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じゅんすいな意識

ある朝のふしぎな
無私?のできごと




いつという感覚も
だれという認識も

なにも無いことの
心地よさを残して


生と死のあわいを
束の間ただよわせ

在るということの
不思議さを通して


染みわたるように
記憶がよみがえり

再び運ばれてゆく
いまいるわたしへ



***

“自分自身の死、その不可能性。

翻って、いま在るとはどういうことか、
広げて、存在するとはどういうことか…

…思索は、死を越え生を包み、
生死の区別の向こう、
「人間」すら越えて広がるのである。

広がりつつ、しかしここにいるのである。
謎を思索することで、思索自体が謎と化す。

今さら「私」とは誰であり得るのか。”


池田晶子

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