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【人間関係】コミュニケーションが苦手だけど、孤独に耐えられない人の生存方法

私は「コミュ障」である。だが、一方で孤独にめちゃくちゃ弱いという厄介な気質をもっている。このことには、大学生の後半~大学院生くらいのころに気づいた。それまでは、自分のことをただの「コミュ障」で独りでいるのが好きな人間なんだと思い込んでいた。でも、実際はちがった。

◼️ 「コミュ障」であるがゆえに誰からも見えない苦しさ

今回、この記事を書いたのもかつての私のように、「コミュニケーションは苦手だから、独りでいざるを得ないけれども、独りでいるときの孤独感には滅法弱いという人種って、結構いるんじゃないの?」と思ったからである。「コミュ障」だけど、孤独には耐えられないという人は、「コミュ障」であるがゆえに、コミュニティの中に入っていかない(入っていけない)ので、他者から発見されにくい。誰の目にもつかない場所で独り悶え苦しんでいるわけだ。他者から見えないのだから、当然、誰も助けには来てくれない。だから、自分でなんとかするしかない。

◼️ 私が孤独から解放されたきっかけ→病気による精神構造の変化

私は病気で死にかけてから、このような孤独から解放された。ある種、諦めのような境地に至ったからというのが大きいかもしれない。「私はもう2度も死にかけた人間(実質的に2度死んだ人間)なのだから、別に独りでもいいや。他人に何かを期待するのは苦しいだけだからもうやめよう」。そんな感じの心境になった。ちなみに「死ぬ」のも恐くなくなった。2度以上、死にかけているからだ。ただ、「死ぬ」のは今さら何も恐くはないのだが、「死にたい」と思いながら「生」を過ごすのは恐いと今は思っている。

このように、精神を患って、自殺未遂をしてからというもの、精神構造がまったくの別人のようになってしまったというのが、冒頭の「『コミュ障』だけど、孤独には耐えられない」という苦しみからの脱却に大きく寄与したことは事実であるが、もう1つ重要なことがあったな……と最近になって思い出した。そのことについて、少し語ろうと思う。ひょっとしたら、かつての私と同じ人種の誰かの役に立つかもしれないから。

◼️ 「コミュ障」だからといって、独りでいるのに向いているわけではないということに気づく

私は口が重い方で大勢の中に入ってもうまく会話ができないからストレスが溜まって、独りでいる方が向いている人間だと大学を卒業するころくらいまでは思っていたのだけれど、大学院生になったころくらいから、周囲が群れて楽しそうにしているのを見て「あれ?独りでいるのつらいぞ……」と感じるようになった。

孤独とは「今まで私は誰からも必要とされたことがない……」という「自己無価値感」と独りで向き合うことを強いられる時間でもあるということも強く自覚するようになった。当時から病名こそついていないものの、すでに抑鬱状態であったので、独りでいるときに一度「ネガティブスイッチ」が入ってしまうと、なかなか切り替えられないということが頻発した。そういうきっかけがあって、私という人間の本質は孤独にものすごく弱くて、常に誰かと喋って頭の中をなんらかの思考で占有していないと、すぐに不安や自己無価値感、希死念慮が襲ってくるというタイプだということに気づいた。

◼️ 要はコミュニケーションを受動→能動に変えれば良いのだが……

だから、コミュニケーションのしかたを変えることにした。今までは人の話を聞く一方で自分の思っていることを言わない/言えないことが多かったが、近頃はできるだけ自分から喋りかけたり、傾聴の姿勢をとりながらも会話を広げる努力をするようになった。その方が、人とコミュニケーションを取る機会が増えて、結果的に孤独に弱い自分にとって不安やストレスが減少することになるから。

これは「言うは易く行うは難し」である。もともと「コミュ障」の人というのは、能動的にコミュニケーションを取りに行くことができないから、「コミュ障」と呼ばれているわけで。しかし、このハードルを乗り越えないことには、孤独の苦しみから逃れることは難しいだろう。では、どうやって乗り越えようか?私はこうした。

*ただし、緘黙症の人や社交不安障害の人は、自分の意思だけではどうにもならないから、病院に行って、ちゃんと薬的療法やカウンセリングなどを受けた方が良い。まずは病気の治療から。

◼️ 「コミュ障」の乗り越え方ー言語化の上達が能動的コミュニケーションを可能にするー

詰まるところ、口が重い(自分から喋りかけるのが恐い)のは「これを言ったら相手にどう思われるだろう?」「嫌われるんじゃないか?」「バカにされるんじゃないか?」という思いがあるからだと思っている。頭の中にある感情や思考を言語化する能力を鍛えることで、仮にバカなことを言ったとしても、その意図を説明したり自分でフォローすることができるようになる。私の場合、この言語化が上手くなってから、コミュニケーションが前より円滑になった。

他人に能動的にコミュニケーションを取りに行くのが恐かったり、ストレスを感じるのは、「他人に誤解されて相手に悪く思われたり、嫌われたり、バカにされたりするから」だと考えている。誤解を生まずに相手に自分の意図を上手く伝えられるようになれば、そのようなストレスは減少し、能動的コミュニケーションに対するハードルは下がる。誤解を生まないためには、たくさん言語化して、それを表明することが大事だ。これを怠ると……

言葉にしないとこちらが何を考えているか(相手が)わからない
→コイツ喋りかけにくいなと思われる
→人と喋る機会が減る
→自分の思いを言語化するのが下手になる
→喋ってもうまく意志疎通ができなくなる
→喋るのが億劫になる
→言葉にしないとこちらが何を考えているか(相手が)わからない
→コイツ喋りかけにくいなと思われる
→孤独になる
→相手に嫌われたと思いこんでしまう
→人と喋るのが恐くなる
→人と喋る機会が減る……

という負のスパイラルに陥る。

だから、孤独に弱い人ほど、思考を言語化する癖をつけて、自分から喋りかける能動的コミュニケーションを身につけた方が精神衛生上よい。私は、この当たり前のことに気づくのに20余年かかった。

孤独に弱いから、コミュニケーションの機会を増やした方がよい。そのためには頭の中の感情や思考を言語化する習慣をつけて、自分から人に話しかける。仮にバカなことをいっても、自分で意図を説明してフォローできるようになれば、人と喋ることが恐くなくなるということが私は言いたい。言語化が下手やね笑。

◼️ どうやって言語化を上達させるか?

感情や思考の言語化が上手になれば、能動的コミュニケーションがとれるようになって、孤独から解放されるというのは、わかったけれども、肝心の言語化ってどうやったら上達するの?と思われた方もいると思う。

平たく言うと「自分の頭の中にある感情や思考を書きまくること」だ。何か思いついたことや考えたこと、感じたことがあればそれを即座にメモる。今はスマホを所有している人も多いので、LINEなどを使えば簡単にメモがとれる。私の場合は、メンバーが自分だけのグループを作成して、そのトークルームに思いついたことや考えたこと、感じたことを即座に書き込む。それで、ある程度、メモがたまったら、細かいひとつひとつのメモを取捨選択したうえで、論理的に結合して、ひとつのストーリーを作る。今書いているnoteなんかは、こういう手順で作ることも多い。あ、そうそう、noteやブログの類いを始めるのも言語化力を鍛えるのには良いと思う。思考を書き出して明晰化したうえで、纏めるという、人と話すときに必要な能力をトレーニングする過程が含まれているからだ。

今はLINEに「Keepメモ」という機能が搭載されているので、先ほどのトークルームから、選り抜きの文章(思考)だけをKeepして、さらに重要なモノは「ピン留め」機能をつかって、選り抜き中の選り抜きのメモをつくることもできる。

LINEでメモするのをおすすめするのは、書き込んだことが時系列に表示されるからだ。要するに、思考の推移を追いやすい。だから、論理的結合をつくりやすい。そうして、書き込んだメモを元にひとつのテーマについて、ある程度の分量の文章に纏めるということを習慣的に繰り返せば、言語化力というのは上がってくる。

あとは、「知らないことについて調べて(文献やデータを精査して)まとめる」ということもかなり言語化力がつく営みだと思う。未知のテーマについて、文献やWebサイト、論文などを漁って、それらを理解して、1本のレポートに纏めるという作業だ。

これをやるには、はじめて触れる情報を正確に理解して、咀嚼して自分の言葉に噛み砕いたうえで情報を整理して、それらわかったことに論理的結合をつくって、ひとつの構造体(文章)に纏めるという行程が必要で、言語化力を鍛えるのに必要な要素がたっぷり詰まっている。

大学生の皆さんであれば、普段から、授業でたくさんレポートを書かされたりしているだろう。あれは、ちゃんと意味のあることだから、真面目にやった方が良い。ゼミや研究室に所属している学生さんなら、常日頃から研究や調査の結果を報告書に纏めたりする機会が山ほどあるだろうから、そこで言語化力を鍛えよう。

要は、日頃からメモを取ったり、日記やブログの類いをやったり、大学生なら報告書の類いをつくるときに徹底的にわからないことを調べて纏めるという作業を習慣化してしまおうということである。

不思議なことに、これを繰り返しやっていると「書く能力」だけでなく「喋る能力」も向上する。頭の中を整理して、言葉の形でアウトプットするときに色んな表現が瞬時に思い浮かぶようになるからだ。

私もこのnoteをはじめてから僅か5ヶ月と半分くらいだが、家族や友人、医師やカウンセラーから「喋るのが随分うまくなった」と言われた。だから、騙されたと思って、上記に書いたことを繰り返しやり続けて欲しい。

そうすると、人と喋るときに「俺は/私は喋れるんだ!どこからでも来い!」という状態になって、人と喋ることへの恐怖心やストレスが一気に減少する。「『コミュ障』だけど、孤独には耐えられない」という人は、言語化力を徹底的に鍛えて、能動的コミュニケーションに切り替えて、孤独から解放されよう!

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