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【ショート小説】青林檎

それは小学5年生の頃だった。

学校で「幼い頃の自分の写真」を1枚選んでクラスの前で発表するという課題が与えられ、家の箪笥の引き出しからアルバムを探した。

案外簡単に見つかり、私はその中から一際よく映えたものを選ぶことにした。

すると、あることに気がついた。私が写る写真の全てに林檎のおもちゃの様なものがある。

ある時は赤ん坊の頃、その林檎は写真隅のテーブルに置かれ、またある時は身長の記録代わりの写真にもその林檎があった。

そういうおもちゃなのだろうと一旦納得はしたが、よく考えてみるとそれほど長い付き合いに相応しく無い程その林檎への記憶がない。子供の頃遊んでいたものと言えば電車のミニチュア位だ。それでさえ物心ついた頃にはそれである程度遊ぶことは控えめになっていた。

よく考えてみると、この林檎は謂わば生活の一部として馴染み過ぎていた。

呼吸をあえて意識する事がないのと甚だ変わる所の無い話だ。

しかし、それはそれで一種の気味悪さを覚えるのであった。なぜ今までそこまで意識せずに生きてきたのかはわからなかった。

それ以上に気味悪さを覚えたのは、母親の発言だった。

「あんたが知るにはまだ早い」

それを聞いた途端この言葉に実用性があると知った。拙い言葉で真実を匿うのは、漫画の世界か或いは政治家の世界だと相場が決まっていた。

大人びた性分のせいか、知らない方が良いことが世の中にあることはよくわかっていた。

ただ、家庭事情に関わる何か知らない方が良いことなんていうのは、そんな多くない。疚しいことであることは大体予想がついてしまうではないか!

小学生にも見透かされる様な嘘をつく母親の口下手には呆れてしまった。せめてレトリックでも学んでおいた方が良いんじゃないか。

私はその後しばらく「知らない方が良いことの仮説」とやらをいくつか立てていた。
しかしどれも、それらの仮説がどのように『林檎』と結びつくかまでは理解しきれなかった。
だが、ここで正解をいうなら、現状に知らない方が良いことというのは存在し得なかった。

年月は過ぎて10年後、私は人殺しを犯してしまうことになる。
細かいことを話し出すと長くなるが、引き金を引いて男を殺してしまった。

私の人生はようやくこれからが始まりだというのにも関わらず、その人生に自ら拭い切れない汚点を残してしまった。

これからどうすれば良いのか、全くわからなかった。

親はどんな顔をするだろうか、それを考えると消えてしまいたいと思わずにはいられなかった。

「やっちまったぁ…やっちまった…」
泣きながらそれ以外の言葉は発せなかった。
しかし、その一言で母親は私に何が起こったのかがわかった様子だった。

母親は一言、「ついにあんたも知る時が来た様ね」と呟いた。

果たしてこれから刑務所に連れてかれるであろう分際の私に、親は何をカミングアウトしようと言うのだろう。

母親はテーブルに置かれてあった林檎を手に取った。

「これを食べるのよ」

その林檎は私の人生のメモリーカードの様なものだった。食べると今までの記憶が全て消え、自我もなくなり林檎に保存していた新しい自分が誕生、召喚とも言えるが、するという。
また、私の存在自体が消滅するので、私が人殺しを犯した事実も消える。

「お前がいつかこうなることは私も母さんもわかっていた」

いう所によると、私はこれまでにも放火魔をしたり、盗みを働いたりしていたらしい。その都度私の記憶はこの林檎の元に書き換えられていたのだった。

私は死ぬわけではない。生まれかわるだけだ。

そして、私は一体どうなっていくのかはまだわからない。

ただひとつわかることは、私は私の円熟するのを見届けることの出来ぬままこの自我のみがただ独り死んでいくのだということだった。

その時、私は何故これが林檎の形をしているのかがわかった気がした。

林檎が赤く熟するのは、5個あれば1個程度の割合でしかないことを知っていた。
赤くならないまま終わる林檎もあるのだった。

「もう何も言い残すことはない…」私はその林檎を口一杯にかじった。

林檎はまだ青かった。

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