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【勝手に和訳】Loser (by THUNDER)

THUNDERというイギリスのバンドが、もう本当に好きでしてねえ。
命を懸けるほど好き、ではないんだけど(それは他に…汗)、離れられないんですよ。新譜が出ても買わないでいいやと思った時期もあるし、来日しても行かないことも何度かあって。解散公演で号泣しながら見て。でもまた復活して、号泣しながら喜んで(辞める辞める詐欺に喜んで引っかかるタイプ)。

何でそんなに好きなのかは一言では説明できないんだけど、たぶん一番はパフォーマンス。ライブですよライブ。このバンドだけはアラフィフでも、たぶんこれからもスタンディングで前方で見たい。音を浴びたい。一緒に跳ねて歌いたい。

もちろん、楽曲も素晴らしいんです。特に悲しげな曲が、ただ悲しげなだけでなく沈痛とか悲痛とか…痛みのある楽曲。この「Loser」もそんな一曲です。タイトルからすると「負け犬」「敗北者」。歌詞の内容は、非モテの子が学校カースト最上位の子から好意を寄せられて、キョドっている感じ。「なんであたしなんかに??」「これはきっと罰ゲームなんだ…」みたいな、典型的なアレみたいな感じ。でも、音楽を聴くと単なる非モテとか陰キャとかじゃなくて、もっとどうしようもない救われぬ人のことかもしれない…と思ったりします。その思いは和訳の後で。

【勝手に和訳】Loser 負け組の僕

君はさ、僕のことが好きなんじゃなくて
友達になろうかなって思ったんでしょ
誰が見ても美人で勝ち組の君が 僕なんて
僕はどぶの中で君はお星さまぐらい差があるし

もし君に好かれてるとしても そう僕に誤解させるだけでも
本当にひどいよ ずたずたに傷つくよ
でも好きになってしまう

僕がバカなんだろうけど
なんで君が僕なんかに話しかけてきて 手を握ったりするのか
わかんないんだ

僕みたいな負け犬に何を期待してるの?
だって誰が見たって ずっと底辺で生きてきた負け組だよ 
君の靴を磨くにも値しない負け犬なんだよ 

ねえ、僕のこと好きじゃないでしょ 友達になってあげてもいいかなって思ったんでしょ
手当たり次第に声をかけてるんだろうけど ハイここでおしまい
無理しなくていいから

今はそばに座って 笑いかけてくれているけれど
ポイと去っていく悲惨な結末はわかってる わかってるんだけど

僕みたいな負け犬に何を期待してるの?
君ならなんだって思い通りになるでしょ わかるよ、それぐらい
僕は空気の読めないアホだからさ なんて言ったらいいのかな
わかるように説明してほしいわけ
 
僕みたいな負け犬に何を期待してるの?
だって誰が見たって ずっと底辺で生きてきた負け組だよ
そんな僕にこんなことが起こるなんて どうなってるんだ!?

コミュ障の僕にも わかるように教えてよ
落ちこぼれの僕にも わかるように話してよ
僕は負け犬なんだから
(アルバム「Shooting at the Sun」(2003)より、 Luke Morley作)

格差の底で

和訳前に例として「学校カースト」と書きましたが、歌の主人公は本当のカースト制度のように絶対に覆せない、なにかの構造の底辺にいる人のことかもしれない。たとえば映画「ジョーカー」のアーサーのような。

歌詞では恋愛ごとに書かれているけれど、そうでなくても急に親切にされたり、好意を持たれた時に
「騙されるのでは」「喰いものにされるんじゃないか」
と思うことがあるでしょう。特に恵まれない、やるせない状況にいる人はそうじゃないかな。「格差婚」とか言われたこともあるけれど、愛の名の下には平等ということの難しさや幻想っぷりが最近ではしっかり浸透しているようながします。法の下にでも教育の下にでも、平等なんてさー。

和訳した「僕」がもしこのチャンスに勇気を出して、頑張ったとしても、よりよい未来は待っていない。そうわかっているから、踏み込めない。ただ、傷つくことだけはわかっている。

『負け犬の遠吠え』というヒット本がありましてね。私はその負け犬にリアルタイムでドンピシャの立場でした。これは2003年に刊行されているので、もう17年も前…! でも、思い返すと、そこから無事に生きてきたと気軽に言えないが自分は恵まれてたな、と思う。遠吠えする余裕もあったし、勝ち負けでなく、ただ犬(人)として生きることもできた。でも、現在はどうだろう。格差社会と言われる、勝ち組負け組に「なる」のではなく「最初からそう」の状態が長く続いての現在。勝ち負けは結果だけれど、社会の高い位置か底辺かは選べないし、移動するのもかなり困難になっている――経済格差とか教育格差とか地域格差などによって。

そんな高低差のなかで、明らかに高位置の人から好意的に話しかけられたり、触れられたりしたらどうだろう。
「身分が違いますんで」「気まぐれでしょ」「珍しいと思ったのかね」
みたいになるのではないかしら。

雲上人のような彼女が、本当に負け犬な彼のことが好きで恋に落ちたのだとしても、納得させるのは難しい。彼も「わかるように説明して」と彼女の本気を試すかのように何度も繰り返す。傷つくことを恐れる過剰な防衛や、豊かさからくる無邪気な好奇心にイライラし、やがて分かり合うための共通の語彙をお互いが持っていないことに気づくだろう。その悲惨な結末を「僕」はわかっているから、迷いながら手を握り返すことはしない。

そうやって、恋や好意だけでなく、助けやチャンスにもあえて手を伸ばさなくなる人が格差社会では増える。

このアルバムが出たのは2003年で、この頃は福祉政策やそのシステムがうまく回っていたとされる頃だ。ルークがいつ、何を思ってこの歌詞を書いたのかは知らないけれど、行政のシステムがうまく回っているからこそ、それまでの階級社会・イギリスとは違う格差社会・イギリスが見え始めていたのかもしれない。おっと、『負け犬の遠吠え』も2003年刊行じゃないか!

歌詞の最後は、“I'm just a loser in a band”。社会からこぼれ落ちた者=弱者であり、上昇することのない負け犬という意味だと取りました。その悲痛な感情の表現がただ暗いだけではなく、シビアな重さとメロディで表す楽曲が、また素晴らしいんですよ。

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