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「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」

話題の新刊文庫に混じって「面だし」で置かれていた(文庫初版は2020年)。素敵な不意打ちについ中身も確かめずレジに向かってしまった。本の行商で生計を立ててきたトスカーナ地方にある山奥の山村の話なのだった。

きっかけは「夏のない年」と呼ばれた1816年の異常気象。自給自足を頼りに近隣との物々交換などで細々と暮らしてきたその基盤が危うくなった。何かを売りに行かなければと始まった行商は、初めは本ではなく護符や暦だった。そこに工業化の波が庶民の生活を徐々に変え、高価だった本の購買層が広がっていく。1800年代なかばの通行許可証には「そして、本も売る」という追記が加えられる。「白雪姫」や「赤ずきんちゃん」などの子供向け本はよく売れたらしい。

毛細血管のようにイタリアの各地に張り巡らされていく流通網は、一般書店の警戒を尻目にやがて出版元の絶大な信頼を得るようになる。庶民という新しい読者層が何を求めているのか、彼らが運んでくる情報ほど確かなものはなかったのだから。

禁書に対するスタンスがいい。監視の目をかいくぐってレジスタンスの活動家に命を賭してでも求められるものを届ける(時にはスカートの下に小冊子を隠して上流階級のサロンに持ち込む)一方、ポルノ本を欲しがる憲兵たちには「だんな、いいものが入りましたぜ」(ちなみに本書でこんな文体は使っていません)と検閲を逆利用する。そもそもの始まりは「生きるため」なのだ。

前半、ヴェネツィアで著者がこの村を知るところから物語は始まる。糸を手繰り寄せるように旅する本屋の小さな村に近づいていくのだが、印刷前史などやや冗長に思われる周辺からの攻め方も、次第にこの村への理解を深めるためには必要な手順だったのだと思うようになる。そして随所に挿入されているカット(写真)がいい。あえて主張をせずキャプションもないそっけなさが本文へ効果的に集中させる。

限界集落のような山村は、ひと夏収穫祭には全国に散った家族や親類が集まり一挙に賑やかになる。収穫祭の主役は、もちろん本だ。何本もの道を本がつなぎ、本が呼び戻す。すべての道は、どこかに通ず。まあとにかく迷い込んでみなはれと本が言う。



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