マラソンランナー型と循環型の再会 (短編小説─過去記事マガジンおまけ記事vol.4)
扇谷悟はロックンローラーだった。
いや、今でもやり続けている。
本名ではなく、その世界ではミッシー・森を名乗っている。
若い頃は、そこそこ名の知れたロックバンドのギタリストだった。
そのバンドは、ボーカルKATSUの艶やかな容姿とカリスマ性で持ってるようなものだった。
自分に酔いしれてしまっているKATSUの要求にだんだん違和を感じるようになり、いよいよバンドがこれからだというときにミッシーは、いや悟はバンドを脱退した。
当時にしてみれば、いや、まだ若い当時だからこそできた決断だったのかもしれない。
そのバンドは悟の脱退後やはりそこそこは売れたのだが、30代半ばで容姿の衰えを気にしだしたKATSUはバンドを解散させ、ホストクラブをまとめ上げるビジネスをやりだした。
一方でミッシーには、いや悟にはロックンロールしか思い浮かばなかった。
青春のすべてをエレキギターとバンド活動に、そしてロックンロールに捧げてきた。
いまさらオフィスで電話対応だとか、パソコン業務だとかが務まる自信はまったくなかった。
ひとりになった悟は、いやミッシーはギターだけでなく歌もやりだした。
それを美声だという人はおそらくいなかったろうが、独特のこぶしの利いた歌いっぷりは意外とウケがよく、高円寺を拠点にギリギリのレベルではあるがどうにか音楽で食いつないでいた。
そんな悟も40歳を過ぎ、Facebookを使うようになってから、昔の知り合いや友人に同窓会じみた興味が芽生えだした。
ある時、悟は、KATSUたちと組む前のバンド、アマチェア時代のバンドのキーボード奏者裕二をFacebookで見つけた。
裕二は、まだアマチェアでコードやスケールに疎かった悟に、わかりやすくそれらの知識を実践的に教えてくれた。
また、ラカンだとかデリダだとか哲学系の書物を読み漁っていて、自分からすると当時はちょっとした先生のように思えた。
悟は裕二とコンタクトをとり、久しぶりに会うことになった。
悟は今の生き方を続けることに多少の疑問が生じ始めていた。
いまの知り合いではなく昔の人とはなしがしたくなった。
ふたりは、神奈川のとあるターミナル駅のそばの飲み屋を併設している寿司屋で落ち合った。
裕二はフツーのサラリーマンで夜だと東京に住んでる悟とスケジュールを合わせづらい。
「歳をとったね」
「お互いだよね」
「まだ音楽なんかをやってるのはすごいはなしだね」
「うん、音楽が大好きだったなんていうより、ほかに思いつくものがなかったんだよね。会社や工場でうまくやれるなんて思えなかったし、しがみついたよね」
「ライブとCDだけで食ってるの?」
「まさか、だよ。ディスクジョッキーなんかもやったりするし、地元の小さなラジオで番組をもったこともあったし、10年前からすごく小さいんだけどギターの工房みたいのも始めてね、ブログでれレコ評みたいのもやってる。
でもすべての軸に音楽が、ロックンロールがあるんだ」
「うらやましい限りだね。オレなんか今や見ての通りごく普通のサラリーマンだからね」
「いや、羨ましいだなんて、そういわれることもあるんだけど、正直必死だぜ」
「でもまたなんでオレなんかに会いたいと思ったんだい?」
「そこだね、 40過ぎまでロックひと筋でござい、なんていうと、すごく意志の強いブレない、変な言い方をすれば、これで生きてくぜ!みたいな安定感を持ってる人みたいに思われてたりするんだよね」
「ああ、なるほどね…でも、そう見えるけど、違うの?」
「そんなわけないよ。27で、音楽と、ロックと心中することを決めました、とかそんなわけないじゃん?いろいろ迷いはあるんだよ。いまの環境に迷いがあれば、いま今日直接かかわってる人だけじゃどうしても物足りないじゃん?」
「音楽を辞めたいってこと?」
「いや、そんな極端なはなしじゃないけどさ、第一、そんなに他にあてがあるわけじゃないし。ほかの人のはなしを聞きたくなったんだ。それも、最近知り会った人がどう生きてきたかより、むかし一緒だったあいつ等が、その後をどう生きたのかを聞きたくなることもあるんだ」
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