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【日記】昭和の日:2021/04/29

午後3時。私の1日はおそろしく遅い時刻から始まった。前日に長時間作用型の睡眠導入剤を呑んだ影響と、1気圧(1013hPa)を下回る気圧の谷とも呼べるほどの低気圧の影響がつよく出たのだろうと思う。起きたら居間に弟がいて冷蔵庫から茶を取り出して飲んでいた。弟に「何時に起きたの?」と訊くと「14時くらい」と返ってきた。私とそう変わらないではないか。曰く、「寝ようと思えば夜まで無限に寝れたけど、1日を無駄にしたくなかったので、この時間に起きた」とのこと。「1日を無駄にしたくなかった」のフレーズで思い出したが、今私は障害年金の申請準備を進めている。しかし、あまり進捗は芳しくない。というのも、障害年金で患者側が記入しなければならない「申立書」という書類、医師の書く「診断書」との整合性がきわめて重要な書類であるからである。つまり、私の書く「申立書」と医師の書く「診断書」の間になにかしらの”ズレ”があった場合、私がなにかウソをついているか/症状を過大に申告しているのではないかと疑われかねない。私は「申立書」には、すべて真実を書いたが、医師と私の間で「認識の違い」が存在して、意図しないところで「申立書」と「診断書」の間にズレが生じてしまうという可能性もある。だからこそ、医師と患者(私)の間で「申立書」と「診断書」の内容の擦り合わせや病状に対するお互いの認識の擦り合わせが必要なのであるが、いかんせん私と医師が会うのは月1回の通院日で、1回あたりせいぜい15分程度の面会がいいところである。15分/月という時間では、前述の「擦り合わせ」がなかなか進まない。これが現状である。また、「申立書」記載のルールについても不明瞭な部分が多く、年金事務所などに問い合わせをしなくてはならないうえ、問い合わせの電話が時期的なモノもあってなかなか繋がらない。「申立書」も1通目の草稿は、即座に私の方で完成させて、両親に添削をお願いしたところで、先日、その添削が終わったところだ。これから、その添削を反映させる。また、場合によっては、「申立書」を2通書かねばならないから、そうなったらその対応にさらに時間がかかる。できれば、書きたくない。そんなことを考えながら、肝心の「申立書」にあまり手が入っていないのが、現状である。

今日も午後3時に起床して、「申立書」に手をつけることはなく、父の居室へと向かった。父は仕事をしていた。依頼主が短歌と俳句を混ぜた作品集をつくるというので、その作品の評を交えたあとがきのような文章を書いてほしいという依頼(仕事)をこなしていた。1つのモチーフに対して、俳句と短歌がセットになったような作品集で論じるのに非常に手を焼きそうだなと思ってみていた。俳句と短歌がセットなのに俳句にしか触れずに評を書くと短歌はどうなの?となるし、逆もまた然りである。俳句と短歌は似て非なる表現なので、両者を抱き合わせた評を書くのは非常に難儀な話である。父は俳句や短歌などの韻文のプロであるので、俳句と短歌という表現の根本的な違いに着目した評を書いていた。私は俳句や短歌について、まったくの素人であるので、父に「俳句と短歌って表現としてどこがちがうの?」といういかにも素人な質問をした。父から数十分の講義を受けたが、内容が高度で私には理解できない部分も多々あったので、簡単に端折ったメモを取った。そのメモをほぼそのまま載せておく。

俳句:「引き込む表現」
形式上、五七五の十七音。手持ちの少ない17文字で説明しきれない。なので、読み手の想像力を使わせるような言葉を置く(俳句は書き手の創作であると同時に、読み手の創作でもある)。読み手を想像の世界に引き込むような言葉を入れておく(読み手に想像を委ねつつ、あるイメージに向かって誘導する)。作者のいちばん言いたいことを敢えて言わない。
短歌:「押していく表現」
形式上、五七五七七の三十一音。手持ちに31文字あるから、言いたいことを言い尽くせる。ゆえにイメージを塗り重ねることができる。それができない俳句とは異なる。俳句の場合、何個もイメージを重ねる書き方をすると単なる知識と情報になってしまう。
俳句で短歌と同じような言葉の置き方をすると、イメージが立たない/薄まるということ(受け手にイメージを想起させない)が起こる。

受け手の受け取り方によって、脳内に形成されるイメージが異なる。お笑いに近い。水物の側面は、俳句の方が強い。

①「俳句→俳句’」(不真面目な化かしあい、うさんくさい)≒芸人の言葉
いい加減さに本質を混ぜ込む。

②「短歌→短歌」(意図を真面目に汲み取る)

読み手の頭の中へのイメージの作らせ方がちがう。

俳句の方が使える文字数が少ないので、一つの言葉に「多義性」を込めた、イメージを想起→誘導させるような表現を多用するという話をしていた。発散的な表現も俳句の方が多いかなとも言っていた。良くも悪くもいい加減なのが俳句かなと。

父は俳句の方が得意らしいので、これはあくまで俳句の作者から見た「俳句と短歌のちがい」である。短歌(俳句・短歌両方)の作者からみれば、また違った見方があるのかもしれない。

この話をしていたら、私と父の隣で電話をしていた弟がスッと立ち上がって、「ちょっと出かけてくるわ」と言って出て行った。「どこ行くん?」と聞いたら、「ちょっと友達とお茶飲んでくるわ~」とのことだった。「友達とお茶を飲んでくるなんて優雅やな~」と私は思ったが、彼は明日(4/30)、私とちがって仕事だった。。彼から見たら、毎日仕事もせず、このように駄文を書き連ねている私の生活の方がよっぽど優雅だろう。このとき、だいたい午後4時半。

母がどこからか帰ってきた。ビニール袋を何個か提げている。ビニール袋には水滴が付いている。中には、おにぎりやフライドチキンが入っている。どうやらコンビニに行って帰ってきたようだ。私はおにぎりとフライドチキンと昨晩のご飯の残り物である小松菜の煮びたしを食べながら、昨晩飲んだ残りであるレモンサワーをまだ陽のあるうちから煽った。レモンサワーは氷入りのサーモマグの中に入れて冷蔵庫の中に保管していたのだが、サーモマグの中の氷はまだ昨日入れたのとほぼ変わらないくらいの量が溶けずに残っていた。冷蔵庫から取り出して、中を覗くと、わずかに溶けて一度液体(水)に戻った氷が、氷の粒と粒の隙間に入り込んで、再度冷やされ、氷の隙間を埋めるように凍結していた。1日置きっぱなしにしたレモンサワーを煽ると、良い感じに酔っぱらってきた。因みに私は日頃、飲酒をしない。この日レモンサワーがあったのは、前日の夕食が貧乏な我が家に似つかわしくない「ステーキ」だったからだ。せっかく、たまにしか食べられない良い肉が食えるんだから、酒でも用意しようかと思って、急いでコンビニで調達したのが今日飲んでいる酒だ。とはいえ、約1年ぶりに飲酒したことにより、飲酒欲求が喚起され、「もう少し飲みたい……」と思った私は近くのコンビニで追加で酒を調達してくることにする。この時点で午後5時ごろ。

コンビニへ向かおうと家の戸を開けると、一面の雨粒が視界を遮った。言い換えると、「土砂降り」だ。私はいつも品揃えの関係で、最寄りのコンビニではなく、もうひとつ先にあるコンビニを利用する。そこまで所要時間7~8分。その短い道のりをもはやいつ購入したのかわからない、壊れているのか/壊れていないのかわからない、盗難防止用に取っ手にビニールテープを巻いたビニール傘をさして、コンビニへ向かって歩く。一歩一歩踏みしめるごとにスニーカーに雨水が染み込んでくるのがわかる。染み込んできた雨水が靴下を濡らし、靴下と靴の底がくっついて一体化している感覚が非常に不快だ。コンビニに着くころには、靴下の60%くらいが雨水に浸食されていた。コンビニでは、レモンサワーとオレンジジュースと冷凍食品を買ってレジに並んだ。小銭がなかったので、私の財布から千円札が1枚減った。財布の中の札もそんなに枚数がないことは財布の感触からすぐにわかる。そろそろ、金をおろさないといけないが、おろす先の口座にも金がほとんど残っていないことは、私自身がよく知っている。金が増やせる魔法があるなら、今すぐ唱えたい。また、父のように金を生む魔法のような才能がほしい。いずれもない私は泥臭く働くしかない。働けるようになるまで、毎日トレーニングを積むしか。家に帰ってから、エクセルで家計簿をつけて資産の減少を目で見て確認する。こうやって、目で見て資産の減少を逐一確認することは大事だ。前に金を使った記憶を脳に強く刻んでおくことで、次に金を使うことへの心理的障壁を高くする効果があるからだ。因みにエクセルで家計簿をつけはじめてから、資産の減少速度が明確に減少したという感覚は今のところない。この時点で午後6時ごろ。

母が夕食ができたと我々に知らせてきた。今日の夕食は肉じゃがだそうだ。無収入の私が毎日飯にありつけるのも両親と弟のおかげだ。今日も感謝だけは忘れず食べよう。程なくして弟が帰宅した。父とパチプロ(?)のYouTuberの話をして数分間盛り上がった後、自室へと向かっていった。私はというと、母がつくってくれた肉じゃがを無視しながらこの文章を書き始めた。文章を書くのも随分遅くなったモノだ。以前は、これくらいの分量の文章なら1時間くらいで書けた。今は2時間以上かかる。文章を書いているうちに、肉じゃがができてから母が給湯を開始した(と記憶している)風呂が沸いて、弟が今日の一番風呂に入ることになったらしい。こうやって、ゆっくりダラダラと文章を書くのも悪くないな。今日は無題で日記を書いてみた。うーん、、原稿用紙10枚まであとちょっと。あ、10枚になった笑。

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