【読書】北丸雄二著『愛と差別と友情とLGBTQ+』
以前Buzzfeedの鼎談連載「『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた」を読んでから、Twitterなどでゆるく追いかけていたテーマになっていたところでチェックしていた一冊。
手元にあっても読み始めるのは偶然
本とは、不思議なタイミングで出会う。
この本は、まず図書館に予約した。ごめんなさい、資金が潤沢でないもので…。読みたい本を図書館のサイトで探し、予約できるというのは便利なものだ。どうにもこうにも値の張る学術系の本を好奇心や参考程度に読みたいとき、素晴らしくお財布にやさしい。ただ、人気のものだと待ち時間がけっこうあり、突然順番が回ってくる。やばいのがそういう予約図書が4,5冊いっぺんに「届きました」な時だ。私はかなり読むのが速いほうだけれども、悲しいかなLow-Gun(老眼)等のために「1日1読」みたいなことが難しくなってきている。貸出期間は2週間…厳しい(泣)。
ともあれ、この本は2022年が明けてすぐに、どどーんと届いた予約図書5冊のうち1冊としてやってきた。しかも「延長なし」で次に待っている人がいる。他の4冊と合わせて計画を練って3番目に読み始めたが、すぐに返却することにした。読みにくいとか間に合わないとかではなくて、おそらく何度も読み返す本になると感じたからだ。すぐに書店で購入し、手元にやってきた安心感から積読している間に、映画「君の名前で僕を呼んで」をたまたま鑑賞した。
そして、何ごともなく『愛と差別と友情とLGBTQ+』を読み始めたのだが、目次に「付録2『君の名前で僕を呼んで』考」とあるので、映画を見たばかりの実感が温かいうちに先に読んだ。そして、本文へ…そこで紹介される映画や文学は既に見たものもあれば、ぜひこれから見ようというものが出てくるのだが、読む直前に手元にある状態で、何の気なしに「君の名前で僕を呼んで」を見たのは、まったくの偶然であったし、すぐに読み始めたのも不思議なタイミングだった。
そういう出会いは、割とある。
あることといること、確かめること
本書は性的マイノリティLGBTQ+の人々が、どのように存在してどのように扱われ、どのように立場を表明してきたかの歴史がおもにアメリカを舞台に語られている。そこにはLGBTQ+だけでなく、他のマイノリティである女性や黒人の存在も濃密に関係する。いま現在の世の中は、マイノリティをどのように考え扱っているのか。歴史の中でどのくらい変化したのか。ゲイである著者の当事者としての感覚、新聞記者としての視点(あと文章が超わかりやすい!)が、読み手にしっかりしたブーツを履いたような道行きになっていると感じた。
マイノリティである、マイノリティになるということは日常のどこにでもある。ただ、自分がマイノリティであると気づいてから、どのように歩みを進めていくのかは困難をともなうことが多い。ひとりの人間の中に複数のマイノリティが存在することもあるし、マジョリティと同居していることも多い。誰もが何かしらの権力関係の中で暮らしている。誰が・何がいちばん困っているか、弱いかではなくて、力なきことや弱い立場であること、不利な状況にいること、偽りごまかし、すりかえて生きていること、出せない声があること、なかったものとされることに気付く。その存在を明らかにして見える化(聞こえる化)し、あたりまえにいるものにしていく、その流れが歴史や文学、アメリカでの運動などから描かれる。
自分はクローゼットの内側にいるのか外側にいるのかも、ことあるごとに確かめなければわからないマイノリティであることは他人ごとではない。だが、「こうだとしたら?」と、自在に入れ替えて考えることができる。自らの内にある多様性と社会の多様性と、世界の多様性を確かめながら歩みを進めていくためには、自由自在な入れ替えができて、そこから感じ考えることが大きな智慧となるだろう。
「真面目が肝心」からその先
最終章に「友情」が出てくる。愛なのか性なのか、愛なのか友情なのか――この悩ましさは、これまた他人ごとではない。なんでもすぐにセックスに結びつける人もいれば、愛と決めつける人もいるし、それは権力によるものなのに…というシーンは日常に満ちあふれている。
カート・ヴォネガットのエピソード
を引きながら、著者は
と締めくくる。恋愛と性、さらには力関係も忘れてしまったときに、シンプルで自発的な親切、やさしさがあればとても心地がいいだろう。逆に遺らなければ、そこに重要な関係は存在していなかったのかもしれない。
オスカー・ワイルドの「真面目が肝心」から、「親切が肝心」へ。
「自由、平等、友愛」( Liberté, Égalité, Fraternité)の友愛の部分にはまるピースなのかもしれない。虹色が透明になっても、友情があるといいと思う。
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