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邪気という幻想

割かし、風水系のYouTubeを見てると、掃除をしないところには邪気が宿るので危険ですという説があたりまえのようだ。

確かに、飲食店も、商業施設も、駅のトイレも、掃除がいきとどいてるほうが利用者にとっては気持ちがいい
願わくば、掃除に手を抜かないで欲しい

しかし、これらは、ひょとすると、経済至上主義に端を発する神経症のようなものではないかと思うこともある。
もちろん、生食などを扱うところは、掃除がいい加減だと、食中毒が発生しかねない

掃除というのも、多分、文化的洗練だと思う。

鎌倉・室町時代、文化は、千利休・観阿弥世阿弥など、すごく洗練されていった
しかし、それらは、ある種の、高度発達した文化の神経症的なあらわれでもあった。
この、鎌倉・室町あたりの文化の超絶洗練と
今日、風水などが、掃除をしないと邪気が宿ります、といっている発想はどこか共通している気もする。

邪気とはそもそも何だろう?

ブッシュマンは掃除などあまりしないだろうが
掃除に懸命でない部族は、邪気に満ちているのか?

たとえば、殺戮指示を出す政府高官の邸宅はチリひとつ落ちてないかもしれないが、邪気はゼロなのだろうか?

邪気とは、そもそも何なのだろう?

いや、僕は、鎌倉・室町の徹底した文化の洗練をおかしいとか異常だとかいいたいわけではないし
駅のトイレや商業施設などはきれいに越したことはない

しかし、掃除をしない=邪気の巣窟みたいな等式は
それは、ビルなど人口建築物が乱立する文明国では、ある程度妥当でも
本来の「邪気」というものを、なにか根本的に見誤ってるような気もしてならない。

いや、もちろん、掃除が行き届いているほうが、衛生的なので、余計な病気を招かなくて済むだろう

しかし、「邪気」とは、そもそも何なんだろう?


(あとがき)
ヘッダーは、神奈川県にある、伊藤博文別荘ですが
伊藤博文=文中の、殺戮指示を出す政府高官という意味ではありませんので
変に深読みしないでください
古い邸宅は、そんなに毎日毎日ぎっちんぎっちんに掃除がなされていたわけではないのでは、と思い、私蔵写真からヘッダーに使ったものです。
いや、もちろん、駅のトイレはぴかぴかに越したことはありません。

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