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違和感が膨らむ理由について

ある関係(会社とか)人間関係(夫婦とか)に「違和」を感じるという意見を非常に耳にするようになったのは震災(2011年)以降でしょうか?

いや、ネット(ブログやSNS)が普及して、一般の人の悩みとかを聞くようになってからだという気もしますが

それで、「違和感」を感じたら、すぐそこをはなれましょう、というアドバイスがメチャクチャ多いです。

9割の人が、そうアドバイスしてます。

時間のムダだから、とか、あなたの運命の〇〇ではないから、そこをすぐ離れろ、とか、断捨離しろ、とかです。

で、僕は、最近、100人が100人同種のアドバイスをするのにそれこそ「違和」を感じたのですが
それは、なぜだろう?と考えたとき
ある人が、ある関係(職場や会社)や(夫婦)に違和を感じるのは、つまるところ、相手やまわりに問題があるとか、「合わない」とかいうより
ある場所で、あなたが口を噤むから、というのも50パーセントはあると思います。

つまり、「違和」の正体は、まわりにというより、あなたの基本習慣にも依拠してるといえそうです。

「違和」の正体は、半分は、あなたが「言わない人」だからかもしれません。

もし、そうだったら、会社などをいくつかえても、不倫などに走って、夫婦関係を御破算にしようと同じことではないでしょうか?

もちろん、「違和」を感じる空間では、あなただけではなく、まわりの人も口を噤んでいるのです。


口を噤むって、そんなに悪いこと?

いえ、あるシチュエーションで、人が率直な表現を差し控えるのは、むしろ思いやりに基づいている場合もあります。

率直な人は、風穴を開けることもありますが、しばし、日本的な観点からは無神経に見えて、高評価を受けられないでしょう。

会社などで、入って半年経たないペーペーが自由にモノを言ったらたまったもんではないというのもあります。

もちろん、入ったばかりの人でないと気づけないこともあるでしょうが
「理屈ではそうだけど、やってみると、多分、うまくいかないよ。それは1年以上やらないとわからないよ」ってこともあるかもしれません。

船頭多くして船山に登るといいますから、すべての人が自由にご意見を言えばうまくいくのかは何とも言えません。

率直に意見を言えば、平行線が続く場合もあります。

たとえば、移民を奨励すれば国はメチャクチャになるよ、という人と
こんだけ少子化が拡大してるのに、日本人だけで足りるわけないだろうという人は、永遠に(?)反目してるしかないのかもしれません。

アメリカで、黒人の権利と平等を主張したキング牧師が、どのようになったかを見れば、言うべきことを言うというのは、口で言うほど簡単なことではないのかもしれません。

そこで、会社や夫婦(またはパートナー)親子に違和を感じた人のはけ口は、概ね2通りあるようです。

ひとつは、Twitter(X)やSNSなどで、趣味やヲタクなはなしで盛り上がれる人で仲間を作って発散する
または、政治社会問題などを、やっぱりTwitter(X)やSNSなどで床屋政談みたいにリプなどで盛り上がるとかです。

もうひとつは
世の中はなしの通じる人などいないし、ご意見するのはムダなことと、達観した人が
たとえば、美味しいモノとか温泉ですとか、美しい景色とか芸術鑑賞とか、感覚美や感覚快楽に耽溺するとかです。

バブルまでの金回りのよかった日本であれば、これに「消費」に耽溺するとかも加わったでしょう。

言いたいことを自由に言うのが、Twitter(X)での床屋政談がせいぜいなら、言いたいことを言えなくてフラストレーションを抱えてる庶民が、それらのものに耽溺して、誰がそれを責められるでしょう。

金がそこそこあって、適当に消費に耽溺できた時代は、そんなに本音を言いまくらなくても、または、自己主張しなくても、そこそこ満足できたのです。

しかし、景気が悪くなって、IT系の産業以外が立ちいかなくなると、うまくいかない会社が増えて、言えないことも増えるのです。

コロナで飲み会が淘汰され、会社内の風通しは、多分、一段落悪くなりました。
仕事が終って、飲みに行くお金も体力もありません。
また、パワハラやセクハラに対する風当たりも厳しくなってるので、会社の人と飲む機会をつくるリスクはむかしより上がっています。

飲みにいっても、結局、はなしが合わなかったり、接点が見つからなかったりで「違和」が増大するかもしれません。

まぁ、言いたいことなんか、それほど自由に言えないもんですよね。

ただ、いわゆる、「違和感」ってヤツが、半分は、あなたが口を噤むという自分の習慣的態度にも50パーセントは依拠してるんであれば
それまでの会社やパートナーをいくらクビにして、取り換えたところで無駄骨なことが多いような気はします。

口を噤むというのは思いやりの場合もあるので、今日のような時代でも全否定はできないし
言うべきことを言うのは、キング牧師とかの例を考えると、そんなにラクな道でもないような気もします。

「違和感」っていうのを訴える人が増えたのは、個人の選択の自由が増大したこともあるかもしれません。

戦後昭和の焼け野原にいた人は、選択の自由が少なく、四の五の言わず、どうにかするしかなかったのかもしれません。

今だと、たとえば、会社でお尻を触られたら(今日だとまずないと思いますけど)裁判に訴えて、相手を徹底粉砕する自由もあります(お尻を触って起訴案件になるものなのか、よく知りませんが)

その種の権利を行使して、自分にしっくりくる「違和」のない何かが見つかるのを期待してあてどなく彷徨うのと

そのくらいは仕方ないことと諦めたむかしと、どちらがしあわせっだったのかは何とも言えません。

まぁでも、自分も、電車の中で、まわりからひどい咳が聞こえてきただけで耐え難くなるときがあるくらいですから
自分が女性で、会社の人にお尻なんかを触られたら「ぎゃぁー」と叫んで、大騒ぎしたかもしれません。

はなしがそれましたが

「違和」を感じるのは、ひとつには、あなたが口を噤む気質だから

でも、口を噤むのは見方によっては思いやりでもあるから
Twitterとかで趣味友だちと盛り上がったり
美味しいご飯に温泉とか、感覚的な満足に癒しを求めても、誰も悪く言う権利はない気がします。

まぁ、それすらムリという状況の人も増えてるとは思いますけど


(あとがき)
noteは、正直もうやめたい!って思いますよ。
いろいろな理由でね。
でも、何か書くことが見つかると、投稿しちゃいますけど
僕も、どちらかというと口を噤むタイプで、だからこそ、上述のような意見に到達したわけです。

(あとがき2)
会社などにいる場合、飲みケーションなどを積極的にしたほうが違和が少なくなるか?

個人的にですけど、コロナ以降、全体的に体調や精神状態が簡単に悪化する人が増えてる印象を受けます。
体調のすぐれない、アルコール慣れしてない若い人の身体にアルコールが入るのは賛成しにくい部分もあります。
やるとしても、体調などに自信がない人は、ウーロン茶とかオレンジジュースとかで茶を濁すのがいいかもしれません。

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木月まこと
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