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採血の日。

先月新しいかかりつけ医の先生にお会いし、次回は採血・採尿を行う旨を通達された。通達というと何を大げさなと思われるかもしれないが、私の血管は人一倍細く見つけにくい。採血者泣かせ選手権があったら県代表くらいにはなれるんじゃないかと思う。命からがらの大病を経験しているので採血の場数は相当踏んでいるはずなのだが、当日は朝からどんよりとしてしまう。大学病院のようなところでも左がダメなら右かしら、手首や手の甲でもいい?と聞かれ、挙げ句の果てはベテランの方にお出ましいただき一件落着という事が何度もあった。ひどい時には「鉱脈」(でいいのか)が見つかってもいないのに、針を刺してから探るという荒技に出られる事もあって、これにはさすがに辟易した。だからスタッフの方も限られる町の病院にお世話になる時は、そこに血を採るのが上手な方がいるかどうかという事は、非常に重要な関心事となる。

そして当日。診察の前に呼ばれ、採血室へ。もはや初見参の時の枕詞になっている「採りにくいんですよ」を言いながら腕を差し出す。「大抵はこの辺で採っていただけます」と肘の内側を示すも、案の定、左手右手甲手首とくまなく触られ「ギブアップ」と先輩らしき人を呼んだ。先輩らしき人はふむふむと触りながら「ああここね」といいながらズブリ。「はい採れていますよ」随時採血不随意性患者はこの一言をどんなに待っているか。これで食事を抜いてきた甲斐があった。

診察は大学病院で行ったエコーなどの画像を見ながら、当面は経過観察でよさそうな事を確認。血液検査の結果次第で薬の調整などをしていきましょうということになった。「ところで吉田拓郎でしたっけ」「はい」「友人に好きな奴がいてね。僕はビートルズ、洋楽の方が多いかな」「僕も聴きます」「日本で一番のボーカリストって誰だと思います」問診は想定外の方向に飛ぶ。「うーん誰だろう(吉田拓郎と答えると今後診察のたびにその話になる危険があるのでそうは答えない)」「徳永英明っていう人がいるんだけど玉置浩二だと思うんですよ」「僕もどちらかと言えば」「でもね、コロナの時に救われたのは桑田さんなんですよね」「へえー」どうもこういう話に乗ってくれるペイシェントとして認識されてしまった模様。「まあ、少しでも長く今の状態を維持できるよう出来ることはしていきますので」「ヨロシクお願いします」きれいごとではない持続可能な健康目標である。なぜ桑田佳祐に救われたかはおいおい聞く機会があるかも知れない。


見出しのイラストは「†あらやん†|🎨ゆるかわ絵師」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。



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