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むかし「リュエル」という旅行雑誌があった。

大学生の頃、高田馬場に「日本ジャーナリスト専門学校(略してジャナ専)」という学校があり、夜間の聴講生として通っていた(大学の授業がもの足りなかった自分にとって、この「ジャナ専」こそがゴーリキーではないが「私の大学」だったのだと思う)。80年代前半、プラザ合意前の「なんクリ」で「ルンルン」な時代。そこで出会ったEさんという方に親しくしていただき、彼女が取材記者として働いていた季刊誌に「ちょっと書いてみる?」という事になった。「リュエル」というドライブの情報誌で地図の昭文社(あの「まっぷる」の)が発行していた。その強みを生かし充実したルートマップと実取材に基ずくきめ細かい情報が売り物だった。「私のシークレットドライブコース」という見開きの連載があり、本来読者の投稿企画なのだが「次回は初心者マークのドライバーでの記事を」から、ちょうど免許とりたてだった自分に声がかかったというもの。両親の知人から格安で譲り受けた10年もののカリーナを駆って、千葉の我が家を起点にEさんらとともに大洗~常陸太田市にある徳川光圀の隠棲の地・西山荘~北茨城・平潟の民宿に一泊し、勿来の関に寄って帰途につくルート。宿のセッティングその他もろもろは編集部、という「投稿(?)企画」。まだ常磐道は全通していなかった。しかし今読み返してみると、当時の大学生の「投稿」(ではない)とはいえこれが軽い、チャラい、あざとい、しかしテンポだけは良い。観光情報を入れるのにいちいちギャグをかまさなきゃいけないのか、おい。と40年近く前の本人にツッコミを入れたくなる。「軽薄短小」の時代を地で行っているではないか。

カーナビなんてものがなかったあの頃、地図を片手に(は危ないので持たないが)、道に迷っては確認し、あらぬところに出てしまっては「こんなはずでは」と見直す。GPSによる到着時間の精度の高さや精緻な渋滞情報を思うと今昔の感だが、アクシデントの多かった往時のドライブもそれはそれで懐かしい。が、それはそれとして持病もちのアラ還は、便利なカーナビに平身低頭して今後もお世話になりながら、有意な徘徊のために明日もハンドルを握るのである。




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