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1度は会うべきだった、またはもう1度会うべきだった

僕は、みずがめ座の人で
占いに詳しい人からは、みずがめ座さんは未来志向だから、みたいなはなしをよく聞くが
実際は、そんなに未来志向などではなく

最近(ここ半年)に限れば、まだ見ぬ未来にワクワクなんて感じは全然なく
むしろ、やや過去のことが気になることが増えた。
聴く音楽は、自分がアラフィフだからかもしれないが
圧倒的に、震災以前の音楽だ。

自分は、最近は、いわゆる実力者などに謁見の機会を得て認められたいなどとは、年齢のせいもあるかもしれないが、あんまり思わなくなった。
実力者と言われてる方たちは、週に1度はYouTubeに出ている
たとえば、むかし週1でドラマに出てた松田優作より、全然スマホで見る機会が多いので
実物はどんななのか確かめたい衝動に駆られることも少ない

最近はなんか、もう会えないのではという人とか、1度も会わずに終わってしまうのかみたいな人(主にネットの人)で、現在の消息がよく分からない人とかのことを考えることも増えた。

いや、別にこう考えるのは、死の予感とか不気味なものに襲われたからとかではなく
先のことはわからないが、どちらかといえば
底辺をはいつくばるような人生だった部分があるので、せめて長生きしないと元がとれないと考えている

仮に、仕事にどんなに精励しても、結局、ユニクロみたいなものを構築するには至らないのであれば
僕らのやるべきことは、ただ人に会うことだったのではと思うことすらある。

いや、自分は、物書きのはしくれみたいなもんで
そういう人にありがちな、孤独を好み、人を避けてる部分もなくはないのだろうから
矛盾してるとは思うけど

実際には、スケジュールが合わないとか、交通費その他を捻出できないとかで、チャンス(?)にさっとは動けなかったりするんだろうけど

結局、ネット活動は、一度も会わなかったのが心残りになる人を増やすだけではないのかとネガティブに考えることもある
リアルでも、LINEでつながり損ねた人とかは、もう会えないのだろうかと多少感傷的になることもある

「過去形になりかけている人を追いかけてはいけない」という合理的なアドバイスもあるだろうし
1理あるとは思うけど
人間の心理って、そういう合理性で割り切れない時間もたまにある。

たちまちのうちに相当数の人が事実上過去形になっていく人生の諸相は
SNS(不特定多数向けの)をやるようになって加速した印象があるが
過去におきざりにしたものに思いを馳せることもでてきて
まだ見ぬ未来を考えるとワクワクするような人たちをちょっぴり羨んでもいる

昔のある唐の詩を「さよならだけが人生だ」と訳したのは作家の井伏鱒二で
原典がどんななのかは省くけど
都会を孤独かつドライに生きる人を幾分励ますかのような、この真実も
それは、行動面の指針にはなりえても
こころの真実ではないのではないかなどという自分は
絶望的に女々しいが
なかなか、思ったような成果がでるはずのない今の社会で、だからこそ忙しく動き回っている僕等は、きっと何かを置き去りにしているのかもしれない
世間的成功などという代物は、果たして置き去りにしたものを埋め合わせるに足るのか、正直全然自信がないけど
そんな結果など出るのかどうか怪しい環境の中で、忙しく立ち回ってる自分は、ふとした瞬間
1度は会うべきだった、またはもう1度会うべきだった人たちについて考えていた。
幾分感傷的だけど、そんな感情がどこかで生じるものではないか?

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