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【連載小説】「北風のリュート」第13話

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第13話:謎の増殖(3)
【4月26日】
 
学会を控え論文やデータの整理に追われ、流斗は研究室に泊まりこんでいた。二晩徹夜して学会発表用データをまとめあげ、そのまま研究室の床で寝袋にくるまった。自宅アパートに丸三日帰らなかった。致命的だったのは、プライベートのスマホを自宅に置き忘れたことだ。ただの金属の板と化したそれが息を吹き返すのに、一時間はかかった。
 レイからの着信履歴が四件。
 気づいたことがあれば報せて、とプライベートの番号を教えていた。
 電話がつながらなかったからか。メールも一通届いていた。
 タイトルは「しゃべった!」だ。誰としゃべった?
 本文には「電話して」としかない。
 そうとう怒っているのか? 
 流斗は三日間シャワーすら浴びていないフケの浮いた髪をかきむしった。
 これまでレイから連絡してきたことはない。立て続けに四回も掛けてきている。何かあったのだ。夜の九時過ぎか。女子高生に電話するには、ぎり許される時間だろう。
「ごめん、研究室に泊まり込んでて、スマホを家に忘れて」
 早口で謝罪を述べ、ごめん、と繰り返しスマホの画面に向かって深々と頭を下げた。冷やりとした沈黙が流れた、と流斗は感じた。五秒ほどだっただろうか。それでもきつかった。ごめん、とまた繰り返そうとしたら、
『良か……った……』
 洟をすする音がかすかに聞こえた。
「ど、どうした。何があった?」
『どうしたら……いいか……わからなくて』レイの声がちぎれる。
『相談、できる人、いなくて……天馬さん、とも……つながらなくて』
「ごめん、不安だったよね」
 涙をこらえているのだろう、また短く洟をすする音がする。
 目の前で女子高生に泣かれてもおたおたするが、スマホ越しではどうなだめたらいいのかが流斗にはさっぱりわからない。沈黙が怖くて、とりあえずの質問を投げてみる。
「しゃべったって、何がしゃべったの?」
『空の魚が……』
「えっ!」
 さすがの流斗も一瞬、脳が硬直する。スマホを持ちかえ、唇をなめる。
「風の音の聞き違え、とかじゃなくて?」
『声を出したんじゃなくて』
 涙声のままだったが、落ち着きを取り戻したようだ。
 知り合ってまだ二週間だが、わかったことがある。レイは感情の起伏をあまりみせない。そのレイがスマホ越しとはいえ、涙ぐんだのだ。
『テレパスみたいな感じで、頭の中に直接声が響いた』
「テレパスか」
 にわかには信じがたいが、空の魚が見えることで心を閉ざしてきた少女が、唯一の理解者である流斗に嘘をつくとは思えない。
「それで、何てしゃべったの?」
 レイは三日前の夕刻に起こったできごとを、ぽつぽつと話した。自分が「龍人の血を継ぐ娘」と呼ばれたこと、銀のリュートは「風琴」だということ。タブレットに文字が浮かびあがったことも。彼らの餌を「風蟲ワーム」と呼ぶことも。
『時がない、龍秘伝を探せと言って、消えた』
 途中から通信障害みたいに電波パルスがとぎれがちになり、最後はエネルギーを使い果たしたみたいにぐったりして消えた。見えなくなったというより、電力を消費しきって消滅したようだった、とレイは締めくくった。
「風の蟲、ワームというのか。無生物のエアロゾルを食べていると考えてたけど、違うのかもしれない。バイオエアロゾルだろうか」
 興味深いなあ、お手柄だと流斗が昂奮すると、『疑わないんだ』とレイがぽつりと吐く。
 空の魚が見えるというだけで、これまでどれだけ傷ついてきたのだろうと流斗は思った。レイの人づきあいの根っこには「信じてもらえない」という諦めがある。
「風の姿が見えるとか、テレパスとか、現代科学では説明できない。けどさ、AIが構想されてまだ八十年ほどだ。それまでは、機械が自己学習するなんてSF小説や映画の世界でしかなかった。百年前にそんなことを言い出したら妄想だとバカにされ信じてもらえなかっただろうね。空の魚が見える、声が聞こえたというのは事実でしょ。事実は、事実なんだよ。現代科学では説明がつかないだけ」
 レイがまた洟をすする音が聞こえた。
『気になったのは、時間がないということと、龍秘伝を探してということ』
 うん、それで、と流斗は相槌をうつ。
『龍秘伝を探したけど、見つからなくて』
 レイはどんなに探し回ったかを説明した。
『風琴がしまわれていた納戸を探したの。母に知られたくなくて、午後診の間に。見つからなかった』
 本腰を入れて探そうと、翌日は学校をずる休みしたらしい。納戸は整理好きのお母さんがきちんと片付けているから簡単に見つかると思ったという。
『一つひとつ箱をあけて、鬱金うこん布もはずして。きものの畳紙もほどいたし、掛け軸も一点ずつ広げて確かめた。でも、無いの』
「風琴はお母さんから譲り受けたんだよね」流斗が確認する。
『まだ正式には……だから、こっそり持ち出して。鳴らせるようになったことも母には話してない』
「空の魚が見えることは?」
『小さい頃に否定されて、それからは』と語尾を濁す。
 レイと母親の関係におおよその推測がついた。
「明日から名古屋で学会があるんだ。明後日、お母さんに会えないかな。ぼくから説明するよ」
『へっ?』とレイの声が裏返る。
「手掛かりを握っているのはお母さんでしょ。気象研究官という肩書が役に立つかもしれない。第三者の客観的かつ専門的意見ということで。タッチーにも連絡しておくよ。鏡原上空の状態も知りたいから」


続く


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