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てんやもの

「てんやもの」と言うと「何者ですか?」と聞き返されそうだ。昭和のジジイは「てんやわんやって知ってる?」とか答えて話をややこしくしそうな危惧を覚える。死語は慎みなさいと言われそうなのでこれにて終了。

「店屋物」はデリバリーされたものではない。あくまで「出前」されたもの。言葉の意味はどうあれ、ここは明確に線引きをしたい。あくまで店で供される料理と同じ器で届けられなければならない。出来ればおかもちで届けてほしい。頂いたあとはさっと洗い玄関先に置いておく(細かい作法は土地に寄って違うらしい)。お支払いは後日の集金。蕎麦屋・中華そば屋・寿司屋が主な発注先で、器の形状から、近所にまるわかりになる。

子供の頃は、今より遥かに外食をする機会は少なかった。ファミレスなどというものはない。外食すなわち非日常の行為なので、店屋物を取るというのは子供心にはちょっとウレシイ出来事だった。

この店屋物がどの位の頻度で食べられたのか忘れてしまったが、他の家に比べてわが家はかなり頻度が高かった気がする。それというのもわが家は来客が多く、始終居間から誰かの声がしていた。主に父親絡みで、市史編纂などの公的な仕事の関係、私的に請け負っている出版社の人、職場の同僚、卒業生、なぜだかよく入り浸っていた市会議員など。高校の担任の先生(もちろん私の)が茶のみ話をしに来て、ネタのように説教をされ父親がギャラリーよろしく笑って楽しんでいるというひどい事もあった。のどかといえばのどかな時代だ。加えて母親が社交的ときていて、PTAから近所のお母さま方までこちらもさながらサロンのようなのだ。父親の関係は時として話が長時間に及び、そんな時に店屋物をとろうという事になる。多くは子供に選択権はないが、ごくまれに決定権を委ねられる事があり、迷わず「ラーメン」と答え、中華そば屋への出前と相成る。おそらく来客の「格」や「頻度」で発注先は違っていたのだろう。常連で長っ尻の客はたぬき蕎麦がせいぜいだったに違いない。

届いた店屋物は、お客様にご挨拶ののち、盆にのせて自室へ持っていき一人で食べる。居間で食べてもいいのだが、そんな窮屈な事は間違ってもしない。せっかくの外食気分なのだから、少年マガジンやサンデーを肴に気兼ねなく汁まですすりたい。一つ問題だったのは、長居をされるとお目当てのテレビ番組が見られなくなる事。今と違いテレビは居間に1台あるだけ、ビデオなどというものはまだ家庭に存在していない。

残業の多い仕事に就いたので、社会人になっても店屋物には大いにお世話になった。残業食の補助があり、時には食べたるだけ食べて即帰る、翌日しれっと請求するという文字通りの食い逃げもしばしば。古き良き時代のお話だ。今は「出前」をしてくれる店自体が少なくなってしまった。


見出しのイラストは「たんぽぽ拝」さんの作品をお借りしました。蕎麦屋の曲芸のような出前も見なくなりました。


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