1人で気ままにブックトーク【信じること】
『雨上がりの川』
信仰の異常性に気付かせる存在は、家族だとよく言われるが、家族だけではどうにもならない。頼れる誰かが必要だ。本作のその「誰か」は、とても暖かく冷静に、家族を見守ろうとしている。
そして、作者の森沢明夫は、信仰の対象となる人物にまで優しい。なぜ、その立場に縋らなくてはいけなかったのか、他に道はなかったのか、周囲は助けられなかったのか。
昨今のニュースの影響もあって、宗教の負の面が見え隠れするが、誰かが救いを求める気持ち、人との繋がりから始まるのだと感じさせられる。また、だからこそ、負の面が生じてしまった時に、抜け出すのが難しいのではないだろうか。
『星の子』
やはり、誰かを救いたいという気持ちから、信仰が始まる。しかし、その信仰はエスカレートしていき、周囲はその異常性に気がついていく。娘自身も、その一端には触れてはいるが、そこから逃げることはしない。
ラストシーン、星を見上げながら3人が並ぶ姿を想像すると胸が痛くなる。この先、3人がどう生きていくのか、信仰を辞めて生きてはいけないのではないか。
周囲は騒がしくなっていくのに、そこについていききれていないような主人公がもどかしく、無理矢理にでも親戚や姉に外に連れ出して欲しいと願ってしまう。それでも、ラストシーンに繋がることを考えると、この家族の幸せは実はここにあるのではないか、とも思えてしまう。
『宗教を「信じる」とはどういうことか』
実際に信仰をしているしている人だと分かっているからこそ、この本に書かれている言葉を素直に受け止められる、というのが率直な印象だ。また、信仰をしている人でも、そこに書いてあることが全てとは限らない、ということも知ってはいたけど、よりストンと落ちた。
「信じる」という言葉も難しい。著者は「信じる」という言葉は、神に対してではなく、同じ集団に対しての連帯を高める意味があるとしている。なぜなら、本当に神の存在を信じているなら、わざわざ「信じる」とは伝えないからだ、と。
前に芦田愛菜さんが映画のインタビュー(それこそ星の子)で「信じる」ことについて話していたことを思い出した。
信じるとは、相手に抱いている理想への期待であって、「相手を信じていたのに…」となるのは、その相手の違う一面が見えただけ。その人は悪く無い。
『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』
『予言が外れるとき』『ニコライの日記』『大義』『深い河』の4冊を、それぞれ宗教との向き合い方から考える一冊。時に熱烈に、時に批判的に、信じることと向き合うその様が論じられている。
信じることは,0or100ではなく、グラデーションがある、というのに確かになぁと思う。他の3冊との違いは、信仰を広げる側にも視点が向かっているところである。そして、その周囲がどのようにそれに向き合っているのかも書かれている。
面白かったのは、『大義』における強烈かつ純粋な天皇崇拝が、若者への戦争の殉死受け入れに繋がる一方、天皇を縦に権力を手に入れている大人への反発に繋がっていた、という部分。
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