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もう一度北京の凧揚げおじさんに会いたい/沢野ひとし

 北京を初めて訪れたのは、二十数年前の初夏である。紫禁城、天安門広場、万里の長城、天壇公園と天候にも恵まれ、観光を満喫した。建築物の想像を超えた空間の広さには、たじろぐものがあった。
 とりわけ歴代の皇帝が五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願ったという天壇公園の祈年殿(きねんでん)には身震いがした。美しく荘厳な建物の中にいると、不思議と安らぎを感じた。

町に揚がる凧記事ヘッダー

 ツアーバスが待機している駐車場に戻る途中、歩道橋を渡ると、そこには巨大な凧を揚げている親父が居た。歩道橋の上は、たしかに風が吹いている。
 しかしここは恐らく日本だったら凧揚げは禁止される場所である。
 日本の子どもの凧揚げとは違い、親父は海釣り用の大型スピニングリールのような器具を手に、何百メートルと凧糸を伸ばしていた。

歩道橋から凧揚げ


 その男にとっては、凧揚げは人生の生き甲斐であり、歩道橋の上で目立ちたいのだろう。声をかけたいのだが、中国語は「你好(ニーハオ)」しか知らない。しかしそれでも彼の肩を叩き、こちらの感喜を表した。ついでに、傍らにいた果物を売っている娘から、柑橘類を買った。
 中国は監視社会といわれるが、歩道橋で出会った人の大らかさに、他の都市では見られない魅力を感じた。

竹を曲げる技術


 中国で発明されたものは、火薬、羅針盤、印刷術、紙、麻雀、そろばん、じゃんけん、そして凧と多種にわたる。
 その後も北京に行くと、見上げた空に時おり凧が泳いでいた。子どもの玩具の範囲をはるかに超えた、大人の娯楽、スポーツとして定着している。
 中国語で凧は「风筝(フンジュン)」という。公園に行くと自作の凧を手にしている老人もいる。凧を褒めると一気にお互いの距離が近付き、意味もなく笑い合い、こちらも怪しげな中国語が自然に口をついて出てくる。

町の凧記事ヘッダー


 現在は新型コロナの影響で北京の空も淋しい。また元気に凧が舞う日が早く来ることを願っている。
 中国では、雲は重要な装飾パターンでもあり、祥雲(しょううん)と呼ばれる。空に浮かんだ雲は、幻想的な雰囲気を醸し出している。
 中国の空には太陽や星だけでなく、雲も凧もなくてはならない風物詩なのである。

イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)も絶賛発売中。
Twitter:@sawanohitoshi