのをよく見る。私としては、「明らかに悪意のあるメッセージとかは仕方ないけれど、それ以外は見逃してやってくれ……」と思ってよく見ている。

そこらへんの不良は腕力で人を殴るが、Twitterだって、何を道具に使って人を殴るかの違いでしかなく(この場合、殴る道具は言葉)、「人は自分が強い土俵に上がると暴力性を抑えきれない生物なのだな」「皆心の内に暴力性を秘めているのだな」ということがよくも悪くも可視化される。かくいう私もそういう部分はあるから、反省はしているし、そういった行いは極力避けようと意識して人と話をするようにしている。

議論に勝つのがいけないのではなくて、議論を交わすときに、一方的に相手の言論を封殺するような行為がいかんのだ。

そもそも、議論だって「コミュニケーション」の1つである。

私はコミュニケーションというものを、「お互いに思うところを開示した上で、それらを"擦り合わせる(歩み寄る)"」過程だと思っている。議論だって、お互いに思うところを打ち明けて、その正当性や妥当性について検討し(色々な意見を擦り合わせ)、最終結論(ときにそれは「妥結点」である)を導きだす過程で、決して「言葉を使った殴り合い」ではない。

『ロジハラ』をやりがちな人に限って、この「擦り合わせ」の過程をすっ飛ばしてしまうきらいがある。

しかも厄介なことに、『ロジハラ』をやる人は、基本的に議論が得意な、言語運用能力が高い人が多いため、自分の頭の中で固まった結論を譲らず、雄弁であるが故に、それを正当化するために様々な詭弁を用い、自分に対する反論(正当なモノですら)を封殺する能力にも長けている。

だから、自分の間違いに気づいたり(気づかされたり)、それを認めることは少ない。したがって、弁が立つ(論が立つ)人であればあるほど、(正しい反論すら封殺してしまうため)自分の『ロジハラ』的態度を改めることは少ない。(そもそも、そういう考えに至る機会が少ない)

論が立つということは、推論が正確に行えるということであり、これは論のスタート地点(前提)が間違っていれば、論の立たない人よりも、確実に間違ったゴール(結論)に向かって邁進してしまう可能性が高いという落とし穴がある。だから、「論が立つ=正論を述べている」という等式は必ずしも成り立たない。「自分が誤っていて、相手が正しいことを言っている可能性がある」ということにもう少し思いを馳せてほしい。

『ロジハラ』をする人に言いたいのは、「議論は(言葉を使った)喧嘩ではなく、コミュニケーションなのだから、『擦り合わせる』努力を怠ってはいけない」ということと、「自分の論が本当に『正論』なのかどうかを省みる習慣をつけた方が良いのではないだろうか」ということだ。

あなたがいくら賢くてもすべての話題に対して、正しい判断ができるということは基本的にはないので、もう少し謙虚になっていただきたい。そんな感じである。

私はTwitterやnoteで論戦している人たちほど、頭は良くないが、少なくとも自分の言っていることが『正論』かどうかを省みること、議論は(言葉を用いた)喧嘩ではないこと、議論を含めたコミュニケーションの基本は互いの意見の『擦り合わせ』だということは理解しているつもりである。

『ロジハラ』的態度の何がいけないのか、私自身の普段の態度も含めて、自分を省みることをちゃんとできているか?そのようなことを考えさせられるトピックであった。

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