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おばあちゃんの知恵 ~捨てちゃうタイツと湿布のゆくえ~

手作り布マスクがどんどん増えてきて、いろんな材料が不足しているのだそう。とくに耳にかけるゴムひもは100均や手芸店でも品薄だそうで。

その代理アイデアがいくつか出ていて、髪をまとめるゴムやパンツのゴムの他、Tシャツ袖をわっかのまま使ったり、ストッキングを輪切りにして伸ばして使うものもあります。Tシャツやストッキングは耳への当たりも肌にもやさしくて、気持ちよさそう。

「もったいない」とか、「あるもので何とかする」からの創意工夫でいろんなアイデアが生まれてくるもんだなあ…と思いつつ、私の大好きな祖母の「もったいない」からの創意工夫を思い出した。

タイツやストッキングのウェストゴムで

明治生まれの祖母は、さすがその時代の人というか、さすが戦争を生き抜いた人というか、「もったいない」をいい形で活かす人だった。60代後半で夫を亡くして、その後30年以上を一人で暮らし。私はよく遊びに行ったし、大学生になってからは茶道を習いに週1で通っていた。

へええ、便利!と思ったのがタイツやストッキングが破れてもう使えなくなった時、そのウエストのゴムを取っておいて荷物をまとめるのに使っていたこと。お茶道具でもお洋服でも、なんだか箱に入れてしまうことが多い人で、でも紐でくくるのはめんどくさい。輪ゴムは溶けちゃうしサイズが合わないこともある。そうすると、伸縮性が高くて当たりのやわらかいこのゴムはすごく便利なんです。

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私もことあるごとに、こういう風にして取っておきます。

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クッションの高さを調節するのにも便利。

ストッキングやタイツの本体ははキッチンの油汚れとか窓ふき、猫のそそうを掃除するのに惜しげもなく使えますが、これはまあ普通レベルですよね。

おそるべき湿布の可能性

もう一つ「おばあちゃん、天才か!」と思ったのが使い終わった湿布の活用。今は問題になってしまったけれど、今から20年ほど前だから湿布はタダで同然で、祖母もたくさんもらっていた。書道をやったり、きれいな包装紙を切って編んで籠を作っていた祖母は慢性肩こり、年齢的にも関節や筋肉がかなり痛むため、お医者さんから潤沢に湿布をもらって貼りまくっていた。背中や腰、二の腕に貼る時には私もよく手伝っていたっけ。

こういうフワッとした布ごこちのあるタイプの湿布、1日で何枚も使い終わったものが出てくる。祖母は「もったいないなあ、何とかならへんかな」とよく言っていた。

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そして、使い終わった湿布の新たな命が吹き込まれた…拭き掃除に!!

湿布の粘着面を内側にして二つ折りにし、床を拭くと髪の毛やらほこりやらがよくくっ付く! この布の質感がぴったりなのだ。さらにあつまったゴミを粘着面でくっ付けてポイである。エヴォリューション!!

そして、薄くてよく伸びるタイプの茶色い湿布は「ゴミがあんまり取れへん」と不評であったw

湿布の保存袋さえも…!

冒頭にも書いたけれど、祖母はきれいな包装紙を使って籠を編んでいた。30年ほど前になるだろうか、「チラシなどを使って丈夫な籠を編む」という記事を見て始め、チラシは捨てちゃうきれいな包装紙に移行し、さらにデザインや配色を凝らし…サイズも形もさまざまな籠が生まれた。私もCD用とか状差し、写真の額などを特注した。

湿布本体で拭き掃除をしつつ、これまた大量に発生する保存袋を祖母は忘れていなかった。裏返すときれいな銀色。耐水性に優れ、やわらかさとしなやかさがあるこの素材は、籠の堅牢な底面になり、またデザインに銀を差す役割も担った。このアイデアを聞いた時も「おばあちゃん、天才か!」と思った。たしかにこういう銀色は特別な包装紙でもなかなか得難いし、わざわざ購入するのは、祖母的には筋ではないのだ。

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右が底面を強化しつつ、本体に差し色として用いた籠。左は包装紙の金色部分を差し色に使ったもの

籠のすべてを湿布保存袋で作った「完全防水堅牢籠」もあった。これは空き瓶を入れて紐を付けて吊るして花を生けたり、洗面所のごみ箱にもなった。単に「もったいない」だけではなく、素材の特性や特長をみごとに生かすのが、おばあちゃんだった。

祖母のおそるべき創作籠は、残念なことに98歳で脳梗塞を発症した時に失われてしまった。発見が早かったので目立った後遺症もなく、リハビリにもしっかり取り組んで退院したが、どうしても編み方が思い出せなかった。悲しいことに、その作り方を子も孫も、誰も教わっていなかった…。昔、教わったんだけど理解できなかった(;´Д`)。理系の叔父が籠をばらしてその作り方を解明しようとしたが、不可能だった。

何も考えずに手が勝手に動いて編んでいた籠ができなくなり、祖母はかなりのショックを受けたし、他にも自分がつくった短歌や俳句を思い出せないことに恐怖して、何度も何時間も自分のノートを音読していた。彼女が創作全般をいかに愛し、日常のものにしていたか…。あったはずの技術や能力が失われるのは、本当につらい。

私は籠を編めないし、短歌も俳句も詠めないけれど、おばあちゃんの「もったいないなあ、何とかならへんかな」「何に向いてるんやろな」という、しなやかな発想は受け継いでいきたい。

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