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アフター『急に具合が悪くなる』の世界へ②

磯野さんから第二便 医療者の意図入り未来予想図

確率の言葉から逃げるのはとても難しい今の社会。「いつ死んでも悔いがないように」という言葉に欺瞞を感じるという宮野さんの言葉に、磯野さんは引っかかる。医師が「急に具合が悪くなる可能性」を3週間先かもしれないと示す時、それは「かもしれない」確率ではなく、「避けられない」運命のの話になる。そして、科学的根拠や事例に基づいた「患者の未来予想図」という地図を見せる。その地図では複数ある道もどちらが危険か示してあるため、行きたい道を選ぶのは厳しく、患者は身動きがとれなくなっていく…それは、確率だけで描いたたくさんの線がある白地図ではなくて、運命というアクセスマップに医療が「こっちに進んでほしい」という印をつけた地図ではないか。
利用者が怪我をしないように、どんどんおとなしくなる公園の遊具を例に挙げながら、宮野さんの違和感はそういうものですか? と磯野さんはボールを投げ返した。

うっすらとした誘導灯のある道

磯野さんの
“医療者が「患者の意思を尊重」という時、その患者の意思の中に、医療者の意思が相当に組み込まれている。<正しい情報>という言葉には、その現実を見えなくさせる力があるため、そのことはあまり真剣に考えられていないような気がします”(p40)
という言葉に「そういうことか!」と思った。医師におおよその未来が見えているというのは、確かだと思う。弁護士や検事、裁判官など司法の専門家に被告や原告のおおよその未来が見えているように。医学では科学的根拠に基づいて、司法では判例に基づいて専門家が対処していく。その中で患者らしいとか、被害者や加害者らしい振る舞いが暗黙の裡に求められる。

患者の立場になると、医療者の方針に沿わずにいるのは難しい。示された道以外を選んだり、外れるとだいたい自分が苦しむことになる、「正しい」が前提だから。その羅針盤が指す方向は一つ(宮野さんの場合は死)で、進路は最適(最短)距離が示されているようなイメージだ。

「正しい治療」や「最善の策」には、高速道路のペースメーカーライトのような、うっすらとした誘導灯があるように感じる。ペースメーカーライトは「視覚刺激による視覚誘導自己運動感覚効果」によってドライバーが無意識に刺激を受け、速度低下が抑えられて渋滞を抑止するもので、自分の意思ではないが、流れに従って走ってしまう。結果としては「すべきこと」をおこない、「いいこと」に結び付いている。

命がかかった治療の時はだいたい選択の余地がない。あれよあれよという間に緊急入院となって最善の治療を受け、その後に長く生きているけれど、それが自分の人生の中で選んだ道とは思えないという人もいる。完治や寛解の確率が高いがん患者は、治療をしないという選択肢を選ぶことがほぼできないのだ。「こんなに苦しい思いをするのなら、治療しなければよかった」と思う人もある。もともと生きることに積極的になれない中で、自殺より穏便、緩慢に死んでいくよりスピード感がある方を選ぶことは非常に難しくて、誘導灯のままに走行することになる。誘導灯のある区間が終わったら、どうなるのだろう? 
治療が終われば、たいていはその医療との関わりは無くなるのだけれど、放り出された感があるのは、誘導したんだから付き合ってよ! という気持ちがあるからなのかもしれない。

(ある医療者に治療終了後の暮らしが辛い、治療しなくてもよかったんじゃないかと思うことがあると話したら、「でも、いま生きてて色々できるから、よかったでしょう?」と言われたことがある。うーん…「命あっての物種」。でも、それ以前に育っていたものをまた種にされた感じで、前後を結ぶのが難しく感じる)

未来予想図の中で暮らすこと

ちょうど私ががんの治療前半の頃、飼っていた黒猫2匹を相次いで見送った。うちが四半世紀の間、お世話になっていた獣医さんは親子二代にわたったけれど、「人間のものさしを動物に向けるな」と厳しかった。人間の感情を動物に当てはめることと、愛情を向けることは別だと明確にされ、現在のペット事情から考えると、かなり飼い主にスパルタ式だった。

18歳のチャカは猫としては避けられない腎不全で、まぎれもなく老衰。苦痛を緩和するのに点滴には毎日通ったけれど、私もなんの疑問もなく見送った。4歳のみるくは、原因不明で治療法はないが、猫にはよくある病気(症状?)で、弱ってきたサインを見逃し続け、気が付いた時には危ない状態になっていた。かなりストレスフルな生活環境に追いやった自覚のある私は、飼い主としての自分を責めたし、若い猫だからなんとかしてやれないかと獣医に通った。

それが数カ月続いて、ふつうに食べたり走り回ったりする日々と、足が立たなくなってただ息をするだけの日々を交互に繰り返すうち、ふと先生に「みるくは、どうなりますか?」と尋ねた。先生は「あと1カ月だと思います」と答えた。そこからの1か月間に人間の食べてる焼き魚を奪うほど元気になることもあって、そうは言っても回復するんじゃないかと私は密かに期待していたけれど、ちょうど1カ月経った時にみるくは死んだ。その時に「医者(獣医)って、すごいな。やっぱりわかるんだ」と思った。

あと一カ月の命だからと猫に「振舞い」や「すべきこと」は獣医から提案されなかったし、私もみるくに求めなかった。みるくは、「早く楽にしてくれ」とも「なんとかしてもっと生きていたい」とも言わず(言っててもわかってやれない)、自分のやりたいように振舞っていたと思うし、それまで一緒に暮らした犬も猫もそうだった(一匹だけそうできなかった犬がいて、すごく後悔している)。
猫や犬たちの運命は変わらなかったが、彼らのままに暮らした。でも、人間は医療が描いた未来予想図の中で、自分のまま暮らしていくのは難しい気がする。私自身もそうだから。

宮野さんから第二便 「選ぶの大変、決めるの疲れた」

テレビの情報番組で「ガンが治ったら一番に何がしたいですか?」と患者に聞くインタビュアーにイラっとした宮野さん。患者の答えにもイラっとする。そこには「治らなければ、一番にしたいことはできないぞ」というメッセージがあるのだと。経過観察に至ったけれど、不安を抱いたままのサバイバーは治っているのだろうか?「治る」とは何を指すのか。
「治ったら/治らなかったら」は、磯野さんの述べた「運命論的な物語」に単純に落とし込むこと、はまり込むことではないかという苛立ち。その物語は医療現場の「弱い運命論」もあればメディア等の描く「強い運命論」もある。
正しい情報と、提示されるたくさんの選択肢から適切に「決める」を続けてきた“良い患者”の宮野さんは、つねに選択肢に合わせて準備した――心を分割して可能性に向き合ってきた。「ご自身がよいと思うように決めてください」と尊重されまくった結果、「選ぶの大変、決めるの疲れた」となってしまう。「偽装された粗雑な<強い>運命論」への誘惑を感じたり、心の分割に疲弊した宮野さんは考えるのをやめて、想いのまま京都へ帰る。そこで、たまたま出会った病院の雰囲気に自らの身体が馴染むのを感じて、その後の方向性が決まっていった。選んで決めたというより、たまたま出会って腑に落ちた。
「選ぶ」とは何なのだろう。合理的に比較検討してピックアップすることなのか、偶然にたどり着いて、心地よさを自覚できるところへ馴染み落ち着くことではないか。

「合理的に選ぶ」苦しさ

この本が出版される2カ月ほど前、私は乳がん再発の疑いを持った。手術跡の近くにしこりを感じたのだ。定期チェックも必要なくなり、がんの主治医から「今後は普通の人と同じように乳がん検診を受けてね」と言われてから3年後。健常な同年代より早めの更年期障害に苦しんでいて、精神的に過敏になっていたからかもしれないが、うろたえた。確か経過観察中にも気になった場所で、その時は主治医に縫い目の加減によるものだと言われた気がする。気にしすぎ? また主治医に診てもらう? あるいは気が付かなかったことにする?

たぶん一番の正解は、もとの主治医に診てもらうことだ。でも、引っ越してしまった私にはもとの病院は遠くてお金もかかる。乳腺外科クリニックなので、現役の乳がん患者さんがたくさんいる待合室を思い出しただけで落ち込んでしまうので、いやだ。

1週間ほどうろたえた後、いつもお世話になっている別の医師に「気になりすぎるので、ちょっと触ってもらえますか?」とお願いしたら、自分は専門じゃないけれど確かにしこりを感じると言われた。さらにうろたえながら、ちょうど自治体の乳がん検診の時期であるのを思い出して、「普通の人」として検診を受けることにした。

最寄りの乳がん検診を受ける産婦人科医院は、東京の下町 of the 下町にある。電話予約をしたら「あら、今ちょうど空いてるから、ぜひいらっしゃい」と気さく of the 気さくな声で言われて、快晴の夏の日差しのもと自転車を飛ばした。完璧な昭和レトロの佇まいの医院に付くと、電話で言われた通りで待合室に座るやいなや診察室に入れた。かなり高齢の男性医師とベテランの風格漂う女性看護師がいる。医師に、何か気になるところはありますか?と問われ

「13年前に乳がんやってるんですけど、最近そこにしこりがあって、ちょっと気になるんです~」

と、おどけ気味に答えた。たぶん、また取り越し苦労だと思うんですけど…と。すると看護師さんが

「まあ! 若い時に…お辛かったでしょう。苦労されたのね」

と、ほとんど反射のように言ってくれてびっくりした。本当にびっくりした。ついぞそのように言われたことが無かったので。

高齢の医師は少し眉間にしわを寄せて「なるほど」と言って、触診を始める。乳腺外科の専門医と変わらぬ丁寧さだった。私が気にしているしこり部分を確認して、エコーでも診てくれた。そしてTシャツを身に着けた私を丸椅子に座らせて、真正面からじっと私の目を覗き込むようにしながら

「しこりは触って感じるけれども、エコーでは腫瘍とは思えないです。でも、僕は乳腺の専門じゃないのでね。それでね、あなたはね。あなたは、専門医にかかったほうがいい。ぜひ、できるだけ早くかかりなさい」
と言った。

そうか…。この先生の言わんとするところはわかる。再発ではない可能性が高いが、断言はできない。そして、私(サバイバー)の内なる不安がよくわかっておられるのだ。その後、これまでの経過など軽い話をして帰途についた。とても、いい先生だった。この町の赤ちゃんから老人まで、すべてを診る医院なんだな…としみじみ思いながら自転車を漕いでいたが、周りの風景の彩度はなくなっていて、またあちらとこちらに分かれた世界に戻ってしまった。

知らなければよかったのかな

その後、大きな病院の乳腺外来で詳しく検査をすることになったが、診察~検査(細胞診含む)~結果まで、恐ろしく長く感じた。すべての結果が出たのは1か月半後。その間、なぜそんなに苦しむのかわからないほど苦しかった。2回目であること、自分の興味と仕事からがん治療のさまざまを知っていること、「正しい医療情報(の発信)」について学んだことなど、すべてが苦しさを軽減してくれなかった。すべきこと/すべきでないこと、過去現在未来の人生があらわになることは、知っている。知っているが苦しい。選択したいと思うこと自体が苦しい。何も知らなかったことにしたかったが、できない。考えてしまう頭とそれに呼応する体を自分から取り外したかった。予定を詰めてこなすことを増やしたり、人間関係を活用したり、薬にも頼った。初発の時のように、ふかふかの猫の体に顔を埋めたりもした。そういえば、13年前も真夏だったから、黒猫のみるくは迷惑そうにしていたし、同じく黒猫のクロベもやや迷惑そうだったけれども。

結局、しこりは悪性でなかったので良かった。運が良かった。何よりその単距離ダッシュの苦しさからは解放された。苦しい間に良かったのは、初発の時とは違って他でお世話になっている医師たちにも(時には泣きながら)訴えることができたし、信頼する友人に相談もできた。13年前とは違って、友人たちもがんが身近なことになっていたから、本当に親身になってくれたし、何より自分が頼りを求めることができるようになった。それは加齢や知識のおかげだったかもしれないけれど、長距離走的な苦しさは、完全復活である。

第2便での宮野さんの苛立ちと、「選ぶの大変、決めるの疲れた」を目にした時、つい2か月前に味わった感覚の「もっとすごいやつ」だ! と感じてしまい、全身がしびれてしまった。マジですか…キャリアある哲学者がその能力をフルに使いながら病と過ごしても…こうなるのですか! と。治るという前提を揺るがす時、あるいは揺らいだ時に「正しい」以外も含めたたくさんの選択肢から選ぶことは、不可能なのか…いや。可能かどうかではなくて、たどり着き落ち着くようなストンとしたものとの出会いを待つような、受動的なものなのか。でも、その出会いも求めていなければ得られないのではないかしら…と、さらにページを進めていくことになる。

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