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タイトル買いなのだ。

「待望の文庫化!」から一ヶ月余り、ベストセラーの話題を席巻している「百年の孤独」なのだが、まさかこんなに売れちゃうなんて。多くの国で翻訳されたノーベル賞作家の名作がなぜか文庫化されないまま数十年、満を持しての登場ではあるにせよ。タイパもコスパもきっと悪いぞ、そんな事を気にするお方は決して手に取ることはないのだろうけれど。

作品のもつビートというか、そこにしかない言葉の抑揚がダイレクトに感じられない翻訳文学というのはどうも苦手だ。だから本棚にはレイモンド・チャンドラーやフィッツジェラルドなどアメリカ文学を中心に数十冊しかない。それでもはるか遠くコロンビアのこの作家のことは若い頃から気にはなっていた。ガブリエル・ガルシア=マルケス「百年の孤独」―ラテンだなあ、ロックだなあ(個人の勝手な感想です)と、内容とは全く関係なく。でも長いなあ、面倒くさそうだなあと思い四半世紀を遙かに超えた。

それがこのたびの文庫化である。手に取ってそでを見ると本を頭にのせたおっさんがじっとこちらを見ているではないか。おっさんが頭にのせているのは他でもない本家本元の「百年の孤独」。「いいから読め」という圧に負けてレジまで持っていってしまった。

「読むと読書の胆力がつきます」と評論家の方が言っていたような。この歳でいたずらに鍛えたりするとカラダに悪いので、だらだらのんびりと読むことにする。厄介な一族の長い長いファミリーヒストリーだ。疲れる人たちだなあと思いながら、カバー裏にある「劇的な最後」はちゃんと見届けねばなるまいと思うほどには面白い。解説は筒井康隆だし、これは読後のお楽しみ。

タイトルに惹かれるという事は少なからずある。「百年の孤独」は間違いなく中上健次の「千年の愉楽」(1982年)が頭の片隅にあった。「千年の愉楽」も何か得体の知れない胸騒ぎを憶えた記憶がある。綿矢りさの「蹴りたい背中」とかも想像力をかき立てる。筒井康隆なんかはそんな惹句のオンパレードだ。

ノーベル賞がどうだとか身構えると本なんてちっとも面白くない。図らずも格闘を強いられる事態に陥ったら、とりあえず闘ってみて敵わないと思ったら潔く負けを認めればいいのだ。しかし「百年の孤独」なかなかに取り組み甲斐があるゾ。

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