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そうか、シーナも間もなく傘寿なのだ。

椎名誠の新刊「サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊」を買って来る。興味のない人には「何がどーだだ。ただの釣り好き酒飲みおっさん集団じゃないか」と言われればまったくその通りなので返す言葉もない。帯にもあるが「あやしい探検隊」結成からもう60年が経つ。端緒となった「東ケト会」(東日本何でもケトばす会。なぜ西日本はけとばさないのかは知らない)から少し疲れた中年たちの「いやはや隊」を経てこの「雑魚釣り隊」に至るまで、一貫してその隊長であった椎名誠の実質的な隠居宣言(あくまでもアウトドア物書きとしての)なのか。

シーナ(としばしばコピーでもそう呼ばれてきたので、以下シーナとする)とのつきあい(紙の上で)は、あの情報センター出版局から出た「さらば国分寺書店のオババ」からなのでかれこれ50年以上になるのだ。80年代のいわゆる昭和軽薄体の面々の影響をもろに受けてきたわけで、一時期通ったジャーナリスト専門学院で学んだルポルタージュの「ものの見方」と合わせて、ここに目出度く硬軟取り合わされた自分でもよくわけのわからない人格形成がなされていくことになる。

隊長と呼ばれるだけにシーナはこうした集団で地球どこでも乱入行動を好む。幅広い人脈で隊員の職業もサラリーマンから漁師、弁護士、物書きと幅広い。いい大人のくんずほごれつの大騒ぎは、いい大人だからこそのわきまえがしっかりあるから安心してその行状についていける。隊には奴隷というエセ人権派などがワーキャーいいそうな制度があるが、ここの奴隷にはちゃんと個の権利があり、共存共栄が保たれている。WinーWinな奴隷制なのだ(なんか変な日本語だな)。

団体行動がきらいな自分がどうしてこの集団に魅力を感じるのか。ひとつにはこの集団には命と相互への敬意(もちろん紙面では全員が「ばーか」と言われる)以外に無駄なシバリがないこと。組んだら最後解くこともままならない気合いっぱいの「絆」なんてものはない。ゴムのように伸縮自在のやわらかいつながりだ。もうひとつは昔ぜんそく今心臓と世界をかけ回るにような体力とは無縁だった者の、こうありたかった一つの憧れがあるのかも知れない。喧嘩っ早い番長然とした読書好きという高校時代のエピソードもきらいじゃない。そしてシーナにはお子様化していくこの国へ疑問や怒りが常にある。

ということで「笑いと涙のシリーズ最終巻!」と帯にある本書を読み始める。相変わらず釣りの知識はちっとも蓄積されていないので、すごいのかすごくないのかもわからない。もうただ「文体」を楽しんでいる。「雑魚釣り隊」には釣りをしない隊員もいるのでそれでいいのだ。パラパラと頁をめくると章ごとにいい大人の雄たけびやどーだどーだの釣果の自慢、ウグウグプハーの大宴会の写真が挿入されている。そんな隊員たちに交じっているシーナが、どれもなんだかいい好々爺の顔になっていて「ああ、そういうことなんだな」と妙に納得ができる。シーナももうすぐ80歳なのか。自分だって来年には前期高齢者と呼ばれる集団に否応なしにカテゴライズされてしまうのだから時の流れはオソロシイ。

好きが高じてここまで来た、とはいえとりあえずはお疲れ様なのだ。孫のお相手も楽しいでしょうが、元気なうちは時々は世の中に「バーロー」と言ってくれるとありがたい。


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