note_第60回忘れ物

忘れ物/新井由木子

 先日、母が上京してきた時のことです。
 食事の後、母が取り出したプラスチックの小瓶に入っていたのは、健康補助のためのサプリメント。ただし、様々な種類のものが一緒に入っています。
 普段、自宅ではそれぞれのサプリメントの瓶に入っているのでしょうが、上京にあたって、数日分を1瓶にまとめてきたようでした。その中から、母は貝殻のような白色の、楕円形の粒を選び出しました。
「これは骨が丈夫になるカルシウム。お菓子みたいで美味しいよ」
 わざわざわたしに説明し、そして、1、2、3と3粒数えて、口に入れました。
 次に選り分けたのは濃い緑色の錠剤です。
「これはデトックス効果のミドリムシ」
 そして今度は、1、2、3、4、5と数えて、5粒を口に入れました。
 そして次には茶色の楕円形の粒を取り出し、口に入れます。
「これは滋養強壮のローヤルゼリー、1日1粒」
 それから、
「おなかの調子を整える乳酸菌は5粒、疲れ目にブルーベリーのエキス3粒、関節をいたわるグルコサミン、ミネラルを補給するマルチビタミン&ミネラル、若さを保つゴマの油エキス……」
 お菓子のようなものから少し値の張るものまで、色とりどりのサプリメントを次々と飲んでいきます。それぞれの名前と効能がわかるのもすごいけれど、服用する数まで全て覚えているのも驚きです。
 そして、最後に残ったのは油らしいものをゼラチンで包んだ透明の錠剤でした。それをわたしに見せて、母が放ったのは意外な一言でした。
「これは、物忘れに効くサプリメント……。えーと、なんだっけ。名前が出てこない」
 他のサプリメントの名前は効能と服用数まで覚えているのに、物忘れに効くサプリメントに限って名前が出てこない??
 あまりに不合理で、わたしは腰を抜かしそうになりました。
 それは、DHAではないかと思うのですが、効いていないのでしょうか。いや、その他のサプリメントは全部覚えている訳だから、効いているのでしょう。力のある戦士が他の仲間を助けるために尽力し、自分は力尽きて倒れたということでしょうか。作り話のようですが、本当の話です。

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 わたしは母のようにDHAを飲んでいないせいかもしれませんが、しょっちゅう忘れ物をしています。ペレカスブックの営業時間中に草加の街を自転車で走っているわたしを見かけたとしたら、それは大抵の場合、家に忘れ物を取りに行っている最中です。
 そんな忘れ物は今に始まったことではなく、小学生の時はいつも隣の席の人に教科書を見せてもらっていましたし、ランドセルを持たないで学校に行ったこともありました。我ながらすごいなと思いますが、忘れ物癖は直らないまま大人になり、娘が小学校に入学する時は、あろうことか就学時健診も忘れていました。

 たいがいの忘れ物は取り返しがきくものですが、スカートをはくのを忘れていた時は結構あせりました。
 ほんの半年ほど前、soso cafeにおむすび当番で勤めていた頃のことです。
 早朝に家を出て、半分寝ぼけていたのと、人通りのない薄暗い道で誰にも会わずにsoso cafeにたどり着いたため、そのまま作業に入ってしまったのです。
 またsoso cafeの中が狭く、パート仲間とも近い位置にいるので、お互い割烹着の上半身しか見えず、おむすびの仕事が終わるまで、誰も気がつかなかったのです。
「どうしよう! スカートはいてない!」
 叫んだ時にはもう時間は朝の9時を回っており、街の人々が道にあふれていました。
 幸い上に着ていたチュニックが多少長めだったので、少し勇気のあるミニスカおばあさんという体裁で、人の視線が上に集まるように割烹着と三角巾をつけたまま、自転車をダッシュで漕いで帰りました。
 わたしやっぱり、DHAを飲んだほうが良いでしょうか?

(了)

※世界文化社delicious web連載【まだたべ】を改題しました。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、食べること周りのことを書いてゆきます」
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Twitter:@pelekasbook