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占いにおける財運とは?

「財運」は「異性運」と並んで気になりますね。

「お金」なんかは要らないよ!という人も最近は増えてるみたいです。

「お金」は汚いと思われてるので、「お金」は要らないというほうが純粋に見えるでしょう。

そういうことも含めて、「財運」みたいなことについてのはなしです。

四柱推命とか西洋占星術とかを一応は、そこそこかじった自分の考えです。


「財運」って、よく言う「お金に好かれる」みたいなはなしなんでしょうか?

「財運」って、つまるところ「利」だと思うんです。

「利」の可能性っていうんでしょうか?

これじゃ、ちょっと分かんないですかね。

他者を「利」す。自分を「利」す。便「利」にする。

命式を見てて「財運」と呼ばれるものは、この「利」の可能性だとおもいます。

たとえば、ゴッホみたいな芸術家は純粋だとは思いますけど
他者の「利」も自分の「利」もそんなに考えてなかった(実際は、弟で画商のテオが絵を売るのに失敗すると責め立てたらしいですけど)
かなり遅い年齢まで親に養ってもらってたというセザンヌみたいな画家も、他者の「利」も自分の「利」も考えず、ひたすら、サント・ヴィクトール山ばかりを執拗に描いた。
研究者もこれに似てて、他者の「利」も自分の「利」も眼中になかったりする。
命式を見たわけじゃありませんが、こういうタイプは「財運」低めだと思います。

はなしは戦国時代に飛びますが
織田信長の草履をふところで温めたことによって、取り立てられた豊臣秀吉は、他者を「利」す才覚があったと言えそうです。
明智光秀は切れ者ではありましたが、やはり、他者を「利」す才覚も、自分を「利」す才覚もありませんでした。
果断な信長も、やはり、すくなくとも他者を「利」すタイプには見えません。
徳川家康は、その初期において損な役回りをすることが多かったので、だんだん、周到な根回しで、自分を「利」す戦略に長じていったようです。

足軽でしかなかった秀吉が大阪城を建築するに至ったのは、ある意味すごい財運でしょう。

「財運」は、また四柱推命のような占いでは、男性にとっては異性運(女性運)をも意味しています。
というのは、女性を「利」す才覚、女性に「利」される才覚がすなわち「財運」と見れるからです
「財運」と「女性運」はほぼイコールなのです。

こうしてみると
「財運」とは、ある意味、すなわち「利」なのです。

お金に好かれるとか、多分、そんなはなしというより
他者の「利」か自分の「利」とか、あるいは便「利」とか、何らかの「利」の可能性です。

ところで、今日は、文明の高度化と経済格差がこれだけ甚だしくなってしまいますと、他者も自分も、そのいずれも「利」せない場所でひとりもがいてるみたいな人が増えそうです。

自分がカツカツで仕事もないとき、どうやって、他者や自分を利すの?
といえば難しいですけど

四柱推命などの中国の占い(六星占術や易も含まれます)では、「財運」は誕生命式などで先天的に決まってる部分と、流年運などによって変化する部分があります。

いろいろ占いをかじった結果、「財運」とはすなわち「利」の可能性の大小だと考えています。

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御一読どうもでした。


(あとがき)
昨日、派遣の待機業務(夜勤の)があり、それがキャンセルになり、そのまま夜勤はやらずに帰宅しました。
簡単にいえば、バックレたヤツの補欠要員みたいな仕事で、欠員がでなかったので2000円と交通費をもらってそのまま帰宅しました。
帰りの電車の中で体調が悪くなったので、昨日夜勤を免除されて助かりました。
10月1日には家近の海水浴ができるところで、海水浴してる人が10人はいるほど暑かったのに、今日、すごく寒いですね。
体調を崩したのは寒暖差もあると思います。
おかげで昨晩はぐっすり寝たので、今日早く起きてしまい、罪滅ぼし(?)みたく一筆したためたというわけです。
体調的には夜勤を免除されて助かったのですが、夜勤をやってれば1万2千円のところを、キャンセルで2000円に化けたため、金銭的には苦しく、個人の「財運」についてあれこれ思いを巡らせてるうちに、このような文ができたという次第です。

あとがきはこのように身辺的な愚にもつかぬことをグダグダ書いております。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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