見出し画像

「かかりつけ医」が変わった。

「かかりつけ医」の定義は厚生労働省よると「健康に関することをなんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介してくれる、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」とある。何でもかんでも大きな病院に行かないで日常の基本的な健康管理は町のお医者さんにかかってね、ということ。大動脈解離をしたようなこのオヤジの場合、術後しばらく大学病院に通院していたが、安定期に入ったところで紹介状を書くのでリストから希望の「かかりつけ医」を選んでこれからはそちらで診てもらうようにということだった。定期的に行う精密検査だけは継続して大学病院で行うので関係が途切れることはない。

エキチカ、徒歩十数分のお医者さんにお願いすることにして通うこと数年、大きな齟齬もなくお世話になってきたのだが、この3月いっぱいで閉院になってしまう。すでに診察は2月で終わっている。先生は六十代後半「もう歳だから」と言っているが、むしろ若く見えるくらいでまだまだ現役で大丈夫なのではという感じだ。1時間以上待つのは普通で閑古鳥が鳴いているということはない。看護婦さんや受付の人の話を総合すると、どうもネックなのは導入の義務化が図られている電子カルテにあるようだ。電子カルテはまだ「原則義務」という強制力のないものにはなっているようだが医療機関からは時期尚早などと甚だ評判が悪いのはよく知られたところ。わが「かかりつけ医」の先生が引退を早めたのもどうもこのあたりにあるようだ。意訳すれば「うちのような病院は高齢者が多い。自分だってあと何年できるかわからない。そこにこんなリスクが高くて導入コストのかかるシステムなんか導入していられるかいな」というのが本音らしい。義務化されると廃業する医療機関は1割を超えるともいわれている。地域医療の未来はいったいどうなっているのか。

次にかかりたい医療機関の希望を伝え、先生が先方宛の紹介状を書いてくれるという流れ。循環器科があることが必須なのだが、幸いこれまでとさほど変わらない近さで代々続いているところがあった。実ははるか昔、先々代の先生だったのだろうか喘息の治療で一時期お世話になったことがある。昨日、預けられた書状を持って「頼もう」と門を叩いたのだが、さすがに名前を知っている人はすでになく「何奴」と言われ、氏素性を名乗り中へ通された(どこの道場だ)。初めてかかる先生というのは緊張するもので何かとこちらも身構えてしまう。紹介状の書面やデータを見ながらしばし問診。倒れた時の状況なども改めて聞かれる。「何をしたあと?」「実はコンサートから帰って・・・」「ところで誰の?」「吉田拓郎の」「ひょっとして復活の?」と、一体何を話しているやら。薬の事なども細かく確認している。どうやらていねいに診ていただけそうで一安心。手術痕や聴診器で胸を診たあと「見事な出来映えですね」と手術の腕に感嘆している。かなり高度な技術のものだったことは聞いているが、ちょっと診ただけでわかるものなのか。「いやあ、それほどでも」と思わず言いそうになる。改めて生きていることに感謝なのだ。

今は身バレしていないが、昔かかったという事以外に親との関わりも少なからずあった病院なので、そのうち素性を暴かれてしまう懸念がなくもない。別に悪事を働いたわけでもなく、知られたら知られたで「そーなんですよ」と言っていればいいのだけれど。とにかくよろしゅうお頼もうします。


見出しのイラストは「ワダシノブ」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?