見出し画像

8月15日の思い出

その日、太郎は日本酒を一人で楽しむことができるに吉祥寺にある「あき」とゆうお店に向かっていた。

お店のマスターは平日の火曜日は比較的お客様が少ないと言われていた。

店のドアをかけるといつもはカウンターには沢山のお客さんがいた(;^_^A
あ、どうしよう普段なら「次回また来ます」と言って素直に自分の家に帰宅するのだが、マスターから「お待ちください、お時間がかかりますが、よろしければそこのテーブルに座って下さい」と呼び止められた。

基本的にマスターは地位が高い人間でも一度、本当かどうかは知らないが当【時の総理】が店に来た時ですら気に入らなければ、人がいなくても「予約で一杯です。」と追い返す変人で知られていた、実際は政策やその人の行ったことを新聞や雑誌で確認していて政策発表の進み具合により受け入れていたとマスターなりの判断基準があることを聞かされた。そんな人から呼び止められた、かなり好き嫌いもあるだろ、ある意味栄誉なことである。

カウンターに座ってまったりとするのがその店に行くときの楽しみの一つでもあるが、そんなマスターに呼び止められた太郎はたまには違う風景もよいかと思い美しく立派な花の活けてある席に腰かけた。

カウンター席には大きなトーチが置かれ、テーブル席の小さなトーチが置かれてとても幻想的な味わいのある演出がなされている。

マスター曰く「火は人類の進歩の一つと思います。古代の人もこのように火の回りに集まり話をしていたのでしょう」とのことだっだ。

太郎は「深すぎて分かりません。」とマスターに伝えたところ、マスターは「太郎さんは正直ですね」と笑っていた。

小さなトーチを持ってきたときに「太郎さん1杯奢るからお店手伝っていただけませんか」と言われたのでいいですよと手伝いをすることにした。

いつもは、奥さんと娘さんが手伝っているのだが、今日はお花の先生をやっているため1時間ほど遅れているとの話だった。
テーブルのセットとお通し(テーブルチャージといえばいいのだろうか?)とお酒を準備して運ぶこと3時間よう女将さんが来てくれて、ようやくアルバイト代をもらえる時間が来た。

それからの時間は終戦の後の話をマスターから聞くことになった。

当時は日本から離れたところで学校の先生をしていたこと、仲良かった住民が日本が負けた瞬間に人が変わり、殺されそうになり命からがら逃げてきたこと、日本に戻ってからは東京ではなく地方で教職に復帰していたこと、引退後お店を始めたこと、そして辞めても先生と呼ばれている。

大きな戦艦に乗っていたと言われている人の話を聞いた。
艦内で仕事をしていたようだが戦闘中のことは自分の仕事をやることで一杯で、周りのことを気にする暇もなかったそうだ。

マスターやその大きな戦艦に乗っていた人は
戦争を知ることのない今の日本がいかに平和であること。
平和は価値がある。人を殺すこともないし殺されることもない。
その中で進歩できれば平和な時代が続くでしょう。

できれば平和が続くことが願いと言っていた。

よろしければサポートお願いします。クリエイター活動費に使わせていただきます。