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【和訳】“Renaissance man”ニール・パート(Rush)の思い出 ロッド・モーゲンステイン

偉大なるドラマー、Rushのニール・パートが亡くなりました。多くのミュージシャンやファンから哀悼の言葉が寄せられていますが、Winger/The Dixie Dregsのロッド・モーゲンステイン (Rod Morgenstein) が投稿した追悼文を和訳して紹介します。

私はRushはファンでもなく、好きでもないのですが熱狂的なファンが身近に多くいて、その偉大さやニール・パートのすごさは聞かされていました。自分の好きなバンドやミュージシャンでもRushのファンはすごく多いのです。その彼らが語るニールのすごさを通して、あらためて偉大さを感じました。

元の投稿

zest for life, thirst for knowledge, and quest for adventure

ニール・パートはルネサンスの人だった。多くの人が彼が偉大なRushのドラマーであり作詞家だと知っているけれども、音楽における並はずれた才能にはるかに勝るニールの「生きる熱意」「あくなき知識欲」「未知への探求」によって彼は多様な道を歩んできた。

私がニールに出会ったのは1985年。The Steve Morse BandがRushのPower Windowsツアーの前座を務めた時だった。ツアー・ミュージシャンは自分たちの音楽で世界中の観衆を楽しませ、興奮させようとするものだが、終わりのないツアーで肉体的・感情的な犠牲を払うことになるのも、ミュージシャン諸君はおわかりだろう。

240キロ離れた次のライブ会場に自転車で

たとえば、よくあるショウの日というのは移動して、サウンドチェック、ミートアンドグリートがあって取材を受け、本番で演奏、さらにミートアンドグリート…といった流れだ。
85、86年のPower Windowsツアー時のニールはそれ以上のスケジュールであっても、朝ちょっとした時間しかなくてもニールは自転車で次の会場に移動していた(240キロ離れていたこともある)。ニールはよく何時間もかけて自転車で移動していたが、サウンドチェックにはきちんと間に合っていた。サウンドチェックが終わったら夕飯を食べ、すぐに地元のフランス語教師に1時間のフランス語会話のレッスンを受けていた。レッスンが終わると、2時間の本番に向けて小さなドラムセットのある個人練習室でウォームアップをしていた。コンサートの後、ニールはよくツアーバスに乗る前にちょっとブラブラしていて、将来の執筆活動のためにとか言い訳していた。

中国奥地へ自転車旅行、そして執筆活動

ちょうどこの頃、ツアーの間のオフにニールは中国に行った。大勢の自転車愛好家たちと辺鄙な奥地を3週間旅するためだった。メモとペンを握りしめ(この頃のニールはカメラは創作活動に差し障ると思っていた)、日々体験したことを書きとめて、それが最初の著作「Riding The Golden Lion」となった。本文とは別にさらに39ページの日記を加え、編集、表紙イラストの選定、フォント、紙の色や厚みなど装丁にも関わった。この時が、ニールが何に情熱を込めるかということをあらわにした最初じゃないかと思う。そしてすばらしい著作をいくつも発表していった。

Power Windowsツアー最後のオフ日に

The Steve Morse BandがRushの前座を務める最後のオフの日にニールとアレックス、ゲディが私たちを記念のディナーにエキゾチックなレストランに連れていってくれた。完全な個室の床にクッションを置いてあぐらで座り、ナイフ・フォークなしのスタイルだった。ご馳走を手づかみで食べたんだよ。アレックスはワインに詳しくて目利きだから、“神々の美酒”たる最上のお酒が出されているのがわかっていた。

私はニールの隣に座って雑談しながら、なんとかこの哲学的で世知にたけた、あらゆるところを旅してきた人がおもしろがるような、気の利いたことをを言おうと思っていた。するとニールは先に「ロッド、君は西洋文明の発展における風土の影響について考えたことがあるかい?」と聞いてきた。

つまり、要するに、好奇心あふれるニール・パートは、常に知識や新しい経験を求めていたのだった。現状維持をよしとしない人だった。

「今この瞬間を楽しめ」の人、ニール

ニール・パートは“Carpe Diem”(今この瞬間を楽しめ)のお手本のような人だった。音楽、読書、執筆、哲学的思索、自転車、バイク、見知らぬ土地を探訪すること、最高峰への登山、家族を愛すること…まさに大切なもののために人生のあらゆる瞬間を使った。

彼は本当に素晴らしい存在だった。その慈愛に満ちた人間性が、世界中の何万人もを感動させたのだ。
私はこの唯一無二の素晴らしい人と知り合えたことを、本当に感謝している。

ニール、安らかに。

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この写真は、たしか1995年にニューヨークのマンハッタン・センターで撮られたもの(だと思う)。左からマット・ソーラム、ケニー・アロノフ、キャシー・リッチ(バディ・リッチの娘)、ニール・パート、そして私。

キャシーとニールが作ったバディ・リッチのトリビュート・アルバム「Burning For Buddy」の発売記念のコンサートで、ニールの知名度を利用してバディ・リッチとビッグバンドの音楽を新しい客層に届けようというコンサートだった。10何人ものドラマーがThe Buddy Rich Big Bandと演奏したんだ。私にとって人生で1、2位を争う厳しい経験だった!エキサイティングだけれど怖かったね。

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