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【未来に残したい愛知の祭り】 村木神社のおまんと

東浦町村木神社
衣浦湾岸の東浦、高浜、碧南は今もおまんとの盛んなエリアで、祭礼には丸太で囲んで円形の馬場が作られ、走っている馬に並走して若者が胆力を見せる行事が行われます。村木神社の伝承によれば、桶狭間の合戦後に今川義元を打ち果たした清洲の織田信長の元に尾張一円から祝いの飾馬を向かわせたのがおまんとの始まりだとされています。大須観音にも同じ伝承が残っています。

今は静かな村木砦跡の八剱神社

そして、この村木という場所が織田と今川のもう一つの因縁の場所であることも覚えておきたいところです。神社で行われるおまんとに先立って、飾り馬の馬の塔が行われ、その際に立ち寄るのが八剣神社ですが、ここは戦国時代に、今川がこの南にある織田の有力武将の水野氏の緒川城を攻略するために築いた村木砦があった場所で、ここで織田と今川が激突しました。知多半島の西側の寺本城が今川に寝返り、このまま東側の拠点も失えば織田家は知多半島を失うことにもなり、そうなれば、歴史は大きく変わっていたかもしれない戦でした。戦は織田の勝利で終わり、知多半島を失うことはなく、6年後の桶狭間の戦を迎えることになるのです。

八剱神社に向かう行列

桶狭間の戦の伏線とも言えるような村木砦の戦が行われ、そして、桶狭間の戦の戦勝祝に飾り馬を清州城に向かわせたことから、おまんとの祭りが始まり、その祭りが今も続いているというのはなんという歴史のめぐり合わせでしょうか。この祭りが、桶狭間より遡ること6年前に織田と今川が激突したこの地で、今も続いていること、とても意味があるように感じます。

おまんとは馬場を疾走する馬に横から並走しつかまる我慢比べのような祭りですが、大昔は馬を最初に手懐けるとき、このようにしていたのかとも思えます。この歴史の証人のような祭りがこれからも続くことを願ってやみません。祭


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