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私だけの宝物。

こんにちは、綾沢 深乃です。

今回は、noteを始めた時にいつか書こうと決めていた私だけの宝物についてです。
掲載した写真に載っているのは「支天輪」という物です。

写真を見て、すぐにあぁ、知ってる知ってるとか懐かしい〜と反応した方。
いいでしょ〜。

何これ? と全く知らない方。
ググらなくても大丈夫ですっ!! 今から説明します!!
簡単に説明すると、かつてガンガンで連載されていた「まもって守護月天」という神漫画があるのですが、そこに登場するアイテムが支天輪なのです。

支天輪の中を覗けし者 あらゆる災難をはねのける 「守護月天」の守りを得よう。
というアイテムです。
まもって守護月天の1話が読めます。
良かったらどうぞ。↓

私がこの支天輪を宝物だと言うのは、単純にこの作品が大好きだからというだけではありません。(勿論、今でも原作は大好きです! 現在発売中の続編含めて本棚に全巻揃っております)
私が「まもって守護月天」という作品を知ったのは、中学2年生の時です。
今振り返っても人生で最も辛い時期です。

ここからちょっと辛い話になります。

当時の私は、神奈川県横浜市から某県某市に親の仕事の都合で引っ越しをしました。我が家は転勤族であり何度か転校を経験しているので、コミュニケーション能力には自信がありました。
知らない相手と話して仲良くなるのが好きだったのです。
なんだったら、得意と言っても過言ではありませんでした。
だから、小学校から中学校まで住んだ馴染みのある街から引っ越しは、悲しかったけど、次の所でまた頑張ろうみたいな気持ちでいました。
前の所に負けないくらいの友達を作ろうと思っていました。

だけど、そんな気持ちは一瞬で打ち砕かれました。

悪い意味でも良い意味でも閉鎖的だった某県某市は、生まれた時点から一緒で既に仲が良くコミュニティが完成されていました。
そんな彼らの目には中学2年生で転校してきた私は、異物でした。
標準語は関東弁というカテゴライズをされて、倫理観や価値観がまるで合いませんでした。
向こうに合わせようと、少し無理をしてチューニングをして無理が出て、彼らとの間に軋轢が生まれて、そこから一気に下降。
虐められるのに時間はかかりませんでした。
授業中は消しゴムのカスを投げられて的あて。昼休み、居場所のない教室から図書室に逃げて、チャイムギリギリで教室に帰って来たら、机がひっくり返って中身がグチャグチャにされていたり。
コミュニケーションに自信があった私の心はあっという間に崩壊して1週間、2週間を無言で過ぎていました。当然、私に味方はいません。
今では当たり前のように持っている携帯電話も当時は持っていませんでした。(のちに見かねた親に自衛用の意味で持たされる事になります)

毎日、1人で戦争に向かう気持ちで中学校に行っていた私。
本当に当時を振り返ると、鳥になりたいとずっと思っていました。何故なら鳥になれば自由に飛んで行って、そのまま前に住んでいた横浜まで飛んでいけると信じていたのです。

そんな中、私が出会ったのが「まもって守護月天」という作品です。
本屋さんで並ぶ漫画で背表紙を目が合いました。
「まもって」という言葉に無意識に目が向いたのでしょう。
この作品で、何より私が心が惹かれたのは、主人公の七梨太助君が14歳というところでした。私と同じ年齢のこの子は支天輪があって守護月天に守ってもらえてるんだ。羨ましいなぁ、いいなぁ。と。
(この時点で現実との境界線が曖昧になっていますね……)

その後、紆余曲折あって(詳細は精神衛生上書けませんが、半年後には別の県に引っ越しました)私は、この支天輪を見つけます。
これは正確には、『支天輪ハンドミラー』というアイテムです。
ですが、中の鏡を抜くと、まさに作中に登場した支天輪になります。
これだ! 私はこれが欲しかったんだ!

使っていなかったお年玉ですぐにそれを購入した私は以来、外出時には持ち歩いています。
働いていた時も通勤カバンに入っていますし、遊びに行く時もそう。たとえちょっとコンビニに行く時でも当たり前のようにカバンに入れていました。
旅行にだって欠かせません。
そのせいで、ちょっとずつ傷が付いたり、一部が剥がれていますがそれは世界に1つ私だけの支天輪だからなのです。

これからもずっと持ち歩くと思います。
そういう意味では私はずっと守護月天に守られているのも知れませんね。

ここから余談です。
数年前、私は上記の話を「まもって守護月天」の作者である『桜野 みねね先生』にブログのメッセージ経由で送りました。
自分が守護月天をどのような時に出会った事、支天輪を今も持ち歩いている事。現在は小説を書いていて、いつか小説家になりたい事。
もし、小説家になれたらイラストをお願いしたいと思っている事。
心の内を全て書いて送信しました。
送った直後は「やってしまった……」と結構な後悔がありましたが、もうどうする事も出来ないので、忘れようと努めて脳の隅に追いやって仕事をしていました。

それから更に数日経過した、とある日の午前中、なんと桜野先生から返信が届きました。
「……えっ!?」
仕事中にも関わらず、iPhoneに表示された名前を見て、思わず声が出たのを覚えています。
それから即効で仕事を終わらせて、昼休みに突入。
(時間をかけてじっくりと読みたかったので、午前中は決して読まないようにしていました)
誰もいない秘密の場所でそっと、メールを開きました。

いただいた桜野先生の内容はここでは書きませんが、大切な私だけの宝物です。落ち込んだ時、心が弱った時などによく見返しています。
いつか、桜野先生に書いてもらえような作品が出せるような小説家になりたい。その気持ちは、その気持ちだけは濁らず純粋なままです。

これからも小説執筆、頑張ります。


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