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第3回コンパスプロジェクト~ウェルビーイング〜 Report by Iku

「わたしたち」の Well-Being とは?

「ワタシ」ひとりだと Well-being なことって、色々ある。 
「ひとりで大好きな○○をしている時」「大好きな人と○○している時」

でもなぜか、今関わっている仕事や社会的関係性・場面、 すなわち「私たち」というフェーズにシフトしていくと、「Well-being じゃない」ことが多々ある。

なんでなんだろう。

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1 日の大半、貴重な時間や労力を割いて、それなりに一生懸命心をこめて過ごしているのに、心から素直に「Well-being だー」って言い切れない状態に、ずっと身を置いていることの違和感やモヤモヤを思った。

3回目のワークのお題「わたしたちの Well-being を考えてみましょう」をいただいた時に、 どうしてもこのモヤモヤを拭い去れなくて、思い切って、この「なんでだろう」を一緒に考 えませんか?と投げかけると、メンバーが数人集まってくれた。

そんなモヤモヤ場面を互いに共有していくと、さらに出てきたことがある。

ワタシは Well-being だけど、アナタは Well-being じゃない時
アナタは Well-being だけど、ワタシが Well-being じゃない時
「Well-being じゃないアナタ」を Well-being にしようとして、逆にワタシがどんどん「Well- being じゃない状態」になっていくことってあるよね。

具体的な場面で言うと、例えばこんな時。

 「仕事場の人の相談に乗り続けていくと、その人は気が晴れてすっきりしたみたいだけど、 反対にワタシはしんどい状態になった。」

「親の話や価値観(親にとっては、Well-being なこと)をずっと延々と聞かされていたけど、 それはワタシにとっては Well-being じゃなくて、でも話しても伝わらないから、ただ聞くだ けに留めている。でも毎回聞かされることに苦痛も感じる。」

 「大切なパートナーが希望すること(その人にとって○○してもらえたら幸せみたいなこ と)に応えようとしていくうちに、自分の well-being さがどんどん削られていって、一旦そ の場から立ち去るしかなくなった。」

みたいな。 そうしたメンバーのモヤモヤを煮詰めていくと、さらにもう一段階深い問いが浮かんできた。

じゃあ、「わたしたちが、Well-being」って、一体どんな状態なんだろう。 どんな条件や要素があれば、「お互い Well-being でいられる」んだろう?

この問いをもとに再度メンバー同士で考え話し合ってみた。そして出てきたことが、こんなことだった。

・ワタシの Well-being とアナタの Well-being は違うこと=多様な Well-being があること、 を知り、互いの違いを受け入れ合おうとする意識を持っておくこと
 ・「わたしたち」(それは、例えば職場で、地域で、社会で)を構成する際に、できれば0ベ ースから、お互いの Well-being な状態を共有し、すり合わせていく(フラットに話し合って いく)ことで、「わたしたちの Well-being な状態(場や関係性等)」を創っていくこと
 ・どうしても壊したくない大切な関係性の人(例えばパートナーや家族など)と、2人でい ることで「Well-being じゃない状態」になっていく時は、一旦「離れてもいい」ことを認め ておく。つまり「自分の Well-being を整えられる場や時間」を持って、再度つながり直せる ような「余地」を作っておくこと


総じて、
「わたしたち」を構成するメンバー各々が、互いの Well-being な状態を知り、ありのままに 認め合うこと、そしてその状態を許したり、受け入れあえること
即ち、「お互いの Well-being」を大切に尊重することが、
「わたしたちの Well-being」を創りだす諸条件(要素)なのでは? という結論になった。(もちろん、これも現時点での暫定的結論だけど..)

これが、9/26 の3回目のコンパスプロジェクトで得たもの。

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さて、今ここまで書きながら思ったこと。職場とかって「給料を払う側」即ち「雇用主」が いて、その管理の元に成り立つ環境だし、もっと言えば会社だと「営利を追求しないといけ ない環境」だから、
この「お互いの Well-being」など聴いてられない(尊重されない)環境になりがちなのかも。 と。トップダウン、ヒエラルキー。強いて言えば「支配(コントロール)される構造」? だからなのかな。雇用されて働くとなると、ワタシは「Well-being じゃないなー」と感じてしまうのは。

もっと思い切って、提起するなら、
今の日本社会は、働く場だけじゃなくて、もしかすると学ぶ場=教育機関もそうかもしれない。その場を構成するメンバー(例えば生徒や保護者・教員)ひとりひとりの「Well-being」に耳を傾けて、1から環境や学ぶプログラムは創られていない。一律的なものをあてがわれ るだけ。「ワタシの Well-being」すなわち、興味関心・好きなこと・学びたいこと・学びやす い環境といったものは、入学時も在学中も「聴いてはもらえない」。 そんな中、ひとりひとりが自分の身を削りながら、なんとか適応しようする。でも途中で力 尽きることがある。だからかも。休職者や不登校になる人が一定数出てしまうのは。 誰だって、自分が「Well-being になれない状態」にずっと居続けなくてはいけないのは、苦 しいし病気になったり、(Well-being を尊重されないために)ありのままの自分でいること に自信がもてなくなったり、好きになれなくなったりするよね。

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今後、もし、新しい社会システムや教育システムを考え・構築していく時がくるならば、 こうした点も視野に入れておきたい。 参照までに。上記のような疑問に立って、新しい試みも生まれて始めている。従業員一人一 人の「何のために働いているのか」(その人の well-being)に耳を傾け、その「存在目的」か らスタートする。その人の個性(全人格)やこれまでの経験知(経歴)を生かし、働く者同 士が有機的なつながりの中で働く新しいスタイル。 上司が指示を出し部下が動くという上下関係、一方的なマネジメントではなく、双方向性の やりとりを創り出せるフラットなチームで、一人一人が能動的に、自らの仕事内容や職域・ 役割を創りだし働くスタイルー「ティール」組織の考え方だ。 コロナ禍によって、リモートワークや在宅勤務が導入され始めた社会において、今後はこう した「管理・統制」型でない考えに基づき、1 人 1 人が働き甲斐をもって生き生きと(1人 1人の well-being に沿った)働き方ができる社会の構築を望む。

あ、そうそう。もひとつおまけ。
最後に誰か(Y先生だったかな)が呟いていた言葉も、不思議と耳に残った。時間切れで話 し合えなかったけど、ここで共有。

「わたしたち」のおよぶ範囲も、考えてみれば、色々あるということ。


例えば、友人関係や家族関係・パートナーシップなど私的で小規模な「わたしたち」から、 少し社会性を帯びてくると、プロジェクトチームや仕事場・地域・社会・世界といった公的 で大規模な「わたしたち」。 他にも、自然環境や動植物が住まう地球環境といった「わたしたち」もある。 もっと言及すれば「わたしたち」である人類は「Well-being」だけど、他の生物たちにとっ ては「Well-being じゃない」こともある。人類としての「わたしたち」は「ことば」や「グ ラフィック」があり、なんやかんやと共有するすべがあるけれど、もし「モノを言わない存 在たち」のことも視野にいれて「Well-being な状態」を探るって、どうしたらいいんだろう。

どんなアプローチがあるだろう。

これも積み残された次の研究テーマかな。 コンパスプロジェクトって、多様な人たちが多様な角度から、率直に話をするから、 ほんと面白いし、深まる。だから好き。

Well-being なことを考えていくと、Well-being になっていく。 本当にそうかも。


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