ヘイトに選ばれる対象とはどんな対象?
こんにちは、木月まことです。
ヘイトってやや色々な領域で増えてるみたいですよね。
社会ストレスや社会矛盾もそれだけはねあがっているということかもしれません。
人間の願望というのは普通そんなに簡単に成就しないですよね。
成就しない感情が慢性化すると、人はそのストレスからどうしても何かの対象にヘイトをぶつけるようです。
テニスの大坂なおみ選手が名前の書かれたマスクをつけて試合に出て見事勝利したはなしは知ってる人が多いと思いますが、試合で勝利すれば(つまり願望がとりあえずでも成就すれば)あのマスクは要らなくなるでしょう(もしかしてまだつけてるんでしょうか)
つまり、ある意味それがヘイトの本質なんです。
あなた自身がそこそこ満たされればヘイトは和らぎます。
満たされない状態が慢性化するとヘイトのトリガーには手がかかりやすくなります。
いわゆるフツーの意味でのヘイトに参加したことがある人は日本では少数派なのかもしれません。
しかし満たされない願望の慢性化は多くの人を何らかのヘイトに誘いやすいのです。
ヘイトの対象には今のあなたが許せない何かを持った人や集団が選ばれることが多いでしょう。
何をヘイトするかにもその人の個性や状態が反映されます。
たとえば、建前と実質にひどい矛盾があるのを許せないとなりますと、政治家や警察官といった対象にヘイトの矛先が向きやすくなるかもしれません。
「いや、人の建前と実質なんてフツー矛盾してるもんだよ、そんなのむしろ当たり前じゃない?」と、それを受け入れられる状態に移行すると、そのヘイトはある程度落ち着きます。
自己のなかの劣等性を受け入れられない人は障がい者や能力の劣ってる人、白人であれば黒人をヘイトするかもしれません。
これが「いや、人間なんてそんなにスーパーマンは滅多にいないし、自分だって数学なんか中学レベルのもでもチンプンカンプンだし、電車やバスの車中でお年寄りに席を譲らないし、AVとか見るし…自分だって絶対障がい者にならない保証はないし…」と自己の劣等性を受け入れられるようになりますと、こういった対象へのヘイトも和らぐでしょう。
逆に、テレビや新聞などで派手に成功をアピールしてる人にヘイトをぶつける場合もあります。
藤井翔太、大谷翔平といった有名人を見てしまうと気分を害します。
これは、かなり長いあいだ思うような結果が出ない人、また自分にピッタリ合う活動がいまいち分からない人にありがちです。
しっくりする自己がつかめない人がこの手の対象をヘイトしやすいでしょう。
(このパターンだと、藤井翔太や大谷翔平を称賛している人にも連鎖的にヘイトが向く可能性もあり、はなしは複雑です)
今日の社会は80年代くらいまでのように、モノを買うということがカタルシスにはなりにくくなっています。
メーカーの生産拠点がアジア諸国に移り、開発以外の工程は日本人が関知してないことも関係してるのかもしれませんし、モノの時代ではなくなったのかもしれませんし、そもそも金に余裕がない人が増えたのかもしれません。
いずれにせよ、消費の欲求が減り、稼ぐ動機も失われているので、日本人の何割かは慢性の欲求不満を抱えているといってよいでしょう。
消費市場と労働市場から得られる満足が減少傾向にあります。
自分の中に何らかのヘイトが見つかる人は増えているでしょう。
ヘイトを抱えていることはむしろいいことだよ、という人もいるでしょう。
ヘイトが人に対するそれではなく、格差とか貧困とか社会問題に向いた時にはうまくいけば問題の改善につながります(うまくいかなかった場合は混乱だけを拡大する結果になることも考えられます)
ヘイトが個人や特定の対象に向いてる場合は、その人を自分の理想通りに変えようとしたり、ひどければ抹殺(殺人、テロ、)などの欲望が生じることもありますが、これらのことは概ね徒労か失敗に終わることが多いようです。
僕も、家族や身近な人を自分に都合のいいように変えたがったり、SNSで気に入らない対象をディスってやはり自分の都合のいいように変えたがったりしたこともありますが、うまくいったことは基本ありません。
このように、ヘイトにはそのときその人が容認しがたい対象が選ばれます。
でも、もしかすると一番容認できないのは自分自身なのかもしれません。
成功していない自分
自己実現してない自分
怠け者で面倒くさがりのくせに成功だけは人一倍欲しがる自分
稼いでいない自分
彼女や彼氏がいない自分
才能がない自分
失格な自分
卑怯な自分
会社を辞められない自分
認められてない自分
人に優しくない自分
つまんないヤツなのにマウントばかりを性急にとりにいく自分
抱きしめられてない自分
こんな自分を容認できなくて、何かの対象をヘイトするようです。
そうすると、ヘイトは慢性的に成就しない自己願望の他者へのスライドという側面もあるようです。
それが自己責任なのかどうなのかはケースバイケースだと思います。
いずれにせよ、ヘイトは、これこそ自己だと思えるものや結果が仮染め的にでも手にはいったり、「自分ってこんなもんなんじゃないかな」とそれを受け入れることができたときに寛解することが多いようです。
何をヘイトするかは、その時の自己に根差しているようです。
(あとがき)
ひと月、長文4本を最低ノルマとしているのですが、8月は今年はじめて未達成に終わり、9月も19日の時点で1本しか投稿してないという状況で、さすがに自分で自分のケツを蹴っ飛ばしました。
ここ2ヶ月くらい様々な理由で、すべてのSNSがかったるく感じられてるというのが正直なところというアラフィフの木月でございますが(ダメージを受けることも当然多いですからね)、占いの六星占術ではまだ好運気の年運なため、傍観的に過ごすのは「凶」と思い、ケツをまくった次第であります。
かったるいなら辞めちゃえば、誰も止めないよ、というかもしれませんが、そこそこの歳月生きてきますと、それなりに自分の中にいろいろ貯えられるので、ブログやSNSにまとめたり表現したいことはそれなりにあります。
若い人のニーズとはズレてるかなと思うことも多いですが、自分なりに続けていこうと考えています。
今日は「ヘイト」に関するおはなしでした。
御一読ありがとうございました。
(追記)ここでいうヘイトは家族を暴漢に殺されたとか超ヘビーなかなり特殊なヘイトの感情は一応対象外としております。ごく日常的な、やや重いストレス下で生じる一般的に起こりうるヘイトについてでしかありませんのでご了承下さい。
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