【連載小説】「北風のリュート」第14話
第14話:糸口(1)
【4月28日 鏡原】
昨日の気象学会でも、鏡原の現況が話題にのぼった。
狭い盆地では明け方に下層雲が広がり、俗にいう「朝曇り」という現象が起こりやすい。山頂から雲海は眺められるが、雲が盆地に蓋をするため放射冷却をさえぎり熱帯夜の原因になる。日が昇ると雲は消え穏やかに晴れる。一方、鏡原では雲がひと月以上居座っている。学会出席者は一様に異常を指摘はするが、地球温暖化の影響で片付けられた。温暖化は根本原因だ。ただし、それだけでは鏡原の特殊性を説明できないと流斗は考えている。
空を泳ぐ魚は、風の化身で風蟲を主食としてきた。
今年になって、より大きな赤い浮遊物を捕食し始めた。
風蟲は名称から類推してバイオエアロゾルか。
つながりそうだが、ピースが足りない。仮説のようなものは浮かびつつあるが、まだ雲をつかむような感じだ。それに、常人には見えない空の魚の行為をどう説明するか。
壁を動かすには、目に見えるデータと証拠だ。
航空祭の日とは打って変わって、三留野駅で降りたのは流斗一人だった。
名古屋は雲一つなく青空がまぶしかったのに、鏡原に入ったとたん空が暗い。雲が一段と厚くなっている。直射日光は遮られているが、層積雲が低層にあるため熱気がこもっている。雨も降らないので、熱を冷ます要素がない。レイの母親に会うためカッターシャツを着たが、ホームに一歩降り立っただけで首筋に汗がにじむ。シャツを第二ボタンまで開けた。
鏡原周辺で呼吸困難による救急搬送が増えていると、ローカルニュースで報道していた。この熱気だ。熱中症にもなるだろう。冷房の効いた列車から降りると、のっぺりとした熱気がたちまち全身にはりつく。風の流れが感じられない。たった二週間で、この変わりよう。異常気象が二次曲線を描いて加速している。
駅前のロータリーでレイと迅が待っていた。
レイは淡いブルーのワンピース、迅はベージュのチノパンに白のポロシャツで、二人並んでいるとなかなかいい感じだ。と思うのに、なぜか胸がちくりとする。
二日前にレイとの通話を終えると、すぐに迅に連絡した。
小羽田家訪問の意図を話すと、「そういうことなら、俺も同席しますよ」と快諾してくれた。一人より二人のほうが信じてくれる確立もあがりそうですから、と。現役イーグルドライバーの援護ほど心強いものはない。
訪問の約束は午後一時。昼を食べながら作戦会議をしようと、午前十一時に待ち合わせた。
改札を出ると流斗は、踵を揃え敬礼のまねごとをした。即座に迅も、ぴしっと背骨を立て敬礼で返す。
「本職の敬礼は違うね」
「日常的にやってるんで、癖みたいなもんですよ」
レイが呆れてさっさと歩きだした。
ひつまぶしを食べたいと流斗がリクエストすると、じゃあ、と迅が基地とは反対方向にある小料理屋に案内してくれた。夫婦で切り盛りしている店で、カウンターの他にテーブルが二つ、小上がりの座敷が一つあるきりだ。鰻の焼ける香ばしいにおいが柱にしみついている。
「奥、いい?」と迅がきくと、へえ、どうぞ、と言いながら女将さんは盆に湯呑を並べる。
「ひつまぶしの上を三つ」
流斗はカウンター前を通りすぎながら鰻を焼く親父に注文する。
「レインボーから四日前のことをタッチーに話してあげてよ」と流斗は座敷に座るなり促す。シャツの胸もとをぱたぱた煽りながら、テレパスのことは伝えてるから、「なっ」と迅の肩を叩く。
「レイさんのことは全面的に支持してます」迅が力強く肯定する。
レイは無言でうなずき、空の魚との交信についてぽつぽつと語り始めた。
迅は正座をして律義に相槌を打っている。
それを横目に流斗は、うわっ鰻が二段になってる、茶漬けもうまいなあ、とひつまぶしを堪能した。
「二人とも冷めないうちに食べなよ、食べながら話せばいいんだよ」と箸を振る。
「行儀が悪いですよ」とレイが睨む。
その傍らで迅が肝吸いを、ふーふーと冷ましていた。
「イーグルドライバーが猫舌か」と揶揄うと、
「イーグルは関係ありません。熱いもんは、熱いんです」とむくれる。
レイがくすくす笑う。緊張は抜け落ちたようだ。
「さてと」流斗は肝吸いを飲み干し、「現時点でわかっていることを整理しよう」とタブレットを出す。
画面に【龍人】【風琴】【風蟲】【龍秘伝】と打ち、にっと顔をあげる。
「こん中で」といいながら、風琴と風蟲を丸で囲む。
「この二つは何を指しているかはわかっている。風琴は銀のリュート。風蟲は空の魚の餌」
確認するようにレイに目を向ける。
「レインボーは龍人の末裔だね。龍人が何かは不明だけど」
「一番わからないのが、こいつ」と言いながら、龍秘伝をぐりぐりと何重にも丸で囲む。
「空の魚は、これを探せっていう。巻物なのか、書物なのか。ひょっとしたら石碑の可能性だってある」
「石碑……。巻物かと思って、家の中を探してました。石碑だと、お寺の境内とか?」
問うようにレイが目を向ける。
「あくまで可能性の一つ。それも含めてお母さんが何か知ってるかも」
レイは湯呑を両手で握りしめうつむく。
「時がない、とも言ったんだよね」
首だけでうなずく。
「魚の数はどう?」
「航空祭のときよりも減ってる。動きも鈍くなってる気がする」
「四日前の魚はエネルギーを使い果たして消滅したみたいだったんだよね。死んだってことだとすると。彼らは大量死、絶滅の危機にあるのかも」
レイと迅が顔を見合わせる。
「母は……何か知ってるんでしょうか」
「お母さんには、話したくない?」
そういうわけでは、と言いかけてレイは口をつぐむ。
「お母さんはふつうに優しい、と思います。親がうっとうしくて、うざったいとクラスメイトの沙織は言うけど、母は看護師の仕事が忙しいから、成績も含めて口うるさく言われたこともありません」
嫌いなわけではないけど、また否定されたらと思うと、と口ごもる。
うわべの慰めでは、納得できるわけもないか。レイはうつむいたままだ。しかたない。お母さんからは龍秘伝のことさえ聞き出せればいい。
「もう一つ、喫緊に知りたいことがあるんだ」
流斗はいったんタブレットの画面を消去し、隣の迅に体を向ける。
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