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西川美和著「ハコウマに乗って」

今年のGWは狙ったかのように谷間の3日間を除いて好天で気温もうなぎのぼり。コロナも明けた(忌明けみたいなつもりか)ぞ、鎖を外してやるから海なり山なり行ってこいと言わんばかり。毎日が何曜日?のわが家は半径10㎞以内の日常で100円アイスをほおばっている。

そんな気分でふっと平積みから手に取ったのが西川美和さんの「ハコウマに乗って」というエッセイ集。装丁にひかれたわけでもなく(むしろもうちょっとどうにかならなかったかと思う)強いて言うなら帯にあるご本人の柔和そうなほほえみに惹かれて(少しだけほんと)。

西川美和という人が「ディアドクター」などの監督で、小説も書くということはもちろん知っている(「きのうの神さま」と「永い言い訳」は読んだ)が、その人となりの詳しくは知らない。作品などから好感は持っていたが、自分の中ではそれだけの人だった。

「文藝春秋」などに連載された日々雑感をまとめたもの。多くがコロナ下と重なっているので、それに関連したものも多い。映画なんてその煽りをまともにくらったわけで、ぶち当たった壁や謂れなき中傷も数知れなかっただろう。そんな中で、エッセイの中の本人はいたって「平熱」だ(自らが罹患して高熱を出しても)。東京五輪(その大会に臨むアスリートも含め)に疑問を呈しながら競技に見入ってしまう自分、ステイホームのさなか息継ぎにはどうしても必要だった「死出の旅」、どれもこれも特別ではない日常があってその地続きに映画監督という少しだけ特殊な仕事がある。おどおどと逡巡しつつ、自分にツッコミを入れながら。

読んでいて、西川美和という人の感覚(というか体温)はどうも自分にかなり近いのではという気がしてきた。「そーだろうねー」「そうかもねえ」と
エピソードの一々が妙にしっくりと納得できる。案外こういう事は少ないのだ。霊感がないと言っているのも同じだし。もちろん映画監督という職業からして、キリッと厳しい方だろうと想像するに難くないわけで、そこだけは明確に違うのだけれど。やっぱり帯の笑顔に騙されているのかも知れない。お願いだから、これからもミャクミャクとツーショットでニッコリなんて仕事はしないでください。

ちなみに「ハコウマ」というのは、舞台や撮影現場で使われる木製の箱。高さの調整にも階段にも使う万能の道具。昔、私はトロイの木馬を想像していました。

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